夏とはいえ、夜風は涼しく気持ちが良い。 人で溢れたホールのあの息苦しさから解放され、イザークは知らず入っていた肩の力を抜 いた。 王宮の庭園は常に美しく整備されており、正確に刈り込まれた木々の幾何学的な模様が月 に照らされて浮かび上がっている。 決して華美ではないが整然としている様はこの国らしい美しさだと感じた。 会場とは打って変わってここは静かで、すでに疲れていたイザークも今すぐ戻りたいとは 思えず。 この美しい庭を眺めながらしばらく休もうと東屋へ足を伸ばした。 しかしそこには先客がいたらしく、椅子に座る後ろ姿が見える。 自分以外にこんな所に来るような人間がいたのかと思いながら東屋の柵に手をかけた。 「誰だ?」 「きゃあ!?」 背後から声をかけられて驚きに飛び上がったその人物は、咄嗟にイザークとは反対方向に 逃げる。 その声にイザークも些か驚いたが、怯えた瞳で泣きそうな顔をしているその女性を見て悪 いことをしたと思った。 「驚かせるつもりはなかったんだが… すまない。」 「イザーク殿下!? も、申し訳ありません!」 月光に照らされたその相手に彼女はさらに驚き、深く頭を下げて無礼を詫びる。 「すみません!!」 「姫。」 そうして慌てて走り去ろうとする彼女をイザークは咄嗟に呼び止めた。 立ち止まって振り返った彼女に近づいて手をとり、戸惑う彼女を再び椅子に座らせる。 「あ、あの…」 「少し話をしないか? 1人では退屈だと思っていたんだ。」 1人になりたくて出てきたはずなのだが、何故だかこの手を離したくなかった。 今まで悪友と呼べる男がどんなに女の良さを話しても、異母弟が最愛の姫君の話をしてい ても、一切興味を抱かなかった自分が不思議なことをしていると思う。 けれどきっと、断られても離さないのではないだろうかと思うくらい 熱を持った手は重 ねられたまま離れない。 恥ずかしそうに目を伏せた彼女は少し間を置いて小さく頷いた。 「名は?」 「…シホ・ハーネンフースと申します。」 じっと見つめる彼の視線から逃れるように彼女は視線を庭園に逃がす。 「ハーネンフース侯爵家の娘か。」 「はい…」 それを無理に振り向かせても良かったが、横顔もまた美しくてそのまま見つめていた。 色は分からないが彼女の瞳は惹き込まれるような深い色。 月光に照らされた白い肌は透き通るようで、闇に溶ける髪色は光の中で映える。 その纏め上げられた髪には可愛らしい花の飾り。ドレスは露出を抑えた形で色は淡い。 ただ派手に飾り立てるだけの他の姫君たちとは違う控えめさが逆に彼女自身の美しさを際 立たせていた。 「ではシホ、こんなところで何を?」 恋人でも待っているのかとふと思ったが、そんな風でもないようだ。 「それが…あの… 私、こういう場が苦手で、だから抜け出して休んでいたんです。」 「? ならば何故こんな無理をしてまで城へ来たんだ?」 侯爵は強欲な貴族ではないし、娘を無理にこんな場所に連れてくるような人物でもない。 だとしたら、何故今日ここに来たのか。 「あ、あのっ」 「ん?」 突然こちらを振り向いたシホは、何故か必死な様子でイザークを見上げる。 何を言い出すのだろうと少し身構えた。 「お誕生日おめでとうございます!!」 「…は?」 予想外のことに瞬くイザークを余所に、彼女は見るからにホッとして肩の力を抜く。 「……まさか、それが言いたかったのか?」 「はい。」 さも当然と言わんばかりにあっさり頷かれてしまった。 わざわざそれを言うためだけに、苦手な場所へやって来たとは。 「父に我儘を言って連れて来てもらったのですが、いざ来てみたら勇気がなくて……本当 は自己嫌悪で反省してたんです。」 「そんなに落ち込むほどのものか?」 ただの誕生日を祝う舞踏会だ。イザークにとってはそれほど価値があるものではない。 分からないという彼にシホは「当たり前です!」と言って拳に力を込めた。 「年に一度しかない大切な日です! だからどうしても直接言いたくて… 殿下?」 力説するシホを見て思わず緩みそうになった顔を押さえて背を向ける。 何かおかしなことを言っただろうか?と、勘違いした彼女は首を傾げて顔を覗き込もうと した。 「いや… さっきから上辺だけの言葉ばかり聞いていたからな。正直嬉しかった。」 「っっ!?」 突然振り返ったイザークに至近距離で笑顔を見せられ、今度は彼女は顔を真っ赤にする。 イザークはまだ知らない。彼女の気持ちを、彼女がずっと抱き続けている恋心を。 「わ、私もう帰りますね!!」 その顔のまま 焦ったように彼女は立ち上がってくるりと背を向けた。 「まだ舞踏会は続いているが?」 離れていこうとする彼女の手をまた掴む。 ビクリと震えた彼女は僅かに抵抗を見せるが振り払いはしなかった。 「でも、目的は果たせましたし…」 同じ泣きそうな顔なのにさっきとは違う。 本心から帰りたいと言っているわけではないのだろう。 彼女を追いかけるように立ち上がったイザークは、掴んだ手に力を込めてわずかに引き寄 せた。 「一緒に戻ってくれないか? 心無い言葉をこれ以上聞くのはかなり堪える。誰かが傍にい ればそういう輩も寄って来にくいだろう。」 「……」 何も答えられない彼女の耳元に彼は顔を寄せる。 「―――シホ。」 「…ズルイ、です。」 小さく小さく消えそうなくらい小さな声で呟いて。 「分かりました…」 彼の願いをシホが断ることなどできなかった。 →次へ --------------------------------------------------------------------- 何か違う生き物がいます(笑) ちなみにイザ様は無意識です。