>--scene.05:side.B--<




「…気を失ったのか。」
 青い顔をして横たわる彼女をそこでやっと解放してやる。


 手加減はできなかった。そんなことを考える余裕すらなかった。
 自覚はなかったが… おそらく完全に我を忘れていた。

 ―――イザークと寝た と聞いた時はまだ己を保てていたのだ。
 どうしてそんな馬鹿なことをとは思ったが、アスランがラクスと何を企てているかを知らない
 キラなら 思いつめて何をしてしまっても仕方がないと思えたから。
 けれど、その後突き付けられた別れの言葉に 完全に理性は焼き切れてしまって。

「…キラ……」

 自分を捨てて他の男の所に行くなんて許せなかった。
 やっとその手を捕まえたのに、するりと抜け出して飛び去って行こうとする愛しい少女。
 どうしても、どんな形でも繋ぎ止めておきたくて。


「愛してる、キラ…」
 汗で張り付いた彼女の前髪をそっとかきあげ、柔らかな頬に手を滑らせる。
 涙の跡に唇を寄せて丁寧に舐めとって、最後に瞼の縁へキスを落として。
 いつもはそこで震える瞼も、今日は固く閉ざされたままで 開く気配すら見せなかった。
 それが彼女の拒絶のようにも思えて胸が痛んでしまう自分は 傍から見たら滑稽なのかもしれ
 ないが。

「俺はお前しか要らないのに……」

 キラさえいれば他に欲しいものなんてないのに

 呟いた言葉は空しく闇に溶けて消える。


 しばらくは飽く事なく彼女の寝顔を眺めていたアスランだったが、一つ行く場所を思い出して
 服を手早く着込むと静かに部屋を出て行った。












 アスランが向かった先は現在謹慎中の部下―――シンの部屋。
 今は勤務時間帯、レイはMS調整で部屋にはいないはずだ。
 …もっとも、もしそこにいても 彼なら自然に席を外してくれるだろうが。



「気分はどうだ?」
 突然アスランが現れても彼は別段驚きはしなかった。
 帰っていることはきっとレイが教えていたのだろうし いずれここに来ることは分かりきって
 いたことだ。
 手にしていた携帯をベッドに放り、返事もなく座ったままでシンはアスランを見上げた。

「―――立て。」
 たった一言。簡素な命令に意味も分からずに シンは素直に従って立ちあがる。
「? 何ですか? 一体―――っ!?」
 最後まで言う前に飛んできた拳を避け切れず、左頬にまともにくらってしまったシンは見事に
 吹っ飛ばされた。


「…ったぁ…」
 一応すぐに身を起こせたものの、ベッドにぶつけた背中が痛い。
 頬に覚えのある痛みを感じ、それはだんだんと増してきて。またかよと不貞腐れた様子で小さ
 くぼやいた。
 シンにしてみれば殴られたのは2度目だ。それ相応のことをしたとはいえ、殴られてあまりい
 い気はしない。
「本当なら俺もイザークと同意見だが。これで今回のことは忘れる。だからお前も忘れろ。」
 もし逆の立場にシンが立ったなら相手をその場で殺してしまいそうなことを、彼はこの一発で
 済ませてくれると言う。
 とんでもなくお人好しなのかと一瞬思ったが、少し違うなとすぐに思い直した。

 …すべてはあの人のためだ きっと。
 シンのために真実を隠し通した、本当のお人好しのために。
 この人が彼女の努力を無にするようなことをするはずがなかったのだ。


「―――あの肌もあの声も、俺だけのものだ。誰にも渡す気はない。」
 静かに、けれど威圧感のある強い言葉でアスランは告げる。

 誰も知らなくて良い、俺だけが知っていれば良い。
 2人きりのときだけに見せる甘えるような態度も、月明かりの下で艶やかに笑む姿も。
 甘い唇、柔らかな肌、細い腰、、
 一度知ったら手放せない麻薬のような。
 そんなものを誰が、他人に触れさせたいと思うのか。

「…隊長には婚約者がいるんじゃなかったんですか?」
「あぁ、それがどうした。」
 あっさりと言い放ったアスランに、さすがのシンも面食らったような顔をした。
 彼の婚約者は宇宙規模で名の知れた歌姫、ラクス・クライン。
 それをたった一言でバッサリ切り捨てるなんて、と。
 けれどアスランにはそんなものどうでも良かった。
 いつでも彼の心を占めているのは彼女、ただ1人だけだったから。

「たとえ誰が許してくれなくても 俺はキラだけを愛している。」

 もし世界中が敵になったとしても、それで今の地位を失くしたとしても、それだけは不変だ。
 ずっと想い続けたこの気持ちが今更変わるわけがない。断言しても良い。
 ……もちろん、たとえキラ自身が許さなくても。
 それとアスランの気持ちに関係はない。

「せっかく計画通り事を進めていたというのに。お前のせいで台無しだ。」
 本当に苦々しい表情でアスランはシンを睨む。
 その表情を見て シンも気づいたようで。
「―――別れたんですか?」
 思ったままに直球で尋ねてくる彼をアスランは憮然と見下ろす。
「…嬉しそうだな。」
 表情はさほど変わらないが 声には喜色が滲んでいた。
 そしてその指摘をシンは否定しない。
「いえ、1人で考えてる間に気づいたんで。俺、あの人のこと好きだったんだなって。」


 だから余計に裏切られたような気がして。
 八つ当たりの方向を間違えて、あんなとんでもないことをしでかしたのだ。

 本当はとっくに気づいていたのに。…2人が想い合っていることも、誰も2人の間に入れない
 ことも。
 ただ、認めたくなかっただけで。
 分かってしまえば簡単過ぎることで、今はもう開き直りに近い感じだ。

「まぁ、あんなことしておいて好きになってもらおうなんて考えてませんけどね。」

 キラにとってのシンは罪悪の対象。
 前と同じように可愛い後輩として接してくれたとしても、決して 間違ってもそういう対象で
 は見てはくれない。
 それは自業自得だ。そのくらいのことはシンも理解っている。


「…満足か? 俺とキラが別れて、お前の思う通りになったか?」
 アスランの瞳は相変わらず冷やかだ。
 けれど普通なら萎縮してしまうはずのそれも、シンにはあまり通じない。
「十分です。……あの人は俺のものにはならない、なら誰のものにもなって欲しくない。」
 いつか誰かが呟いた言葉と似たようなことを シンは真っ向から見返して言った。
「そう思うのはいけないことですか?」
「…いや。」
 アスランにシンの気持ちを否定する気はない。
 けれど、素直にシンの思惑通りに踊ってやる気もない。


「だが 俺は諦めが悪いんだ。必ず―――取り戻す。」
 事実上 シンに宣戦布告をすると、アスランは颯爽と身を翻してドアへと向かう。


「―――俺にはもう キラしかいないんだ……」

 ドアの向こうに消える前に彼が残した静かな呟きは、シンの耳にいつまでも残っていた。








*******







 キラが重い重い瞼をどうにか開けたとき、薄暗い部屋はしんと静まり返って 人の気配すらな
 かった。
 自分を拘束する温かな腕も、目を開けるといつもはすぐそこにあった穏やかな寝顔も、今は微
 かな名残さえ残っていなくて。

 意識を失ってからどれくらい経ったのだろうか。
 せめて今が昼か夜かぐらい知りたかったけれど、部屋には窓がないから外の光で時間を知るこ
 とはできない。
 だからといってサイドボードの時計を見たくても、今の自分は片腕すら動かせない状態で。
 …全身がだるくて寝返りすらも億劫だった。
 この分だとまだしばらくは起き上がれそうもない。
 こんなことは最初の頃以来のような気がする。

「…手加減ナシ、か。おかげで動けないじゃないか……」
 喉もカラカラで 呟いた言葉は掠れて耳に届いた。
 誰に言っているわけでもないから それは別にどうでも良いのだけれど。

「手加減されてたんだなぁ… 知らなかった……」
 言葉と共に自嘲に近い笑みが零れる。
 そんなことにも気づけなかったなんて、一体自分は彼の何を見てきたのだろう と。

 見えない優しさを当たり前のように受け入れて、彼の苦労を知りもしないで。
 大切にされていた、確かに愛されていた。
 彼はこんなにも優しかったのに。
 それを振り払ったのは、裏切ったのは――― 誰でもない 自分自身。

「ふ…っ…」
 ぽろりと一つ零れ落ちれば、とめどなく溢れてくる大粒の涙。
 ぎゅっと目を瞑ってもそれを止めることはできなかった。
「ごめん、ごめんね… 傷つけてごめんね……」


 何度も謝りながら1人で泣いた。
 彼の前では泣けないから、その分まで 今泣いておこうと思って―――…




→scene.06へ←



---------------------------------------------------------------------


2度も殴られたシンが不憫だなぁ… キラに手を出した代償ではあるけれど。
アスランとシンのシーンはモノローグが混在していて分かりづらいかもしれません…(汗)



BACK