緑の森に夕陽は落ちる -10-
――――お互いに、恋じゃないのは知っていた。 政略結婚だもの、当たり前だわ。 一目で恋に落ちるなんて、物語だけの話よ。 でも、互いに嫌いじゃないのも分かっていた。 だからいつかはこれが愛に変わるんじゃないかとも思っていた。 そうやって夫婦になっていけば良い。 時間はたくさんあるんだから。 ずっと、そう思ってた。 ****** キラと初めて会ったのは王宮主催の舞踏会。 運命的な出会いをしたわけでもないし、一目会って恋に落ちたわけでもない。 もっと現実的で、だけど誰もが憧れる話。 貴族の娘として産まれたなら誰もが夢見る相手との。 『今宵あの方はお前の手を取るだろう。』 パパに促されて"彼"のところへ挨拶に向かう。 ここに来る前に王子様の婚約者になるのだと伝えられていた。 世継ぎの姫君にはザフトの王子という婚約者がいるのに、王子にはいないのはおかしい という誰かの余計な意見の元に決められたらしい。 昔は政略なんて絶対嫌だと思っていたけれど、今では仕方ないとも思っていた。 私は貴族の娘で、それが娘に出来うる最大の孝行で務めだったから。 ―――大好きなパパの願い。だから引き受けた。 宰相様に何かを耳打ちされると、彼が椅子から立ち上がって段を降りてくる。 人垣が割れてフレイの前には一本の道が出来上がった。 パパが挨拶をしてからそっとフレイの背中を押し、2人を引き合わせる。 年はフレイより1つ上、背は少しだけあちらが高いけれどあまり変わらない。 さらりと流れる濃茶の髪、柔らかな眼差しで見つめてくる紫の瞳。 誰もが憧れるこの国の王子様。 (…女の子みたいだわ。) 初めて間近で見た彼に、この時はまだそれくらいしか感想を抱かなかった。 『フレイ・アルスター侯爵令嬢です。』 宰相様から紹介されて、王子に対して完璧な礼で応える。 『君が…』 痛ましげに歪んだのは一瞬のことだったけれど、フレイは見逃さなかった。 でも言葉には出さない。 『一曲踊りませんか?』 手を差し出されてその手を取る。 それが婚約同意の合図だということは互いに分かっていた。 踊っている最中に向けられる視線は、多少痛いが気にならない。 あるのは優越感。 睨んでくる誰にも負けている気はしない。 それだけの努力もしてきたし、その自負もある。 文句があるなら正面から向かってくればいい。いつだって相手になるつもりだ。 『…君は僕で良いんですか? 今ならまだ引き返せます。』 誰にも聞こえない声で彼が聞いてきた。 周りにはただ踊っているようにしか見えないように。 見つめた先にはさっきみたいな痛ましげな、申し訳なさそうな顔。 ―――お人好しな王子様。 そんなに優しくてこの王宮でやっていけるのかしら。 『私は貴族の娘です。王子の婚約者なんて最高の誉れですわ。それにどんな不満がある と?』 にこりと笑って答えると、ちょっとだけ目を見張って、次いで苦笑いされる。 その顔にありがとうと言われた気がした。 (ああ… 本当にお人好しなのね。) でも、だからこそ放っておけないと思った。 彼を1人にしてはいけないと思った。 ―――2人の間から敬語が消えたのはそれから一月後のこと。 ******* 『王族の妃というのは華やかなだけじゃないのよ。相手が命の危険に晒されれば自分の 命を捨てても守らなきゃならないわ。貴女にそれができて?』 そう言ったのは誰だったかしら。 私をライバル視する伯爵家の令嬢だったか、顔は思い出せないけれど。 彼の婚約者になってからサロンに出かける度に誰かしらに何か言われた。 誰もが憧れる王子の婚約者という立場は羨望と嫉妬の対象になる。 だからそれくらいは覚悟の上だ。気にしていない。 …もちろん言われたら倍返しにしてやったけれども。 誰にも譲らないし負ける気もないわ。 (そんなこと、アンタに言われる筋合いないわよ。) その時も見事に言い負かして、悔しがる女を尻目に内心で呟いた。 それくらい最初から知っている。パパにも何度も言われたから。 『あの方は正式な王位継承者だ。その妻になるということを自覚しておきなさい。』 私の立場は奥に収まるただの貴族の妻ではない。 キラは王族、フレイもいずれはその中に入る。 ―――ええ、守るわ。キラの心ごと。 私が守ってあげなくちゃ、誰がキラを守るの。 それが私の役目だと、自負していた。 ****** だけど、私の行動が貴方の命を奪いかけるなんて。 そんなの思いつきもしなかったわ。 (ごめんなさい、キラ…) 私の不注意な行動で彼を危険に晒してしまった。 賊相手に剣を振るうキラに必死で謝る。 怪我をしても私を守ろうとする彼に、違うと内心で叫んだ。 私が、貴方を守るの。 それが私の役目なのよ。 彼の前に飛び出したのは、衝動じゃないわ。 その行動を後悔なんかしていない。 『フレイ!!』 霞む視界の向こうで彼の声がする。 泣いているの? だったら止めてあげなくちゃ。 『キラ…』 伸ばした手は届いたかしら。 泣かないで、悲しまないで。 我が儘いっぱい言ってごめんね。 いつも優しかった貴方。 私は幸せだったわ。 だから、泣かないで――――… ****** 淡く光っていた水晶の光が消える。 透明なそれはもう何も映していなかった。 「フレイ…ごめん…」 それでもそこから目を離せずに、キラは冷たいそれにそっと触れて優しく撫でる。 「フレイ… 君の気持ちを無視してたね…」 言葉とともに知らず涙が流れる。でも拭おうとはしなかった。 今思い浮かぶのは、彼女の笑顔。 華やかで美しくて輝くような、そんな。それが本来の彼女だった。 「ごめんね…」 勝手に傷ついて、君のせいにして幸せを拒んで。 君は僕の幸せを願ってくれたのに。 「守ってくれてありがとう……」 そこで初めて後悔ではなく感謝の言葉を口にする。 どこかで、彼女が笑ったような気がした。 * 「おはようございます、キラ。」 朝日を浴びて佇むキラに声をかける。 彼がいたのは赤いバラが咲く木の前だった。 ニコルが願いを叶えてくれた翌日の朝。 ラクスはたまたま早く目が覚めて朝の散策をしていたのだけれど。 話しかけにくい雰囲気だったら通り過ぎようと思った。けれどちらりと見えた横顔にも 全くそんな様子はなかったから。 「―――おはよう。」 振り向いた彼に以前のような陰はなくて、にこりと笑うその顔は何だか違う人のように 見えた。 おそらくこれが本来のキラ。 ラクスが会いたいと思っていた、アスランの話の中の彼。 「嬉しそうですわ。何か良いことが?」 そんな表情に安心して隣に立って、ラクスはイタズラっぽく聞いてみる。 すると彼はうんと頷いて、本当に嬉しそうに笑った。 「フレイが、笑う夢を見たんだ。」 「――――…ッ」 きらきらと輝く笑顔。 見たかったキラの、本当の笑顔だ。 思わずラクスの胸が高鳴ってしまうほどの。 …けれど、直後に締め付けられるような胸の痛みも感じてしまった。 だってその笑顔は、ラクスに向けられたものじゃなかったから。 それに気づいてしまったから。 胸の痛みと同時に気づいてしまった自分の気持ち。 (―――神様、こんな皮肉な自覚がありますか。) >>NEXT --------------------------------------------------------------------- キラフレは友人関係というのかな? 互いに恋愛感情はなかったと思います。 いずれ書きたいパトリックさんとエザリアさんの関係のような(分かりにくい) キラがキラを取り戻しますが、ラクスは誤解したまま2年間という。 ラクスの気持ちがようやく形になったのにタイミングが悪かった。