選んだ道の先 −≪13≫


「………」
 まだ一口も付けていない 柔かく煮込まれたクリームシチュー。
 白い湯気が立ち上って器はほんのり温かい。
 手に持って、それを凝視して、どのくらい経っただろう。
 けれど やっぱり食べる気にはならない。
 それが自分用に、特別柔かく食べやすくしてあるものだと分かっていても。
 …作ってくれた人には申し訳無いと思う。
 けれど、体が受け付けてくれない。そして自分も"食べる"という欲求は無いに等しく。

 どうしよう…

 中に転がるニンジンをスプーンで突付きながら、キラはちらりとベッド脇に座る人物を盗み見た。


 …「食え」と 一言だけ言って、後は何も言わずただ黙々と本を読む人。
 高く足を組んで椅子に腰掛け、ピンと伸ばした背筋は決して乱さず。
 規則正しく、まるで機械仕掛けの人形のようにページを捲る長く白い指。
 落とされた瞳は冷たい北の海に漂う氷、真っ直ぐに切り揃えられた銀の髪はガラス細工のようで、
 触れたら硬質な音を奏でそうだ。

 そして気づく、雪の肌に刻まれた 鼻筋から頬までの深い傷跡。
 それが彼の美貌を損なうことは無いけれど、どんな酷い怪我であったかは想像を超えるものだっ
 たかもしれない。
 自分にもその痛みが移ったような感じがして、キラは軽い鳥肌が立った。

 相手は自分が見ていることに気づかないようで、相変らず黙って視線を紙面に滑らせている。
 普通はここで話しかけるものじゃないかもしれない。
 けれど、僕はまだ聞いていなかったから。


「あ、あの…」
 おずおずと尋ねると、相手は「何だ」と不機嫌極まりない声音で顔を上げた。
「その… 名前、聞いてなかったな、と…」
「……」
 じっと 穴が開くほど見られる。
 睨まれているようで、聞いたことを少し後悔した。
 答えてくれないかもしれないと思う。
 だって僕は憎まれて当然な立場、こんな風にしてもらうことさえ本来おかしいのだから。
「…やっぱり、良いです…… 忘れてください……」
 視線をスープへと戻す。

 たぶん、僕は嫌われているのだろう。
 でも普通はその反応の方が正しいと思う。
 諦めて 小さく息を吐いた。


「―――イザーク。」
「え?」
 それは何の前触れも無い応えだった。
「イザーク=ジュールだ。」
 顔を上げると 彼の視線はすでに本へ落とされていたけれど。

「イザーク、さん…?」
「ん?」
 キラの呟きにいくぶん柔かくなった声で応える。
 冷たい色をした瞳も優しく細められていて。
 それに当のキラは驚いてしまった。
 名前をただ呼んでみただけだというのもあったけれど。
 それはとても小さな声で まさか応えてくれるとは思わなかったから。
 絡む視線、けれど次の言葉は紡がれない。

 何も言えず固まっていると、彼の視線はゆっくりとキラの手元に移った。
 ずっと変わっていないその量。もう湯気さえ見えない。
「…冷めてるぞ。」
「―――あっ すみません!」
 呆れた溜め息と共に紡がれた言葉に キラは反射的に謝る。
「いや、俺は別にどうでも良いが…… 替えてくるか?」
 病人に冷たい物はあまり良くない。
 そんなことをどこかで聞いた気がする。
「い、いえっ そんな、良いです…っ」
 慌てて首を振る。
 どうせ食べる気も無いし、味や温かさもどうでも良いから。
「身体に良くないぞ?」
「っ 良いですってば!」
 思わず叫んでしまった後でハッとする。
 イザークは驚いたような、そして少し悲しいような表情をしていた。

「…すみません…… でも、このままで食べれますから…」
 それ以上は見ているのが辛くて、スープのカップに逃げた。


 少しでも食べないと… それが謝罪の代わりになる気がしたから。
 一口掬っておそるおそる口に運ぶ。
 熱を失くしたスープは温かい時よりすんなりとは入ってくれない。
 ざらりとした舌触りがかなり不快で。
 けれど、キラにはそれ以上に…

「ぐっ…」
 堪えきれなくなった衝動に キラは口元を押さえ身を屈める。
 吐きそうになったそれを無理矢理ノドへと送り込んだ。

 気持ち 悪い…


「オイ、大丈夫か…?」
 心配そうな声が上から降ってきて、肩に彼の手が触れる。
 その手の温もりが伝わると、気分が落ち着いてスッと気が楽になった。

 何だろう… とても 安心する…

 できればこのまま甘えてしまいたい。
 彼の身体に凭れたらどんなに楽だろう。
 けれど、そう思った時に 自分の矛盾に気が付いてしまった。


 ダメだ…
 何の為に、僕はここへ来たんだ。

 何の為に。
 1番甘えたい人の手を振り払ったのか。
 縋り付きたいと願う手を隠したのか。

 思い出せ。







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管:…何か話せば?
イ:無茶な注文だな。話すのは得意じゃない。
キ:でも優しいんですよね(笑顔) 僕の質問に答えてくれました。
イ:…!(赤面)
管:…顔、赤いよ?
イ:煩い。(目で威圧)
管:ハイハイ。黙りますよ。
キ:…?

管:…あ、そうだ。もう自覚してんの?
イ:何の話だ。
管:…してるのか。
イ:……(否定はしない)



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