お伽話のそれから -09-
「…貴方はまた 彼女を選ぶのですね。」 「エマ…?」 彼女が今何を言ったか聞き取れず、アスランは疑問に思って聞き返す。 何故か 彼女の周りに闇が纏わりついているようにも見えて。 「私の傍を離れ、また……」 ならばもう1度、 今度は、必ず貴方の全てを手に入れる――― 「随分と複雑なことになってますねー」 「「!?」」 突然、しかも頭上から聞こえたのほほんとした声に2人ともびくりとする。 見上げれば、そこには箒に跨り 宙に浮いている若草色の髪の少年がいた。 着ている黒いローブで魔法使いというのは分かったが、何故彼がここにいるのか。 そんな2人の疑問をよそにマイペースな少年はふわりと降り立つ。 「誰だ?」 眉を顰めるアスランに対し、少年はその妖しげな黒い服とは対照的に柔らかく微笑んだ。 「通りすがりの魔法使いです。大きな魔力の動きを感じたので来てみたんですが…」 そこで彼は言葉を切り、急に表情を変えてスッと視線を鋭くする。 「…まさか王子殿下に呪術をかける人間がいるとは思いもしませんでした。」 箒はいつの間にか杖に変化していて、彼はその先をアスランへと向けた。 するとアスランとその杖との間に軽く火花が散る。 一方のアスランは 思い切り苦い顔をする少年が口にした耳慣れない単語に首を傾げた。 「呪術?」 「そうです。"呪術"とは魔法と同じでありながら異なるもの。…貴方の身辺で最近何か変 わったことは?」 その問いにアスランは少し逡巡する。 思い当たる節はひとつだけ。 「記憶を失くしたな… 一月以上前の話だが。」 キラを手に入れた今 別段不都合はないが、変わったことといえばそれしかない。 それに対する彼の反応は やはり渋い表情で。 「それはまた随分と高度なものですね。失くしたのは全てを?」 「いや。14才までの記憶ならある。」 「アスラン様! このような得体の知れない者に素直に返事をなさる必要などございません わ!」 聞かれるから答えるといった調子で返していたアスランを庇うように エマが2人の間に 割り込んだ。 「貴方一体何なの!? いきなり現れて アスラン様に無礼な態度を!!」 「…ずいぶん優秀な侍女ですね。」 ニコルの冷やかな視線に一瞬彼女も怯むがそれ以上は引かない。 そしてその彼女を見てニコルはあることに気がつく。 「貴方―――…?」 「ニコル!?」 続いた言葉を飲み込んだのは、ニコルもよく知る姫君の声。 驚いた声を上げた彼女は、回廊から飛び出して彼らのいる木の下へ駆け寄った。 「あ、キラさん。お久しぶりです♪」 キラに笑顔を向ける彼は もういつも通りの彼だ。 その彼にキラは走ってきた勢いのまま詰め寄る。 「久しぶりじゃないよ! ずっと探してたのに!!」 「あはは、すみません。ちょっと珍しい植物を探しに隣の大陸まで行っていたので。」 そこに「コラ、置いていくな」とイザークも追いつき、それを見たアスランがムッとした のは置いておくとして。 息を切らす彼女に苦笑いしたニコルはそのアスランの方を振り返った。 「…聞きたかったのは王子殿下のことですね?」 キラもまた顔を上げるとアスランの方をちらりと見る。 「うん。記憶の失くし方が不自然だったから 君に聞こうと思って…」 「いい推察ですよ。彼の記憶喪失は呪術です。…どうやら僕の留守中にネズミが入り込ん だようですね。」 『…ネズミとは人聞きの悪い。』 ゆらりと木の影が一瞬揺らめき、そこから黒いマントを身に纏う男が現れる。 明るい太陽の下で異様なほどの闇色に誰もが息を呑む中、表情を変えないのはニコルだけ だ。 「嫌なら手を出さないことですよ。本当に貴方は変わらない。」 何度目ですか?と 彼はどこか呆れた風に溜め息をつく。 『心外だな。私はただ純粋な女性の恋の悩みを聞いてあげただけだ。』 「……それで実体もない女性に身体を与え、共に城に入り込んだというわけですね。」 ニコルからもたらされた事実に、キラとイザーク、そしてアスランもハッとして彼女の方 をはじき見た。 "実体がない"という言葉に愕然とする。 ならば 彼女は… 「何を対価に? そもそも貴方には何の得もないはずですが?」 "彼"の性格をよく知るニコルは 単に恋の悩みを聞いただけとは思っていなかった。 けれど闇色の男は 本当にそれだけだと声なく笑う。 「我々には無限に近い時があるからな。王宮にも久しく顔を見せていなかったし たまには 善意の行動も良いだろう?」 「かなり傍迷惑な善意ですよね。どうせ貴方のことですから退屈しのぎに混乱させたかっ ただけでしょう。この愉快犯。」 「さっきから… 姿に似合わず口の悪い男だな、君は。」 可愛らしい姿からは考えられない辛辣な言葉の数々に彼は苦笑いを漏らす。 とはいえ 中身は自分と変わらないほどの長い時を生きてきた男なのだが。 「貴方だって本気で願いを叶える気なんてなかったんでしょう?」 「止めて!」 これ以上は耐えられないと彼女が声を荒らげる。 「エマ…」 「もう良いの。願いが叶わないことは最初から分かっていたから。」 疲れたように息を吐いて彼女は遠くを見つめる。 空虚な様子はアスランの知る明るく朗らかな彼女ではなかった。 「でも一瞬でも夢を見たかったのよ… あの日に戻りたかった……」 1番幸せだったあの日、ずっとあそこにいたかった。 いつか終わりが来ると知っていても、それでも変わらない日々を願っていた。 一度目を伏せた彼女は 顔を上げるとキラへと視線を向ける。 その今にも消え入りそうな儚い笑顔にキラはずきりと胸が痛んだ。 「姫様… 愛された貴方が羨ましい。隣に立てる貴方が本当に羨ましいわ。」 ずっと傍にいたのに愛されなかった彼女と たった一夜の逢瀬で愛されたキラ。2人の違 いはなんだったのだろう。 次に彼女は隣にいるアスランの方を見る。 「貴方が私に求めていたのは姉としての存在だった。私だって5つも年下の貴方をこんな に好きになるなんて思いもしなかった。…でも、好きになってしまったの。結果を知って いても 想いは止められなかったのよ……」 身分違いの恋。 誰にも知られることのない片想い。 何も望んでいなかった。 ただ傍にいられるだけで良かった。 でも、残酷な世界は彼女に絶望をもたらした。 「貴方の前から姿を消したのは耐えられなかったから。姫君だけしか映さなくなった貴方 を傍で見続けるなんて出来なかったからよ。」 傍にいられるだけで良かった。 …そう思っていた。 でも、傍にいても貴方は私を見なくなったから。 あの日、城を飛び出して。 城下を彷徨って。 ……、そして……? 「私は、馬車に轢かれたのね……」 思い出したと彼女は呟く。 自分の死に気づかず 時間の狭間でずっと彷徨っていたら闇色の男に出会った。 そして、2年も経ってるだなんて知らなかった自分は 「願いを叶えてやる」という言葉 に乗ったのだ。 抜け出せない絶望の闇の中で、それは光に見えたから。 「俺は? "俺"は何をしていたんだ? 慕っていた彼女がいなくなったというのに!」 何もしなかったのか?忘れていたのか? アスランは抜け落ちた記憶の中の自分へ憤りを露にする。 それを宥めたのは唯一事実を知るニコルだった。 「探していましたよ ちゃんと。けれど、世間は貴方のご成婚の祝賀ムードでした。だから 知らされなかったんです。そしてその後彼女のことは事故ではなく行方不明と報告されま した。」 アスランが慕っていたとはいえ、エマは王族でも貴族でもなくただの侍女。 彼女1人が消えたくらいで騒ぎになるようなこともなかった。 虚偽の報告がアスランを思いやってのものかは想像するしかないが、そうして彼女のこと はうやむやのまま忘れ去られていったのだ。 「何故 そんな…」 「…いえ、それが分かれば十分ですわ。」 納得がいかない様子のアスランに対し、エマは笑みすら浮かべて。 「貴方は私を探してくれていた。それだけで私は満足です。」 彼女の中で止まっていた時が動きだす。 "自分"を認めた瞬間から、何故かひどく落ち着いている自分がいた。 光に満ち溢れたこの世界の中で、もう闇を感じていない。 「…事情は分かった。だが、どうすればアスランは元に戻るんだ?」 無関係故に今まで何も言わなかったイザークがそこで初めて横から口を挟んだ。 その気持ちは分からないでもないが、今のこの状況でというのは少し躊躇われてキラは慌 てる。 「王子、今はそんな―――」 「そこが1番重要なことだろう。今回の件は別に誰のせいでもない、それが分かれば十分 だ。その女とのことはアスラン個人の問題だろうが。」 止めに入るキラの言葉も意に介さない発言は、けれど至極最もで冷静な意見だ。 感情に流されていたキラはそこでグッと言葉を詰まらせた。 『なに、簡単な…』 「簡単なことですわ。契約者である私がいなくなれば良いのです。」 「な、…!?」 私が消えれば呪術の効果も消える。 それを聞いたアスランが愕然として声を上げた。 「大丈夫です。そんな哀しい顔をなさらないでください。」 そこで貴方がそんな顔をしてくれた。 今なら分かる、自分はなんて贅沢者なのだろう。 とても満たされた気分だった。絶望を感じていた自分がおかしいくらいに。 「元々自然の摂理を歪めた存在なのですから、私はここにいない方が良いのです。」 「!」 こちらの言葉に反応したのはキラの方。…誰も彼女を見ていなかったから気づかなかった けれど。 「さあ、魔法使いさん? 私を元の時間に返してください。」 くるりと振り返り、エマは闇色の男に明るく声をかける。 アスランがよく知る彼女の表情で。 『王子に何か言い残したことはないのか?』 「ないわ。もう一度あの頃に戻れた、それで私の願いは叶ったでしょう? それ以上を望む のは贅沢だもの。」 彼女の言葉を受けて 彼はなるほどと納得したようだった。 おもむろに取り出した杖で男は地面に光の紋様を描く。 最後に一度アスランの方を振り返ったエマは にっこりと満面の笑みを向けた。 「どうぞお元気で。姫様との幸せを願ってますわ。」 「…ッ」 引き止める言葉を持たずにアスランは伸ばしそうになる手をグッと堪える。 記憶がないアスランにとっても、エマの存在は救いだった。 1番最初に欲しかった言葉をくれた女性。 やっぱり姉のような存在だったけれど、彼女に等しい気持ちは返せないけれど。 「さようなら、アスラン様。」 光の中に一歩足を踏み入れた彼女は笑顔を残して消えた。 他に、何も残さずに。 「貴方もさっさと消えてください。」 「また会おう。次は何百年後になるかな?」 いつ会っても"少年"のままの彼に笑いかける。 返すニコルの表情はどこまでも冷やかだ。 「僕はもう会いたくありません。どうぞ、さようなら。」 そうして男も闇の中に溶けて消えた。 「エマ…」 彼女が消えた空をアスランはただ見つめるしかない。 涙こそ出ていないものの、キラにはアスランが泣きそうに見えた。 「―――…」 その背中に触れようとして、キラはその手を止める。 「…王子、行きましょう。」 代わりにイザークの腕を掴んで引いた。 くるりと反転させられた彼はそれに従いつつも驚きを隠せない様子で。 「キラ? だが…」 ちらりとアスランの方を窺って 良いのかと視線で問われる。 キラだってこの選択が合っているのか間違っているのか分からない。 でも、、 「行きましょう。」 今は1人で、彼女のことを思う時間を。 NEXT --------------------------------------------------------------------- な、長… そしてごめんなさい、もう少し続きますー(汗) やっぱりオリキャラに感情移入しすぎました… あ、でも次はアスキラメインのエピローグですから!