実りの色は赤い果実 -53-
彼が戻ってくる日は休みを貰って実家に帰った。 今はまだ彼に会えるような心の準備ができていなかったから。 誰もが彼の姿を見たいと思っていたおかげで休みは思った以上に簡単に取れ、さらに数日 は良いと言われてしまった。 けれどいきなり降って湧いた連休を楽しむ気分にはなれなくて。 ベッドに寝転んでぼーっとしていると、不意にノックの音がした。 「はーい…」 起き上がりもせず気のない返事を返す。 「入るよ?」 一応もう一度声をかけてから扉を開けて入ってきたのは、友人の1人で町長の息子のナギ だった。 気を使うような相手でもなかったから、起き上がりはしたものの降りることはしない。 彼もそれを気にした様子はなく、開いた扉に凭れかかる。 「珍しいね、君が家にいるなんて。今日は数年ぶりに彼が戻ってきてるんじゃなかったっ け。」 とても真面目な彼女はほとんど実家に帰らなかった。 しかも恋人が帰って来るのだから尚更ここにいることが不思議だと。 「ええ帰って来てるわ。―――身分相応の婚約者を連れてね。」 「へ?」 答えてブスッとしているタリアを見て、彼は意味が分からないという顔をした。 無理もないことだと思う。ミネルバの友は皆ギルバートとタリアの仲を応援していたのだ から。 タリアだって信じたくはないけれど、事実は事実で覆せない。 「おかしいことじゃないわ。彼は伯爵様の息子だもの。」 彼に似合いのお姫様。同じ伯爵家のご令嬢らしい。 いずれ宰相にもなれると噂されている彼の相手に申し分ない身分。 最初から勝負にもならない。 「…だから塞ぎ込んでいるわけか。」 「いいのよ。私も彼もあの頃はまだ子どもだったの。律儀に待ってた私が馬鹿なのよ。」 言葉にしてみてようやく自分も理解できた気がした。 事実を認めてしまえば随分冷静にもなれた。 私の恋は終わってしまった。 ただそれだけの話だ。 「じゃあ、僕が新しい恋人に名乗りを上げても良いかな?」 すとんと彼女の横に座ったナギが唐突にそんなことを言い出した。 「…何を言ってるの?」 「本気だよ。何度も断られているけど、まだ諦めたとは言ってないし。」 いつになく真面目な表情に戸惑う。 その時初めて彼の言葉が心に届いた。 失礼だけど、ずっと冗談だと思っていたから。 だって、いつもどんなに断ってもにこにこ笑っていただけだった。 軽い言葉と表情で、だから本気だなんて思いもしてなくて。 「考えてみてくれる?」 「私で、良いのかしら… ただの宿屋の娘よ?」 ギルバートほどでなくても町長の息子である彼ならもっと相応しい娘がいるはず。 けれど、タリアの手をとった彼はその手と同じ温かい笑顔をタリアに向けた。 「君が良いんだ。何も持たなくてもいい、ありのままの君が好きだから。」 ―――彼にもそう言ってもらいたかった… 婚約が公のものとなり、城には次々とお祝いの品が届けられる。 彼の故郷であるミネルバの町からも町長とその息子のナギが城へ祝いを持って現れた。 他の町に負けてはならないと立派な生地などの高価な品々が並べられ、町長はお祝いの言 葉を朗々と述べる。 それが終わると今度はナギが進み出て、ギルバートに1つの箱を差し出した。 「こちらの品は昔馴染みの仲間からです。直接貴方へお渡しして欲しいと皆から頼まれま した。」 「ありがとう。」 それは他のどんな煌びやかな贈り物より嬉しい。 「中は部屋でゆっくり見てください。」 その言葉の本当の意味を、その時のギルバートはまだ理解していなかった。 その後もいくつもの町から祝いの品と言葉を贈られ、ようやく自由な時間が与えられたの は3日も後のこと。 ずっと自室の机の上に置かれたままだった箱の存在を思い出し、歩み寄ったギルバートは その箱を手にとった。 蓋を開けると、他の品物の一番上に封筒が置かれている。 膨らんでいる硬いものはなんだろうと開けてみると、そこには手紙と指輪。 見覚えのある赤い石が嵌め込まれた銀製の――― 「タリア…?」 指輪が、約束の証がここにあるという意味。 ふと襲った不安のままに反対の手に持っていた手紙を開く。 「―――!!」 間違いなく彼女の字で書かれた短い手紙を読んだ彼は、その手紙を握りしめると部屋を飛 び出した。 部屋を出てすぐ、廊下で昔馴染みの女性に偶然会う。 挨拶をして通り過ぎようとした彼女を呼び止めて人気のない場所に連れて行き、何事かと 戸惑う彼女に手紙を見せた。 「タリアが結婚するというのは事実なのか?」 手紙にはタリアが結婚することと、だから指輪を返すのだということだけ書かれていた。 何の説明もなくただそれだけ。 だから納得できずに部屋を飛び出した。 指輪と彼の表情を見比べた彼女は、城の主に対してではなく友人としての態度で頷く。 「…本当よ。だからメイドも辞めたし。」 その言葉を聞いた途端に踵を返すギルバートを彼女は「待って」と呼び止めた。 「行ってどうするの? 貴方にその資格があるの?」 「資格?」 違和感のある言葉に足を止めて振り返る。 結婚の約束までした相手なのだから、資格は当然あるはずだ。 けれど彼女は厳しい瞳でこちらを見ていた。 「―――タリアは待ち続けたわ。ここで働きながら、身分違いだと悩みながらも、ずっと ずっと貴方を待っていたの。貴方が婚約者を連れてくると知ったあの日まで。」 「ッ」 "婚約者"の言葉に彼もようやく理解する。 タリアがその存在をどう感じたかも、行動の意味も。 「彼女は悩み苦しみ続けたわ。だからもう良いでしょう? 私は2人の結婚を祝福するわ。」 会えなかった間のタリアの苦しみを知った。 早く結果を出したいと必死で上を目指している間に彼女は1人で苦しんでいた。それに気 づけなかった。 ならば彼女の選択も仕方ないのかもしれない。 けれど… ギルバートは再び彼女に背を向けた。足の向く先は城の外だ。 「…それでも、私は彼女の口から聞かない限り納得できない。」 背中にため息を聞く。 >>NEXT --------------------------------------------------------------------- タリアさんの旦那さんの名前とか性格とか本編では一切出てこなかったので捏造です。 てゆーか長ッ!! あと1話続きます。