実りの色は赤い果実 -52-




 小さな町で育った恋は、何の問題もなく実るはずだった。
 けれど実らなかったのは、それが運命だったからだろうか。


 待つことに疲れたと別れを告げた。

 物分りのいいフリをして引き止めなかった。


 あの時別の選択をしていれば、2人は幸せになれたのだろうか?







 彼は裕福な商家の次男、彼女は町一番の宿屋の娘。
 幼い頃から共に育ち、一緒にいるのが当たり前だった。

 そして、いつしか2人は恋に落ちて――― いつまでも一緒だと花冠に誓った。
 

 そんな2人の関係が変わり始めたのは、彼が16の歳、タリアは13歳だった。








「ギルバート!!」
 自室の窓辺で本を読んでいた彼の元へタリアが駆け込んでくる。
 どこから走ってきたのか彼女は息を切らしていて、とりあえず落ち着くようにと 手元の
 ティーカップに紅茶を注いだ。
 席を立って手渡すと、彼女はそれを一気に飲み干して息をつく。
 ありがとうとカップを返されてから、ギルバートは彼女をテーブルに案内した。


「どうしたんだ?」
 ここまで慌てることは彼女にしては珍しい。
 一体何があったのかと思って尋ねれば、思い出した彼女が勢いよく立ち上がった。
「貴方、伯爵様の養子になるって本当なの!?」

 伯爵様はこの辺りを治めている領主で、丘の上の城に住んでいる。
 確かに子どもはいなかったが、それで何故ただの商家の息子である彼にその話が来るのか
 と。

「…ああ。父と何度も城へ出入りしているうちにその才を見込まれたらしい。」
 少しの間を置いて肯定した彼の言葉はどこか他人事のようにも聞こえた。


 彼の父は、頭が良く機転も利くギルバートをいつも外での行商に同行させていた。
 跡継ぎである長男には店を守らせ、彼に外向きの仕事を任せようとしたらしかった。

 そこで領主に見込まれるとは予想外のことだっただろうが、彼は次男だから家業を守るこ
 とに関して支障はない。
 つまり、断るという選択肢はなかった。
 聡い彼にはそれが分かっていたから、そのことを告げられたときも動じなかった。


「遠くなるわね…」
 今まではいつでも会いたい時に会えた。
 "寂しい"と素直に顔に出せば、そっとテーブルに置いた手に彼の手を重ねられる。
「会えない距離じゃない。」
「でも、長い間王都にいることもあるのでしょう?」
「手紙を書くから。」
 それでも不安そうな表情は消えない。
 ずっと一緒だったから、離れることなんて考えられなかった。

「ならば、約束を加えようか。」
 彼は触れた手をとって立ち上がり、テーブル分の距離を縮める。
 向かい合って見つめる瞳はいつになく優しく真摯で。


「今はまだ私の立場も弱くて連れて行けないけれど。」
 養子である彼の言葉は今のままでは届かない。それはタリアにも分かる。
「けれどきっと、君を迎えにいくよ。許されないなら誰にも文句を言わせないくらい上に
 行けば良い。」
「ギルバート…」

 彼の未来の中に自分がいることが嬉しかった。
 その為に努力を惜しまないと言う。これ以上の喜びがあるだろうか。

「いつかきっと、必ず君を迎えにいく。だから待っていてくれるかい?」
「もちろんよ!!」
 何も迷うことはない。
 即答に近い形で応えたら、彼も嬉しそうに微笑んでくれた。



「では、これにかけて誓おう。」
 ポケットから取り出したモノ――― 一粒のルビーが嵌め込まれた指輪を彼女の指に滑り
 込ませる。
 ぴたりとはまったそれは彼女のためだけに作られたものだ。
 あまりの嬉しさに涙が滲んだ。

「愛してるタリア。」
「私もよ、ギルバート。」


 指輪とともに誓った未来。


 まだ身分違いという意味も知らなかった。
 彼が私のために上を目指すほど2人の距離が離れていくなんて思いもしなかったのだ。










 城にいる間は彼は度々町に下りてきて顔も合わせられたし、今まで通りの2人でいること
 ができた。
 変わらない毎日が幸せだった。


 けれど、王都に行った後は連絡も途絶えてしまった。
 手紙を送ったけれど返事も返ってこなくて。

 不安な日々がずっと続いた。










 年頃の娘は習わしで城に奉公に出る。
 タリアも15の時に城に来たが、彼が戻ってくることはなかった。


 噂はいくつも聞いていた。
 彼は伯爵様の期待以上にその才覚を発揮していること、彼がタリアに語った通りの道を歩
 んでいること。
 忙しくて帰れないのだろうと周りは言っていた。

 それはタリアのためなのだと、2人の関係を知る同郷の友人達は言ってくれた。
 タリアもそれを信じていたかった。
 だから待った。


 たとえ姿を見ることができなくても、手紙の返事が返ってこなくても。

 約束の証の指輪と言葉を信じて。。。














 そしてさらに3年の月日が経ち、、




 タリアはいつものように、休憩室の端で首から下げたチェーンの先をこっそり見つめてい
 た。
 銀に輝く台座に赤いルビー、彼との約束の証の指輪。
 それは彼女と彼を繋ぐ唯一の物。

 彼女とギルバートの関係は同郷の友人達しか知らない。
 彼の立場を考えるなら今はまだ秘密にしていた方が良いと、周りもタリア本人も思ったか
 らだ。
 いつか明るい日の下で愛を誓える日が来るからと…



「聞いちゃった! ギルバート様が戻って来られるんですって!!」
 その時、メイド仲間が興奮した様子で休憩室に駆け込んできた。

『ほんとう!?』
 それを聞いた瞬間に部屋の中がわっと沸く。
「私、まだお会いしたことがないの。」
「私はあちらに行かれる前に一度だけ。」


 美貌の跡継ぎの君はメイド達の憧れの的だった。
 養子として城に入った時からその人気は相当のものだったらしい。
 そして彼を間近で見たことがない娘達は先輩メイドの話を聞いて憧れを募らせた。
 その彼が戻ってくるのだから、彼女達の反応は当然のことだ。


(ギルバートが帰ってくる…!?)
 彼女達とは違う意味でタリアの胸も高鳴っていた。
 輪には加わってはいなかったが、その話はタリアの耳にも聞こえていた。
 顔には出さないが喜んでしまう気持ちは止められない。

(ギルバートに会える…!)
 会えばきっと不安も消える。


 けれど、喜んだのは本当に一瞬。次の言葉に打ちのめされる。


「しかも、婚約者をお連れになられるそうよ!!」


(こんやく、しゃ…?)
 しばらく言葉の意味が理解できなかった。
 指輪が手から滑り落ち、シャランと音を立てて首元に戻る。
 それを眺め下ろし、ようやく言葉が頭に届いて。

「ギルバート……?」
 彼女の呟きは小さ過ぎて誰にも聞こえない。


 ここに来て、彼と自分の世界の違いを知り、彼の立場というものを本当に理解した。
 それでも信じていたかったけれど… もう……



「さあさあ、休憩の時間は終わりですよ! ご領主様方と一緒に大事なお客様がいらっしゃ
 います。いつも以上に気合を入れて準備をなさい!」
『はーい』
 女中頭の言葉に座っていた者も席を立ち、各々の職場に移動を始める。
 何も知らない彼女達は タリアのことなど気にも止めずにいなくなってしまった。

「…タリア、」
 ただ1人動かない彼女に同郷の女友達が声をかける。
「大丈夫よ。仕事だもの、ちゃんとするわ。」
 無理矢理に笑みを作ったのはすぐにバレて、心配そうな顔をされてしまったけれど。


 彼の愛を疑ったことはない。
 約束の証は服の下で揺れている。


 でも、


 信じていた世界が壊れる音が聞こえた。






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過去回想なんですけどね、予想外に長くなってしまってですね…
まあしばらくお付き合いください。



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