心の枷
「アスラン? 平気?」
不安げな瞳で顔を覗き込むキラに、返答すらまともに出来なかった。
まるで呼吸困難でも起こしたように、浅い息しかつけない。
早鐘のような自分の心音が、不快で仕方がなかった。
「酷い汗…」
「っ…」
額に浮かぶ汗を拭おうと伸びてきたキラの手を、意思とは無関係に体が拒絶する。
そんな自分自身に憤怒した。
振り払われた手を気に留めるでもなく、キラは穏やかな口調で言った。
「タオル、持って……」
離れていく腕に、咄嗟に縋った。
「……いて、くれ」
ほんの僅かな言葉にも空気が混じる。
情けない声だと、口角が自嘲気味に歪む。
必死で呼吸を整えようとするが、うまくいかない。
「……わかった。ここにいるよ」
キラの腕が小刻みに震える体に優しく回り、掌が滑らかに背中を動く。
目を瞑り、頭をキラの胸に預けた。
いつもの体温が、序々に安堵を呼び起こす。
少しずつ呼吸が楽になり、漸く思考がまともに働くようになった。
これで、何度目だ?
襲ってくるのは内容も定かでない悪夢。
魘されて目覚めるたびにパニック発作のような症状が起こる。
それを毎度癒してくれるのは、愛しい人の存在だった。
隣にキラがいてくれなかったら、と想像すると、また呼吸が促拍しそうになる。
「だいじょうぶ?落ち着いた?」
「…ああ、……悪い」
負の思考を遮るようなキラの優しい声に、掠れた声で応えた。
キラの手はずっと背を宥めている。
「謝らなくていいよ。僕もずいぶんお世話になったし」
「…そう、か?」
確かに戦中、戦後すぐと不安定だったキラを見守っていたのは自分だったが、世話をしたとか
いう思いは全くなかった。
キラの苦しむ姿を見ていられなかったというほうが相応しい。
それで出来ることをしただけだ。
「そうだよ。いつも傍に居てくれた。…感謝してるよ」
でも、それは…。
得体の知れない思いが頭を掠める。
それを追い出すようにキラを抱き締めた。
「……また、夢?」
キラが遠慮がちに尋ねる。
「………」
沈黙を続けることを肯定と受け取ったキラが、腕にほんの少しだけ力を込めた。
身を預けていると、少しずつ忘れていた疲労感が襲ってくる。
声を絞り出すことも億劫なほどだ。
「…どんな、夢か…説明できれば、楽になるのかも、しれない……けど…」
無意識に嗚咽が混じりそうになるのを、どうにか堪える。
思い出すことすら出来ない、悪夢。
「…だいじょうぶだよ。ゆっくり…ゆっくりでいいから、ね?」
その声が、愛しくて堪らない。
胸に押し付けていた顔を上げ、キラと視線を絡ませる。
そして、おそらく拒否されないであろう、問いをなげかけた。
「…キス、していいか?」
自分で決めたことだ。
自分の、やるべきことだと。
パトリック.ザラの息子として一生を終える。
妻を殺された感情に耐えきれず、復讐に人類をも巻き込んだ父。
その父の犯した罪の責任を取るのは自分以外にいない。
そう思って、プラントへ戻った。
生きていられるとは思っていなかった。
ザフトへの、謀反。
そして悲劇を巻き起こした張本人の嫡男。
A.D時代の世界大戦後ならA級どころかS級並の戦犯だ。
たとえ情状酌量の余地があったとしても、終身刑か無期懲役だろう。
どんな結果になろうとも、受け入れる覚悟は出来ていた。
が、予想に反し極刑を免れた。
戦勝国が戦敗国を裁くような物で無かった所為か、はたまた戦中周囲にいた人間たちの進言か。
表舞台には出ないという条件の下、自由が与えられることになった。
驚愕と共にプラントでの日々が過ぎ、ある意味ほっとしたのも束の間。
キラの不安定な精神状態をカガリから知り、なりふり構わず彼の隣に居ることを選んだ。
日々の生活に必死だったといっていい。
己のことなど顧みることはなかった。
時は過ぎ、キラに少しずつ笑顔が戻っていった。
平和だった頃の精神状態に戻るというわけにはいかなかったが、彼なりに障害を克服した。
自分もそれに心から喜び、これからの生活を楽しもうと確かめ合った矢先。
文字どおり、悪夢が襲った。
――――今度は、自分の番か?
次第に現れる頻度が増える、夢。
睡眠時間が削られ、まともに食事も出来ない日々が続く。
医者に掛かるほどの脆い精神は、自分にはないと思っていた。
キラを殺してしまったと自失状態だったあのときも、周囲の配慮と自力でなんとか乗り越えた
つもりだった。
その負荷が今になって出てきているのかもしれない。
自分にそう言い聞かせて。
処方された薬を飲んでいるにも関わらず、一向に改善しない精神状態に半ば苛立ちながら過ごす
毎日。
「アスラン、我慢しなくていいんだよ。自分の気持ち、素直に言ってみて?」
ある日、唐突にキラから尋ねられた。
「…俺は、我慢なんて…」
「本当にしてないって、言える?」
詰問され、改めて考えてみる。
キラとの幸せな生活。
離れている間に切望して止まなかった、ぬくもりと安堵感。
これ以上ないというほどのふたりの時間に、何の不満があるだろうか。
そう思いながら、ふっ、と。
真っ白な中にある、一点の黒い染み。
そんな情景が思考を過った。
「…………いえる、よ」
じゃあ、何故即答できない?
はっきり、幸せだと言えない?
「これは、僕の想像だから。もしかしたら間違ってるかもしれない、けど」
キラの口調は、躊躇いを孕んだものだった。
だが、その表情には確信に近いものが感じられた。
「…あれからもう、ずいぶん経つのに、一度もプラントに行ってないよ、ね?」
返事も出来ない問い、いや、確認だった。
胸に痛みが走る。
「レノアさんのところに、行った? お父さん…パトリックさんのところ…には?」
キラは目をそらさず、真正面から優しく問い掛けた。
「…アスラン、お父さんから、逃げてない?」
すっと血の気が引くのを感じた。
全身がわななくのを止められない。
「…行け、…な、い! 俺には、…俺はっ」
こめかみから伝う汗。
胸を貫く痛みは増すばかりで、呼吸もままならない。
「きみは、お父さんを愛しているんだよ。…でも、お父さんを憎まなきゃならいって思いこんで
るんだ」
「…っ」
キラの言葉に、酷い眩暈を覚えた。
それに耐えられなくなり床に膝をつく。
『――ナチュラルどもがすべて滅びれば、戦争は終わる!』
唐突に聞こえてきた、あのときの父の怒声。
目に浮かぶ光景は、夢の中で見た物だということに気がついた。
胸倉を掴まれ、睨めつけられた視線。
自分に向かって銃を突きつける姿。
『見損なったぞ、アスラン』
愛情など少しも見えない、冷たい瞳。
『う、て、ジェネシ…』
――――父の、最期の瞬間。
「…ち、ちう…え!!」
喉が裂けるように痛んだ。
死ぬまで、復讐心から逃れられなかった父。
そして自分は……。
甘受したつもりだった。しなければならないと思っていた。
父への非難を、自分への非難として。
わかっていた筈なのに。
父を、尊敬していた。
不甲斐ない息子と思われぬよう、努力した。
たとえ末期の彼が見ていたものが、自分ではなく母の面影だけだったとしても。
父を、愛していたから。
だが父は、平和を願う人々にとって憎むべき存在。
たくさんの悲劇を生んだ戦争の、悪しき象徴。
自分はどこかで怯えていたのだ。
キラに拒絶されることを。
キラが父を、そしてその息子である自分を憎むことを。
「いいんだよ、アスラン。お父さんを憎む必要なんて、どこにもない」
耳元で聞こえた穏やかな声。
夢に魘されて覚醒したときのように、背中を上下する掌。
「……俺は、戦争を……、世界を、破滅…寸前まで、追いこんだ人間の、…子、だ…」
嗚咽で途切れる声。
感情が溢れるそのままに、言葉を口が紡いでゆく。
「…そうだね。でも、きみとお父さんは違うよ、アスラン。それに僕は、きみのお父さんを恨ん
だりしない」
キラの言葉が、棘が刺さっていたような心を優しく包むのを感じた。
頬を撫でる華奢な手が、涙を拭った。
ずっと心のどこかで不安に思っていた、でも、表に出せなかった感情が口をついて出た。
「……俺は、…おまえの隣に、…居ても、いいのか?」
キラの瞳を見つめて、問い掛ける。
涙が止まらなかった。
「それは、僕が言う言葉だよ。きみが僕の傍に居てくれたように、僕もきみの傍に居てもいい?」
柔らかな笑みと伝わる温度に、急に硬直していた体が弛緩した。
キラの体に腕を回し、首筋に目元を埋める。
「…キラが居なきゃ、…俺は、生きてけない、よ」
「良かった。…僕も、同じだよ、アスラン」
抱き合ったまま、しばらく時が過ぎた頃。
キラがそっと体を離し、大きな瞳で顔を覗きこんだ。
小さな笑みを浮かべて。
「知ってる? 戦争が終わって一緒にいるようになってから、きみが泣いたの、初めてなんだよ?」
「そっ…か」
いつもとは立場が逆になったような状況が、妙に気恥ずかしかった。
久しぶりの行為だった。
あれからそのままふたりでベッドに倒れ込み、気がついたら、翌朝。
穏やかな目覚めが、奇妙に懐かしく感じる。
「…おはよう、キラ」
「……アスラン、だいじょうぶ?」
いつもは自分がいう台詞。
「それ、おまえが言うことか?」
軋む体に顔を歪めるキラに苦笑する。
「……だね」
お互いの素肌を感じながら、軽いキスを交わす。
「…あのさ」
「何?」
「もうすぐ、お父さんの、命日だよね」
「……ん」
「一緒に、行こうね。…祈りに」
「………」
涙で声が出なかった。
それを隠すように、夢中でキラを抱き締め、キスを浴びせた。
自分がキラの隣に居ることを、確かめるように。
もう、あの夢は見ない。
―――俺の隣には、キラがいるから。
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<後書き抜粋>
―――
20040622
Kayoko Sarashina
サブタイトル「傍にいさせて」
書きたかったのは、キラも大変だけど、アスランも大変なんだよっていうこと。
キラがアスランの事わかっちゃうのは、愛ゆえでしょう。
ただ、痛みを経験してる人は、人の痛みも良くわかるんじゃないか、と。
父の日までに書き上げられれば良かったなあと思います。
20040705 改訂
すみません。どーしても気に入らなかったところを変更させていただきました。
大した事じゃないです。
かなめちゃん、許可してくれてありがとう。
―――
<コメント>
よわよわ〜なアスランでもカッコ良いのがこの方の文章…
それは文章がカッコ良いからなのでしょう。
胸がこう ぎゅっと締めつけられるのです。
ってゆーかツボなんです!
アスキラがなんかすっごい大人なんですよねぇv
それは書かれるご本人が大人だからなのでしょうねv
アスランはお父さんが好きだったんですね!
それに気づいて認めてくれるキラも良いです。
その包容力がv
何気にキラ第一のアスランもv
不安定と聞いて駆けつけるところはさすがは王子様☆
…死にネタ以外で泣きそうになったのは初めてです……
姉様 すごいです…っ
作品増えたら専用部屋作りますよ〜vv
「姉様のお部屋」ってタイトルで☆(本気)
☆Kさんに感想を送りたい方は、私宛にメールを送ってくだされば責任を持ってお届けします。
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