第9話 − 囚われの王子(3)
「…貴方には分からないかもしれませんね。」
ウォルターの行動理由が理解できないと、そんな表情をしたアスランに、彼は仕方のないことだ
と返してきた。
一人っ子のアスランには分からないことだ と。
態度ははっきり問題外と言われているようで些か腹が立つが、確かにそれは事実だ。
彼の気持ちはどうやってもアスランには分からない。
「でも、僕もキラ君と同じです。彼と同じように、僕もヴィオラが大切なんですよ。」
誰よりも幸せに。
それが1番に願うこと。
大事な、大切な、ただ1人しかいない自分の片割れ。
それは恋にも似た―――、けれど全く違う感情。
恋人達のそれよりもっと強く、もっと深い、彼女への想い。
「…だが、キラはこんな気持ちを無視して婚約させるような真似はしない。」
親友を引き合いに出され、一部は納得したけれど。
同じに扱われるのはどうにも気に食わなくて反論すれば、おかしいとばかりに思いきり笑われて
しまった。
「それは貴方も彼女を好きだからですよ。もし同じ立場なら、キラ君だってこれくらいの無茶は
したでしょう。」
どうだろう、と考える。
キラはいつだって自分とカガリの仲をもどかしいと言いつつ応援してくれた。
ラクスと再会する前のキラは確かにカガリに依存してた様子もあったが、それでこちらの意志を
無視された覚えはない。
―――これだけは覚えておいて。
キラの言葉がよみがえる。
あれは確か カガリと付き合い始めた頃。
―――僕が君にカガリを任せたのは、君なら誰よりカガリを大切にしてくれると思ったから
だよ。だから、君の想いや行動がカガリを傷つけると思った時は容赦しない。
…もちろん 逆の場合もね。
キラは言ったんだ、"逆"の場合もそうだと。
行き過ぎた想いは狂気にも似ている。キラはそれを知っていた。
―――カガリもに君にも、僕は幸せであって欲しいと願うよ。
「…違うな。キラは君とは違う。」
根本的に違うと思った。
片割れを愛する気持ちは同じでも、その思いと行動が全然違う。
「それに。こんな犯罪まがいなこと、キラなら許さず止めるはずだ。」
2人は盲目的に思い合うのとは違っていた。
カガリだって、間違ってると思ったなら容赦なくキラを張り倒す。
ついでに俺のことも張り倒してくれた。
それが本当の優しさだと 俺は思う。
「何でも許して甘やかすことが 大切にすることと同じだとは思わない。」
キッパリと言い切ったアスランの言葉を聞いてウォルターは思わず息を呑んだようだった。
「……止めたかったのかもしれない。」
沈黙の後、彼が発したのは 注意しなければ聞き取れなかったかもしれない小さな呟きだった。
淡々とはしているが、いつもの彼らしくない沈んだ面持ちで 独り言のような言葉を落とす。
「でも、できなかった…」
「できなかった?」
オウム返しに尋ねるアスランの方を見上げて見るが、彼は自分自身に向かって言っているように
アスランを見てはいない。
「僕は甘やかすことしかできない。それ以外の愛情表現を、僕は知らない。」
困った様子もなく、後悔した様子もなく、ただ事実を述べるように。
それはいつもの彼だけれど、どこか違う気がして。
どこか不安定な、危うい何かを感じさせてしまうような、そんな風に見える空虚な瞳が少し不気
味にさえ感じる。
よく分からないが どうやら自分は開けてはいけない記憶の箱を開けてしまったようだった。
「初めて彼女に出会った時から…ずっと、そうやって愛してきたから。」
「"出会った"時……?」
次々と落とされる呟きの中に 突如浮かんだ違和感と疑問符。
♪ ♪♪♪ 〜
しかし、聞き返そうとしたアスランの言葉を遮るようにウォルターの携帯が鳴った。
はっと弾かれたようにポケットから取り出し、通話ボタンを押した時にはもう完全に元通り。
空虚さを感じさせる不安定な雰囲気もすっかり消え去っていた。
「ヴィオラ? どうかしたのか?」
<ウォルター! 早く来て!!>
問いかけに対して返ってきた 泣きそうなほど悲痛なヴィオラの声。
彼の表情が途端に変わる。
「…大丈夫、今すぐ行くから。」
厳しい表情では想像もつかないほど 優しい声でそう言って。
返事を待ってから電話を切る。
「……たとえこの愛し方が間違っていても、僕は今までこうやって彼女を守ってきたんです。
今更変えることなんてできません。」
一言言い残すと彼は走りだして。
目的地が同じことを思い出したアスランも 急いで彼の後を追った。
互いに姿を確認した時にはもう、ヴィオラは視界から消えていて。
どん と押し倒すような勢いでしがみつかれた。
「ウォルター! キラが… キラが……っ」
背中を撫でてやると彼女はもっと泣き出してしまう。
何があったのかは、後ろから遅れて入った彼に走り寄ったカガリが説明した内容で大体のことは
把握できたけれど。
「嫌! キラは私のものなのに!!」
必死で縋り付いているものは"兄"ではなくて、一途な恋心。
そんな彼女が痛々しかった。
顔を上げると、ベッド端に座ったキラの手首にハンカチを当て 珍しく泣きそうにしている歌姫
の姿があって。
キラは彼女の髪に触れながら、優しい笑顔で何か言っている。
たぶん"大丈夫"辺りのことだろう。
入り込めない、と思った。
2人の世界は2人で完結して他人を必要としない。
どう足掻いても、割り込んだヴィオラの方が傷つくだけだ。
今までそれに気づいていながら見ぬふりをしていた。
彼女の望みを優先するあまりに。
結果的にヴィオラを傷つけたのは自分なのだろう。
「納得いかないわ! そうでしょう!?」
彼女の望む通りにさせれば彼女はもっと傷つく。
それが分かるから 何も言ってやれなかった。
今までなかった事態に、ウォルターもどうすれば良いのか分からない。
「―――納得がいく形ならよろしいんですのね?」
その時 凛と響いた声に、ヴィオラがぴたりと泣き止んだ。
「……何?」
ヴィオラから睨まれても物怖じせず、にこりといつも通りに微笑んで ラクスは彼女に歩み寄る。
その後ろのキラが少し慌てている様子を見ると、どうやらこれは彼女の独断らしい。
「賭けをしませんか?」
「ラクス…っ」
キラの制止の声も"大丈夫です"の一言で片付けてしまって。
感情が分からない彼女の笑顔では キラも黙り込むしかなかった。
「私が負ければ私はキラを諦める、貴方が負ければ貴方が。」
どうでしょう? と、彼女は提案を進める。
賭けるものは"キラ"。
確かに 勝てば本当に彼が手に入る。
相手が身を引くというのなら、キラだって諦めるしかなくなる。
揺れているのを感じ取ったのか、ラクスはもう一言付け加えた。
「勝負方法は貴方にお任せします。ヴィオラさんが好きなものでよろしいですわ。」
「――――……」
探るようにじっと見つめた後、ヴィオラは自分の部屋をぐるりと見渡す。
ベッドサイド、机の上、そして窓側のティーテーブルで目が止まった。
「―――なら、チェスはどう?」
「分かりました。」
あっさりと了承する彼女にキラはさらに慌てる。
「ラクス!? だって君、チェスなんて…!」
「大丈夫ですわ。ルールはちゃんと知っていますから。」
ヴィオラはウォルターの手を離れ、テーブルのチェス台の準備を始めた。
それを見ながら躊躇いなく席に着こうとするラクスをキラが止める。
「そういう意味じゃなくて…ッ」
ラクスが負ける勝負を仕掛けるとは思っていない。
けれど、ヴィオラは趣味にしているだけにかなり強いことを知っていた。
対してラクスがチェスをしている所をキラは見たことがない。
だから彼女が強いかどうかを知らないのだ。
勝負がどうなるか分からない以上 さすがにキラも不安を感じずにはいられなかった。
「―――キラ。彼女の味方ばかりするのは不公平よ。」
「そうですわね。キラ、アスラン達と一緒に見ていて下さい。」
キラ自身 当事者のはずなのだが、女同士の勝負には不要だと追い出されてしまう。
かくて チェスの賞品になったキラは、その意志も置き去りに ただの傍観者として見守る立場に
立たされてしまった。
ラクスが白、ヴィオラは黒。
鏡張りのチェス盤に 1つ目のガラス製の駒が置かれる音が響いた。
「―――チェック」
言葉なく駒の音だけが聞こえていた室内で、ラクスが不意に声を出した。
ハッとしてヴィオラはチェス盤を確かめ、次に表情を変える。
「……っ」
黒のKingが白のKingによってチェックされていた。
しかも、どこに逃げても近くにはQueenも控えていて。
Queenもすでに失っていたヴィオラにはどうすることもできない。
「チェックメイト」
にっこりと微笑んだラクスの口から勝利の宣言が告げられた。
「ラクスがチェスをやる姿は初めて見たけど…」
言われた通りただ見守っていただけのキラが感心したように呟く。
「性格がよく現れているね…」
「Queenを動かしたのは1度。しかもあそこでKnightを犠牲にするのか…」
その隣のアスランは 自分ともキラとも違う戦法に少し驚いているようだった。
ちなみにアスランは模範解答のような無駄のない駒の動きをし、キラはどちらかといえば攻撃重
視に展開させていく。
「アスランなら勝てた?」
「こちらのQueenを取られるようなへまをしなければな。誘導されていることに気づけばどうにか
なる。」
「よく分からないが… つまりラクスは強いのか?」
興味を持てなかった故に チェスにはあまり詳しくないカガリが尋ねる。
それに答えたのはアスラン。
「まぁそれなりにな。全体を見通してないと確実にこちらが呑まれる。」
「…貴方、チェスをしたことなかったんじゃ……」
「ええ ありませんわ。ルールはキラとアスランがやっているのを見て覚えました。」
負けたショックから抜け切れていないヴィオラに対して、ラクスはやはり笑顔を絶やさず ケロリ
としてそんなことを言う。
本当にただ隣でじっと見ていただけだった。
たまに聞かれて解説はしていたけれど、本当にそれだけで。
何も教えた覚えはない。
「けれど 私、今まで賭けには1度も負けたことがありませんの。」
うん、ないよね。と呟いたのはキラ。
それにしても彼女の強運には誰もが驚くしかなかった。
「―――ヴィオラ。」
ぽん、と彼女の肩をウォルターが叩く。
「負けてしまったね。それでこれからどうする?」
「っ!」
今思い出した というようにヴィオラの顔がサァッと青褪めた。
このチェス勝負の目的。
負けた方がキラを諦める、そういう約束だった。
「わ、私……っ」
「…ヴィオラも本当は分かってるんだよね。少し遅過ぎたんだ 僕達は。」
ビクリと彼女の肩が震えて、ウォルターはその小さな肩を抱き寄せる。
僕はこんな愛し方しか知らない。
でも今の僕にできるのは これだけしかないから。
―――これも愛し方の1つだと思うから。
「大丈夫、君には僕がいるから。傷はまだ癒せるよ。」
ヤマト・アスハ両家とフィルゲン家の婚約解消が発表されたのは、それから10日後のこと。
---------------------------------------------------------------------
長い長い。しかも終わってませんよ…!(汗)
てゆーかこの話の主役はオリキャラですか…!?
BACK
NEXT