希望
〜僕らの進む路は…〜




 お昼前の やわらかい陽射しが石造りの路地に光を落とす。
 周りに人通りはさほど多くはなく、大通りからわずかに離れただけでこんなにも静かだ。

 そこを多少よろめきながら歩く少年がいた。
 彼が歩くたびにその濃茶の髪が揺れる。
 そして彼の頭の上を旋回しながら飛んでいる緑色のトリ。
 よく見るとそれはロボットで、たまに彼の頭の上にちょこんと降りては首を傾げた。

「やっぱり連れて行った方が良かったかもしんないな〜…」
 顔まで隠れる大きな紙袋を持ち直し、彼はある建物の門へと入っていく。


 路地裏の中ほどにある、目立たない場所の小さなアパート。
 型はクラシックで 何処かの学園の寮のような雰囲気さえする。
 今は誰にも見つけられたくなくて、わざとこんな場所に住むと決めたのだ。
 壁は清潔な白で、建物前には花壇が置いてあり そこには季節の花が鮮やかな色で開いている。
 内装も、壁のクロス、天井も適度に明るい明かりも、傷んだ様子は微塵もない。
 この近くでは1番新しい建物だ。
 そして、丹念に掃除が施された所を選んだのは、一緒に居るもう1人の少年の為だった。






 2階の最奥の端の部屋、そこが今の彼らの住まい。
 2人で住むのには十分過ぎるくらいの広さはあり、中もやはり清潔に 快適に配慮されていた。
 必要最低限揃えられた調度品、それらは全て柔かい色の木の素材。
 カーテンやカーペットは淡い色で統一されて涼しげに。
 これらは少しずつ、必要に応じて増えていったもので、最初は何も無かった。

 その室内で 1人の少年がリビングのソファに座ってテレビを見ている。
 少しクセのある若い草色の髪、幼い顔立ちの可愛らしい少女のようなその少年が見ているのは、
 べつだん変わった事も無いニュース番組。
 見ている、というよりは眺めているに近い。
 彼にはそれらが全て 遠い世界の出来事でしかないからだ。
 今の彼の世界の全ては、この場所だけだから。


「開けて!」
 玄関の扉の向こうで叫ぶ声に気づいて、彼はテレビから視線を離してそちらを向いた。
 それは聞き慣れた自分の同居人の声。
「今 行きます。」
 彼はクスクス笑うと席を立った。






「お帰りなさい、キラ。」
「ただいま ニコル。」
 そう言って紙袋を下げると 菫色の瞳がやっと見えた。
 こちらの少年も劣らず整った顔立ちをしている。
 1人で居れば少女に見えたかもしれないが、相手に比べると やはり何処となく男の子らしい。
 紙袋の1つを受け取って、ニコルもキラと一緒にキッチンに向かった。



「重かった〜〜」
 キッチンのテーブルに荷物を置くとほっと一息。
 長い間持っていたせいで腕まで痺れている。
 隣に立つニコルが 前の大荷物を覗きながら笑った。
「何をこんなに買ったんです?」
「市が出てて安かったから ついでに夕食分も買ったんだ。」
 
 そこで あっ、と思い出して紙袋の中をキラが探り出す。
「―――と、これはニコルに。」
「?」
 差し出されたのはA4サイズほどの長四角の紙袋。
 硬さと形からしても、何かの雑誌のようだ。

 中を開け 取り出すと、そこにはクラシック音楽関連の最新雑誌が入っていた。
「これ…!」
「ニコルが好きそうな本、見つけたから。」
 少し照れたようにキラが言うと、ニコルはそれをぎゅっと抱きしめる。
「あ、ありがとうございます…! この前見た時から欲しかったんです!」
 ニコルの輝いた瞳を見て、キラは優しく笑う。 
「喜んでもらえたなら 僕も嬉しい。」
 予想以上に喜ばれてちょっと驚いてしまったけれど、彼が笑ってくれるならそれでも良いと思う。
「すぐ昼食作るから、それまで読んでなよ。」
 今度はキラがクスクスと笑った。



 慣れた包丁さばきでニンジンを小さく刻む。
 初めての頃より上達したな、と自分でも思えるくらい上手くなった。
 そういえば、最初の料理は見るに耐えないものだった。
 味は比較的まともだったけれど、ニンジンなんかガタガタになってたっけ。
 それでもニコルは美味しいと微笑んで言ってくれた。
 それがお世辞でも、とても嬉しかったんだ。

 "キラ"としてできる事があると思えて、それが1番嬉しかったんだ。

「―――本当はあんな風に笑ってもらう資格なんて無いのに…」
 呟きは、本に夢中のニコルには届かなかった。



 ニコルは、あの時――― 僕に撃ち落された以前の記憶が無い。

 あの時のショックのせいか、目覚めた時に一切の記憶を失っていた。
 好き・嫌いとか感覚的なことは覚えていても、自分に関する記憶、自分がガンダムパイロットで
 あったことすら覚えていなかった。
 ニコルという名前は、アスランがそう言っていたから、僕はそれを覚えていただけ。
 彼に関することは 僕も何も知らない。
 ただ分かるのは、彼をそうしてしまったのは僕だ。

 僕のせいで彼は…

 憎まれはしても、笑ってくれることは無いと思っていた。
 でも、覚えていない彼は 僕を見た時、「ありがとう」と言ったのだ。
 だから言えなくて、記憶が戻らない限り、傍に居ようとその時思った。
 "頼れる友達"として。
 資格が無くても彼には笑って欲しかったから。



「あ、油… もう少ないや。今度買わなきゃ…」
 独り言で呟きながら キラは次の作業へと進む。



 …最初は償いのつもりで彼を助けた。
 同時に大破した僕と彼のガンダムの残骸の傍、そこで彼を見つけた。
 わずかに息をしていたのを見た時、何を思ったか 僕は彼と共に姿を消したのだ。
 今なら死んだことにして逃げられる。そう思った。
 もう人殺しはしたくなかった。
 そして 彼も殺したくはなかった。どうしても助けたかった。
 お互いのパイロットスーツはどこかに捨ててしまったから もう2人は連合でもザフトでもない。
 身分を隠したまま、僕は彼と共にここに移り住んだ。



 平和で充実した生活。穏やかな日常。
 逃げていると、現実逃避だと言われても、僕は今のままが1番幸せだと思っている。
 願わくば このままで。 
 ニコルの記憶も戻って欲しくないと、心で思う勝手な自分。
 でも、その方がニコルも笑っていてくれる。
 彼にももう戦争……人殺しの世界には戻って欲しくない。


 後ろを振り向くと、ソファの彼は周りが見えていない様子。
 テレビの音すらニコルの耳には入っていない。
 キラは複雑そうに笑うと、手を昼食の準備に戻した。




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