>--scene.09:やっと君を手に入れた--<




 ―――賭けの勝敗の結果は、実にあっさりしたものだった。




「今日は何しよっか。」
 ラグに一緒に寝転んで、隣できゃらきゃらと笑う我が子の頬をつつく。
 するとますます喜んだ顔で手を伸ばしてきたから その体を引き寄せて腕におさめて。
 それがあまりに心地よくて仕方なかったから、今日はこのままのんびり過ごそうと思った。

 "のんびり"―――それは最近取り戻した言葉だ。
 アスランと一緒にザフトに入ってからずっと、穏やかだとかのんびりだとかそういう言葉とは
 無縁の時間を過ごしてきて。
 停戦後ザフトに復隊してからは戦時中より時間的余裕はあったかもしれないけれど、でもいつ
 もどこか慌ただしくて、こんなに時間がゆっくりと流れるなんてコトはなかったから。

 今やることと言えば子育てと家事のみで、それは確かに大変だけど サポートも十分な上に仕
 事をしていないキラは時間をわりと自由に使うことができる。
 こうして何もしない日も最近は珍しくなくなった。

 訪れる眠気に任せて目を閉じる。
「…サラ、一緒に―――」




 ピンポーン




 静かな部屋に突然インターホンの音が響く。
 本当に眠いのなら無視して寝てしまうこともできたけれど、微睡んでいただけの頭は今の音で
 すっかり冴えてしまって。
 キラは仕方なくサラを抱っこしたまま起き上がると 各部屋に備え付けてある受話器を取った。
「はい、キラ・ヤマトです。」
 リビングの親機と違ってこちらの子機は画面がなく、伝わるのは音声のみだ。
 相手の声を聞くまで誰か分からないせいか、自然と緊張した声になってしまった。
『ミーナです。キラさんにと、お客様をお連れしました。』
「え?」
 耳慣れた女性の声に肩の力を抜くも、その内容に首を傾げる。

 自分に客とは一体誰だろう?
 ディアッカかシンなら事前に連絡があるはずだ。でも彼等以外に尋ねてくる人もいないはず。
 不思議に思いつつ、サラを柵付きベッドに置くと玄関に向かう。


 この時キラは、もう一つの可能性のことをすっかり失念していた。








「おはようございます。」
 玄関の扉を開けた先に立っていたのは キラのマネージャーを務める女性。
 20代後半の彼女自身もまた1児の母で、キラにとっては良き先輩であり姉のような人だ。
 たまに7つになる彼女の息子と一緒に遊びに来てくれることもある。
「サラちゃんは?」
「今まで一緒にラグに寝てたんですけど、来る前に部屋のベッドに置いてきました。」
 キラがおはようございますと返してすぐに尋ねられるこれも挨拶の続きのようなものだ。
 子どもが健やかに育つこと、それが彼女達の仕事なのだから。
「元気にしてますか?」
「はい、それはもう。食欲もあります。」
 自信を持って答えると良かったと言って彼女は笑う。
 最初の頃は会う度に相談ばかりしていたことがウソのようだと自分でも思った。
「じゃあもう大丈夫ですね。」
「え?」
 その笑顔のまま 突然言われたことを何のことかと戸惑う。
「本日付で育児プログラムの―――」

「キラ。」

 ミーナが書類の入った封筒をバッグから取り出すより早く、
 横から名を呼ばれ、腕を引かれてキラはびっくりした。
「え、…?」

 今の、声……

「―――キラ。」

 今度は強く、もう一度名前を呼ばれる。
 もう、疑うことなんてできなかった。

「アスラン…?」
 おそるおそる顔を上げる。
 最初に目に入ったのは満点の星が輝く夜の色、そして自分を真っすぐに見つめる新緑の瞳。
 前より大人っぽくなったのかな。…ますます彼はカッコ良くなっていた。
 そんな彼に一瞬見惚れ、遅れて現実を認識する。賭けをしていた彼女にとって、本来彼の訪問
 は有り得ない事態だった。
「どうして君が…―――ぅわッ!?」
 抱き寄せられるというよりは押された感じがして、目の前の視界がゼロになる。
 彼の後ろでドアが閉まる音とロックの音までしてから、キラは自分が置かれた状況に気が付い
 た。
「やっと会えた…」
 ギュッと強く抱きしめられて、そこから感じる温もりに涙が出そうになる。
 本当はずっと焦がれていたもの。自分から手放しておきながら、それでも心から欲しがってい
 たもの。
 そっと腕を伸ばせば彼はさらに力を込めてきた。


「…あすらん……」
 ずっと封じ込めていた思いを吐き出すように幾度も名前を呼ぶ。
 返事は求めていなかった。彼がここにいるというだけでキラには十分満足だったから。

 スイと顎を持ち上げられる。
 何を思うでもなく自然に目を閉じると、降りてきた唇が自分のそれとゆっくり重なった。



 最初は触れるだけだったキスがだんだん深くなっていく。
 薄く開いた隙間から舌が入り込み、きつく吸われ絡めとられて。
 吐息さえも飲み込まれ、甘く痺れる感覚に抗う間もなく酔わされた。

「キラ…」
 掠れた音で名前を呼ばれる度に身体が震える。
 足に力が入らなくなって崩れ落ちそうになるけれど、アスランは腰を支えてそうすることを許
 さない。
 声は声にならなくて、感覚すらも失いかけた頃、ようやく離された。
「…は……っあ…」
 彼の肩に凭れかかって大きく息を吐く。頭がまだよく働かない。
 そうして呆けているうちに、何かを口に含んだらしいアスランに唇を再び塞がれた。
「ふ…ぁ、ん……―――ッ!?」
 鈍った頭は何も考えず、さっきと同じように応えようと回した腕に力を込める。
 と、同時に彼の口から流れ込んできた小さな塊も されるがままに思わず飲み込んでしまった。
「…ッ今何を飲ませ……っん……」
 驚いて声を上げるも言葉は封じ込まれ、強く求めてくる彼からのキスはまた頭の芯まで痺れさ
 せる。
 そしてそれとはまた違う感覚が押し寄せてきて、意識がだんだんと遠くなっていった。
「…ア、ス……」
 力が抜ける。目の前にいるはずのアスランが遠い。
 薬で眠らされたのだと気づいた時にはもう意識は途絶えていて。



「……おかえり、キラ。」
 腕に陥ちた彼女を抱き寄せ、彼は独り呟いた。


















 ランプの淡い明かりに照らされた薄暗い室内は今が夜だということを告げている。

 ゆっくりと目を開けたキラはいつもと違う感覚に目を数回瞬かせた。


「―――え? どうして、ここ……」
 寝ていたベッドから身体を起こしてキラは辺りを見回す。そしてここがどこだか知ると、今度
 は驚きで瞬いた。

 知っている。ここは"キラの部屋"だったところだ。
 幼年学校の卒業と同時にアスランに連れられてプラントへやってきたキラに用意された、ザラ
 家本邸のキラの部屋。
 軍に入ってからは休暇で帰る"家"となった場所の、
 彼女にとっては住み慣れた部屋だった。

 見るからに女の子が好みそうな可愛らしい小物で溢れた部屋。
 柔らかな布やレースがふんだんに使われたピンク基調の内装は、キラの趣味というよりは娘が
 欲しかったというアスランの母レノアの夢がつぎ込まれている。
 天蓋付きのベッドも アンティーク調のお揃いの家具もみんなそう。彼女がキラのために選ん
 だもの。
 もう会えない彼女との思い出を壊したくなくて、キラは一切手を加えなかった。

 そして今も、全てが最後に過ごしたあの日のまま。




「お目覚めですか? キラ様。」
 控えめなノックの後で入って来たメイドは、キラが起き上がっていることに気づくと部屋の明
 かりを点けてから傍にやって来た。
 彼女のことも覚えている。キラが屋敷に来たのとほぼ同時に働き始めた少女だ。
 それから6年以上が経った今ではあの頃のような危なっかしさはもうない。
 懐かしく思ってしみじみ眺めていると、サイドテーブルの水差しを交換していた彼女が思い出
 したように顔を上げた。
「お腹は空いてらっしゃいませんか? 夕食には少し遅い時間ですけれど、お召し上がりになる
 のなら運んで参りますが。」
「え、もうそんな時間……」
 つまりアスランに飲まされたあれで 少なくとも半日は眠らされていたことになる。
 しかもその間にこんな所に連れて来られてしまった。
 "ゆりかご"は他機関より強い発言権を持ち、だからこそキラは軍を辞められた。なのに何故?
 アスランはどうやって僕を外に出したんだろう…?
「……そもそも、どうして僕はここに」

「ここがキラの家だからだ。」

「…アスラン……」
 独り言に返事が返ってきたことに驚きはしなかった。
 視線を向けると彼はちょうど扉を閉めたところで、メイドの女性は一歩下がって彼に深く頭を
 下げる。

 ……今はアスランがこの屋敷の主なのだからそれが当たり前の態度なのだと分かってはいるけ
 れど。
 こういう光景を見る度に もうあの人はいないのだと思い知らされて、キラは心が痛むのを止
 められない。
 間接的であれ、結果的にあの人を殺したのはキラ達だ。
 ―――厳しいけれど優しくもあったアスランの父、パトリック・ザラ。
 戦争に狂わされた人だとアスランは言っていた。
 キラは哀しい人だと思う。それだけ自分の妻を愛していたのだろうと考えると。
 愛する人を殺されて、それで正気でいろなんて無理だと思うから。

 彼女にアスランは後は自分がやるから下がって良いと告げる。
 普通ならここで戸惑うのだろうが、彼がキラに構いたがるのをよく知っている彼女はその言葉
 に素直に従った。



 彼女が出て行くのを視線で見送ると、彼は枕元に浅く腰掛ける。
 そうしてそっとキラの頬に触れた。
「よく眠れたか?」
 …薬で強制的に眠らせた人間が言うセリフじゃないと思うけど。
 ジト目で見るが アスランもわざと言ったのだろう、言っている表情にも声にもからかいの色
 が透けて見えた。
 それが分かったから彼女もますます不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。
「これは……どういう、こと?」
 再会して、次に目が覚めたらアスランの家だなんて。
 キラは何も知らないし聞かされてもいない。
 突然こんな目に遭って納得できるわけがなかった。
「キラは今日からここに住むんだ。欲しいものはなんでも言って良い。」
 答えているようでいないような。
 間違いではない、けれどその答えではキラの疑問の解消にはならない。
「そういうんじゃなくて……って、サラは!? 僕の大事な…っ!!」
「大丈夫。あの子は優秀な乳母が見ている。」
 まさかあそこに置いてきてしまったのでは と思って青くなるが、あっさり返ってきた言葉に
 ほっとした。
 やっと母親としての自信が付いてきたところなのに。こんなことでは母親失格と言われても文
 句も言えない。
 起きて一番に考えたことが我が子のことではなかったことにまず凹んで、すぐ後に今の今まで
 忘れていた自分に腹が立った。

「会わせて、あの子に。」
 居ても立ってもいられない。あの子が元気でいるか今すぐに確かめたい。
 あの子は何処とキラが詰め寄ると、彼は答えの代わりに綺麗に微笑んでキラの肩を掴んだ。
「その前に―――」
 彼の後ろの景色が変わる。
 2人分の体重を受けて軋むベッドの音で自分の状況を知った。
「会わなかった分の埋め合わせをしたい。」
 キラを押し倒したアスランは甘い声で囁きながら首筋に顔を埋める。
 そして触れる吐息の擽ったさに身を縮める彼女をからかうかのように歯を立てた。
「…ッ アス、」
 慌てたのはキラの方だ。
 これから彼が何をしようとしているのか、それが嫌なくらい分かってしまって。
 もちろん受け入れたらどうなるかも。
 だから慌てた。
「待って、」
「待てない。」
 突っぱねようとしてもびくともしない。
 だんだんと降りていく唇はいつの間にかはだけられた鎖骨にも寄せられる。
 思わず声が漏れそうになって、必死で抑えた。

 流されるわけにはいかない。
 だってサラに、僕はあの子を……


「―――後で好きなだけ会えるから。だから今は、俺だけのものでいて。」
 不意に。
 顔を上げたアスランが額にキスを落として見つめてきた。
 その表情はひどく真剣で。そしてどこか必死さを感じさせて。
「…ズルイよ。」
 そんな風に言われたら拒めない。
 彼にすればすごく珍しいその余裕のなさが 可愛いとか嬉しいとか。

 しょうがないなと苦笑うと、キラは降参の意味を込めて彼の背に腕を回した。




→scene.09:side.Bへ←



---------------------------------------------------------------------


ついにお父さんがお迎えに来られました。
あっさりしてるのも予定通りです。
アスキラは あぁ、こういう所が聖母と違うんだな〜とか思いながら書いてました。

Side:Bはえにょです! はっきり言って疲れました!



BACK