実りの色は赤い果実 -54-
「ギルバート様!?」 彼女の両親は玄関先に彼が現れたことに驚く。 町1番とはいえ、普通の宿屋に今は伯爵家の子息となった青年がやってきたのだ。驚かな い方がおかしい。 「いや、今日は昔馴染みのギルバートとして来たのです。」 慌てふためきながら中へと促す2人を制して、今まで通りで良いと頼んだ。 自分と彼女の距離を表しているようで嫌だったのだ。 それでもお茶くらいはと言われて中へ通され、懐かしい彼女の家へ足を踏み入れた。 「それで、タリアはどこに?」 昔と何も変わらない廊下を見渡しつつ、本題である彼女の所在を尋ねる。 会いたくなくて部屋にいるのか、不在なだけなのか。 部屋にいるなら会いに行こうと思ったが、振り返った彼女の父親はギルバートの後ろ―― 外を指差した。 「ああ、あの子なら買い物に」 「手伝ってくれてありがとう。」 今まで彼がいた玄関の扉が開いて、彼女は扉を支えたまま後ろの人物に笑顔で礼を言う。 大きな荷物を持った男性が次に入ってきて、彼はそれを入口の脇に置いた。 「これくらいならいつでも。デートの口実にもなるし。」 「貴方らしいわねナギ。―――ただいま。」 「おかえり。」 「タリア…」 両親の応えともう1つ、呟くような声に彼女が気づいて、その姿を認めると驚きに目を見 開く。 「ギルバート? どうして、貴方…」 ここにいるはずがないと、彼女の表情が言っていた。 ギルバートも彼女が他の男と親しくしているという信じがたい光景を見せられて言葉を失 くしていた。 見つめ合ったまま、互いに次の言葉が見つからない。 「部屋で話せば? 久しぶりなんだし積もる話もあるんじゃない?」 そんな2人に助け船を出したのは彼女の後ろに立つナギだった。 「ナギ…ッ」 タリアは縋るような瞳で彼の腕を掴む。 2人きりでいて、冷静に話せる自信が彼女にはなかった。 「僕は部屋の外で聞いてるから。何かあったらすぐに呼んで。」 小声で囁かれてホッとする。 そんな彼女の姿を見ていたギルバートの心中は誰にも気づかれないまま。 「どうしたの?」 彼女の言葉は今更だと言われているような気がした。 ギルバートが王都へ行ってから3年以上。 彼女に会うまではその月日の長さを感じていなかった。 約束を果たす為に上しか見ていなかったから、それがどれだけの長さなのか実感していな かった。 あの頃幼さを残していた少女はすっかり大人の女性になっていた。 短く肩口で切り揃えた髪も、薄く化粧を施した肌も、成熟した身体つきも。 どれも見慣れなくて近づくのが躊躇われる。 そして変わったのは外見だけでなく雰囲気もだ。 全身で大好きだと伝えていた彼女は今、冷やかな瞳でこちらを見ていた。 「私に話って?」 「…手紙を読んだ。だから、本当なのか確かめに来た。」 嘘ではないということは今まで何度も見せ付けられた。 けれどまだ、彼女から聞いていない。それに最後の望みを賭けていた。 「わざわざ? その為だけに?」 ちょっと驚いた様子だった彼女は確かめるように聞き返す。 「ああ。」 それに頷き返せば、彼女は深く息を吐いてから、真っ直ぐにギルバートを見据えた。 「……じゃあはっきり言うわ。本当よ。」 …最後の望みも打ち砕かれてしまった。 気づかれないように ポケットの中の指輪を握りしめる。 「いつか、必ず迎えに行くと、その約束は信じてもらえなかったのだろうか?」 「愛人として?」 自嘲気味な彼女の言葉にはっとした。 伯爵令嬢との婚約は政略的なものだ。 どんなに周りが祝福したとしても、彼女を愛することはできない。 彼が愛しているのは今もタリアただ1人。 けれど、彼女との結婚は祝福されない。 彼女の言葉はそれを言いたいのだろうとすぐに分かった。 「私ももう子どもじゃないわ。貴方の婚約の意味も分かってる。でも、私は私を1番に愛 してくれる人が良い。堂々と愛してると言える人が良いの。」 どんなにギルバートがタリアを愛していても、祝福された結婚をするのは伯爵令嬢の方。 タリアは日陰の存在にしかなれない。 彼女の言う通り"愛人"という扱いしか受けない。 「…もう疲れたの……」 力無く俯いて彼女はぽつりと呟く。 「貴方が王都に行ってから何度も手紙を送ったわ。でも一度も返ってこなかった。貴方自 身も一度も帰らなかった。だから、貴方はもう、私のことを忘れたのだと思ってたわ。」 「そ、」 「それでも待ち続けたけれど、もう良いの。貴方は貴方の幸せを見つけて頂戴。」 彼女の頬を伝った雫が床に落ちて小さな染みを作った。 ギルバートの幸せを願う彼女はまだ愛してくれている。 けれど、同じ道を歩むことは諦められてしまった。 それ以上何が言えただろう。 どうして彼女に触れることが出来るだろう。 彼女の口から彼女の苦しみを聞いて突き放されて。 伸ばそうとした手を握りしめて、ギルバートは彼女に背を向けた。 「―――最後に1つだけ言い訳をさせてもらえるなら… 私は君からの手紙の存在を知らな かった。でも待たせてしまったのは本当だ。私では君を幸せにできない。」 どんなに悔やんでも過ぎた時は戻らない。 彼女を苦しめて泣かせてしまったのは自分だ。 彼女の言った通り、自分に"資格"なんてなかったのだ。 「幸せに、タリア。祝いの品はまた届けさせるよ。」 彼女を残して部屋を出る。 扉を閉めたところで、壁に凭れていた彼と目が合った。 「せっかくチャンスをやったのに馬鹿だね。」 タリアを愛していながらも、2人の仲を1番に応援してくれていた友人。 彼は苦笑いでギルバートを見ている。 「君になら奪われても構わなかったんだけど。」 「いや… 私では彼女を幸せにできない。…彼女を幸せにしてやって欲しい。」 「言われなくてもそのつもりだよ。」 彼とならタリアは幸せになれる。 彼女の望むように1番に彼女を愛し、堂々と愛を誓ってくれる。 彼女の幸せを願うなら、彼以上の存在はいないと思った。 「…そうか。なら安心だ。」 互いに願ったのは相手の幸せだった。 愛したまま別れたから、想いを思い出に変えられなかったのかもしれない。 後悔を残したのかもしれない。 「恨んだりはしなかったのですか?」 話を聞き終わったラクスが静かに尋ねた。 彼が手紙の存在を知らなかったとなれば、誰かの意図が働いていたということ。 タリアもその時に気づいたけれど。 「そうですね。知ったときにそう思ったこともありました。けれど、自業自得でもあるん です。手紙が来ないなら、待たずに違う方法を試せば良かったんです。他にも方法はあっ たはずなのにそれを怠ってしまった。私も彼も。」 「貴女もまだ彼のことを…?」 その問いには首を振る。 「いえ… 私は今幸せです。優しい夫と可愛い我が子と…私にとってはもう過去の思い出な のです。」 愛していた。 だから傷ついた。 けれど、時の流れは傷を癒してくれる。 誰かに話せるのは思い出しても辛くないからだ。 「姫君は何も謝る必要ありません。…王宮にいるあの少女も彼に利用されているだけです。 私達の口論を見かねて自分のせいだと言っていました。」 しまった、という顔をする面々に対して、タリアはクスリと笑う。 「一目見たときからどちらが本物の姫君か分かっていました。貴女と彼女では器が違いま すから。」 ただの身代わりなら、本物が身を隠す必要はない。 何かが王宮で起きている。 そしてそれには彼が深く関係している。 「彼が何を考えているのか、私にはもう分かりません。」 別れを告げてもう10年だ。 2人の距離は離れ過ぎて、彼のことは何も分からない。 宰相まで上り詰めた彼が何を求めているのか。どこへ向かおうとしているのか。 「―――急ぎましょう。彼らがこれ以上の罪を重ねてしまう前に。」 >>NEXT --------------------------------------------------------------------- フラマリュといい、大人の恋は切ないものばかりですか(汗) てゆーか、3話はちょっと使い過ぎじゃないかなぁ… 書きたいこと詰め込んだらえらいことになりました……