>--scene.03:本当の望みが叶わないのなら--<




 翌日 シンが謹慎処分を受けたことは広まっていたけれど、その理由は誰も知らなかった。
 キラ達以外で唯一の目撃者であるレイが一切口を割らなかったのだ。
 その事実がどれだけシンに不利益をもたらすか、レイは良く理解していたから。
 キラはそんなレイの口の堅さと冷静な判断力に心底感謝した。
 ただ そのことで彼に礼を言ったら "当然のことをしたまでです"と返されてしまったけれど。


 それでもやはり、気になるのは仕方がないことで。
 何かと世話をやいていたルナマリアは特に心配だったらしい。
 その日初めて会った時の話題からシンのことだった。

「シンが謹慎って何やらかしたんですか?」
 レイが駄目ならと 事実上現在隊のトップであるキラに尋ねてきたのも妥当だと言える。
 そんなルナマリアからはシンを気遣う優しさが見て取れて、キラは努めて軽い笑顔を返した。
「ちょっとした規律違反だよ。」
 実際は"ちょっとした"では済まされないものだけれど。
 そして規律違反でもないけれど。
 他に誤魔化しようがなくて そんな言い方しかできない。
「でも、謹慎処分だなんて…」
 よほどのことをしたんじゃないか、と。
 やっぱりその程度の誤魔化しではルナマリアは納得してくれなかった。
 彼女の鋭い指摘に思わず迷う。
 だからといって真実を話すわけにはいかないし、どう言えば彼女は引いてくれるのか。

「俺の判断だ。」

「ジュール隊長!?」
「イザーク。」
 キラの背後から突然現れた彼にルナマリアはかなり驚いた様子で目を丸くしている。
 それを特に気にするでもなく イザークはキラの頭を書類で小突いた。
「俺はこいつやアスランのように甘くないからな。」
 つまり、今までは見逃されていたことが通用しないということなのだろう。
「貴様らもよく覚えておけ。」
 それは彼女だけにではなく、隊全体に対する警告。彼は複数形で言った。
 そこでジロリと睨まれても怖じけなかったのはルナマリアの度胸故か。
「はい。分かりました、肝に銘じておきます。」

 おそらく彼女の中で疑問は解消されていないだろうけれど。
 それ以上聞くことは躊躇われたのか、ペコリと頭を下げると 彼女は逃げるようにいなくなっ
 てしまった。



「…またそんな自分を悪者扱いする。損するよ?」
 2人のやり取りを黙って見ていたキラは、彼女の姿が完全に消えてからやっと口を開いた。
 彼の意図が分かってしまったから口を挟めなかったのだ。
 でもシンのことをうやむやにするためとはいえ、あれではイザークが冷たい人間だという印象
 を受けてしまうのではないだろうか。
 本当は もっとずっと優しい人なのに。
「他の言い方をすれば良かったんじゃないの?」
「これが俺のやり方だ。お前は気にするな。」
 ついでにクギを刺しただけだと言う彼にキラは苦笑う。

「イザークは僕に甘すぎるよ。」

 確かに彼女に言ったことは広まるだろうし、処分を決めたのがイザークなら誰もそれ以上の追
 求はしてこないだろう。
 でも半殺しにでもしてやらないと気が済まないと言っていた彼を宥めて、さらにシンがキラに
 したことを隠しておくように頼んだのはキラだ。
 それを渋々引き受けたのに、まるで独断で決めたように彼は言ったのだ。
 全ては、キラの負担を軽くするために。

「あいつほどじゃない。」
 あいつ―――…アスラン。それはすぐに分かって、そうかもと頷いてみせる。
 彼の甘さはたまに限度を越えるから。
 でもそれも比べればの話。結局はどちらもキラには甘い。
 …こんな自分を好きだと言う2人は女運が悪いんだと思う。
 この先の結末を思い、キラはひとつ息を吐いた。

 シンの言葉を受けてキラは一つの決意を固めていた。

 今から僕は、イザークを巻き込んでアスランを傷つけるようなことをする。
 アスランにもイザークにも、それはきっと酷いこと。
 …でも、戻れないと知ってしまったから。


「ね、イザーク。」
 行くぞと言ってスタスタ歩きだす彼に追いつき、上目使いで彼を覗き込む。
「相談したいことがあるんだけど。―――今夜、君の部屋に行って良い?」

 シンの言う通り僕は最低な人間だ。

「……ああ。俺はかまわない。」
 イザークはキラの思惑に気づいたのだろうか、わずかに迷いを見せた。
 探るように見つめてくる視線に笑顔で切り返して。
「じゃあ夜にね。」
 話題はそこで無理矢理打ち切った。


 君に"相談"したいことがあるよ。
 これからの僕達のこと、君も含めて。


 これでもう引き返せない

 それは 優しい時間の終わり…











 彼のベッドに座ったキラにイザークはホットミルクを用意してくれた。
 それをありがとうと受け取って一口含む。
 お砂糖たっぷりの甘いミルク。キラのお気に入りの味加減だ。
 思わず綻ぶ表情を慌ててぐっと引き締めて、キラはゆっくり顔を上げた。
 和んでいる場合じゃない。これから話すことは笑いながらできるものではないから。

「シンの謹慎はいつまで?」
 そして出てきた問いは目的とは違ったものだったけれど。
 向かいのデスクに体を預ける形でカップ片手にキラと対峙していたイザークは、優雅な所作で
 一度カップを口に運ぶ。
「アスランが帰ってきたら後はあいつの判断に任せる。それまでだ。」
「…そ、か。」
 できればアスランにも黙っておきたいことだけれど、それはさすがに無理なこと。
 イザークが最終的な処分を彼に任せるのは隊長としての彼をたてるためだ。
 分かってはいても、アスランに伝えるのは今から気が重かった。

「…シンには…… まだ会っちゃダメ、かな?」
「今会えば同じことをすると断言してる以上はそれも無理だな。」
 シンはまだ許してはくれていないらしい。
 落ち着くまでは彼の話も聞けない。こういう時に己の無力さを知る。

「…分かった……」

 それっきりキラは再び視線を落として口を閉ざす。
 訪れた沈黙を居心地悪く感じるのはキラだけなのか、イザークは普段通りにゆっくりとコー
 ヒーを飲むだけで。
 それを飲み干してしまうと 彼はカップを脇に置いた。

「で、本題はなんだ?」
「…え?」
 そして問い掛けられた言葉にキラは瞠目する。
「言いたいことがあるならはっきりと言え。逃げていてもキリがないぞ。」

 逃げている… 確かにそうだ。
 ここまで来ておいて まだ自分は迷っているのか。

 まだ温かさの残るカップを強く握りしめる。

 ―――覚悟を、決めた。


「……アスランとね、別れようと思うんだ。」
 声は震えていないだろうか。
 顔は 泣きそうになってたりしないだろうか。
「あいつに… シンに何か言われたのか?」
「それもある。けど、どちらにしてもいつまでもこの状態じゃいられないし。」
 彼の気遣わしげな態度に胸が痛むけれど、声にはわざと感情を乗せなかった。
 覚悟を決めたのに、これ以上揺らぐことは許されないから。
「イザークだって気づいてたでしょう?」

 アスランへの想いだけでここまできたけれど、いい加減 潮時なのかもしれない。
 今の状況があまりに幸せだったから。
 だから 常に動き続けている"時"に気づかないフリをして、無理矢理留まろうとしてきた。
 だけどきっと それも限界だったのだ。

「だから イザーク。僕にアスランと別れる理由を頂戴?」
 思ったより明るく聞こえた声は彼にどう届いただろう。

「…だからか。キラのことだからまた天然なのかと思っていたんだが そうでもなかったな。」
 意外にあっさりとイザークは納得してくれた。
 キラが何を求めてここへ来たのかも 彼は気づいたらしい。

 "自分を抱いて欲しい"と、そう言いに来たのだと。


「貴様は1度も夜に俺の部屋に来ることはなかった。それが俺の為だというのも知ってはいた。
 貴様は人の気持ちに鈍感だが 警戒心がないわけではないからな。」

 キラはずっと前からイザークの気持ちを知っていた。
 そんな彼の部屋に気軽に行くほどキラは無神経ではなかったし、その他にも誤解を受けるよう
 な行動は避けてきたつもりだ。
 まさか 気づかれているとは思わなかったけれど。

「俺を選んだ理由は?」
 前に立った彼の手が優しく頬を撫でる。
 もうすぐこの手に抱かれるのだと 遠い出来事のようにふと思った。
「他の人を選んだら、君は今度こそその人を殺しかねないでしょう?」
「…否定はしない。」
 即答する彼にキラはふふと笑う。
 返事を聞いていないけれど、彼に拒絶する意志は見られなかった。


 彼に求めるのはとても残酷なことなのかもしれない。
 身体を繋げてもキラは彼のものにはならないのだから。

 それでも承諾してくれたのは優しさなのだろうか?
 それはキラにも分からないけれど。




 ベッドに身体を横たえられる。
 彼の銀の髪がサラリと流れて頬に触れた。

 見下ろす瞳は冴えたブルー。
 いつだって、彼のキラを見る瞳は優しかった。
 今だってそう。
 それにずっと甘えている。


「君を好きになれたら良かった。」
「キラ。」
 咎めるような彼の声を聞いて、けれど訂正はせずにただ謝る。
「うん、ごめん。ひどいこと言ってるね。」
 アスランを好きになって、イザークではなくアスランを選んだのはキラだ。
 もしイザークを好きになっていればもっと穏やかに過ごせたのかもしれないけれど、キラ自身
 がそれを選ばなかった。

「でも僕は君をアスランの代わりにしたいとは思わないよ。そのくらい君は好きだから。」
 彼をアスランの代わりになんてできない。
 アスランと意味は違っても、彼のことは大切に思っている。
「…それで遠慮してたらあんなガキに先を越されたが。」
「君はアスランも好きだからね。」
 キラの指摘にイザークはぐっと言葉を喉に詰まらせた。
 赤い顔は図星を指されたからだろうか。
 その顔が可愛くて笑みを零すと バツの悪そうな顔でそっぽを向かれる。
 それこそもっと可愛く映ってしまうことに、彼は気づいているだろうか。

「…キラ、」
 少し笑い過ぎたのか、むっとしたイザークが服の下に手を差し込む。
「うひゃう…っ」
 脇腹を擽られてその手の冷たさに妙な声を出してしまって、はたと気づいた時には目の前にイ
 ザークの顔があった。
「っ」
 それを認識した瞬間にギクリと身体が強ばる。

 アスランと違う 知らない匂い。
 思い出す、シンとのこと。

 まだ昨日のことを、そんなに簡単に忘れられるはずがなくて。


「…怖いか?」
 手を止めたイザークが気遣わしげに聞いてくる。
 そして知らず震えていたらしいキラの手に 彼は指を絡めてきた。
 イザークのそんな優しい仕草に少しは安心できたけれど。
「まだちょっと、ね……」
 嘘。本当はとても怖い。
 安心できたのは本当に"少し"だ。
 そして 素直に言えないキラの強がりも十分に知っている彼は、小さく笑ってこめかみに軽く
 口付ける。

「大丈夫だ。俺は無理強いはしない。」

 無理を頼んだのはこっちの方なのに。
 そんなことを言うイザークは本当に甘すぎる。

 浮かんだ笑みと共に零れた雫は何を意味していたのだろう。
 自分でも分からなかった。





「―――俺のものにもならないのなら。誰のものにもなるな、キラ。」


 2人溺れる熱の中で聞いた言葉。

 君はどんな思いで僕を抱いたのだろう。
 僕にそれを聞く術はないけれど…




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ごめん、これアスキラだよね…? そんな展開に私が1番吃驚してます。



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