二十歳の誕生日は、A.D.時代の日本では一時期成人を意味したんだ。
コーディネイターは13で成人だから、ずいぶん遅いと思わない?
その年齢から飲酒や喫煙が認められてたらしいよ。
まあ、成人の定義なんてあやふやなものでしかないと思うけど、
法律で定められてたのは事実らしい。
そんなことを話してくれたアスランの表情が目に浮かぶ。
だから、二十歳の誕生日にはふたりでとっておきのワインをあけようか?
――――その二十歳の誕生日は、あと4時間で終わり。
20th birthday
プラントの外交を担当しているアスランが地球に降りたのはオーブ、大西洋連邦との三者協議の
ため。
ちょうどこの時期になってしまったことを彼は当日の玄関までぶつくさ言っていた。
「絶対誕生日には間に合うように戻ってくるから。間に合わないときは会談放り出してくるよ」
彼が言うと冗談でもそう聞こえないから恐ろしい。
笑顔で断った。
「それはやめて。君って本当にやりそうだから怖いよ」
「だってキラの誕生日なんだぞ」
滅多にお目にかかることのない彼の表情に、自然と笑みがこぼれる。
自分の前でだけ見せてくれる、拗ねた顔。
「仕方ないじゃないか。今更言ったって遅いよ」
宥めるように声をかけてはみるものの、普段の表情に戻ることはない。
そんなことをしているうちに、迎えの車が到着した。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
いつもと変わらずに口にする挨拶。
そして彼から送られる毎度の儀式。
敷地内とはいえ人目に触れる玄関では恥ずかしくて仕方がないけれど、断ったらのちのち面倒な
ことになりそうだったので、受け入れていた。
下唇を舌尖が掠め、触れたぬくもりが消えると、少しだけ心細さが胸をよぎった。
「じゃあ、寝る前にはガスの元栓チェックすること。俺がいなくてもちゃんと食事取るんだぞ。
何かあったらすぐに端末に連絡すること。それから…」
これも毎度の儀式のうちのひとつかもしれない。
「アスラン、遅れる」
「……ああ、じゃ、行ってくる」
もう一度だけ唇に触れる暖かさ。
見送る際の、アスランの心配げな眼差しもいつもと変わらない。
それが自分のせいだということは良くわかっている。
いつまでたっても動けない自分自身の…
彼の乗った車が視界から消えるまで、手を振った。
その日から二週間。
通信のたびに疲労感が増す彼の顔を見ると、今回もうまく行ってはいない様子が手に取るように
わかった。
それでもどうにか誕生日の三日前に、三者協議は一応の終結を見た。
どのニュースでもそれを報じてはいたが、内容にさして進展があったかというといつもの通り。
何らかの合意がなされたことは確かなようだった。
―――それが庶民にとってどういう恩恵をもたらすのかは定かではないが。
「停戦からもう4年も経つのに何にも変わらないね……って、こんだけ経っても立ち直れてない
人間の言うことでもないけど」
自嘲気味にアナウンサーを見つめながら呟いた。
テレビを消して、端末をチェックすると、案の定同居人からのメールが届いていた。
『18日の昼頃には帰れると思う。例のものはちゃんと用意してくるから、家で待ってて』
「はいはい。お早いお帰りを」
協議が終わってくれて本当にホッとしていた。会談の難航を伝える報道の度に、玄関での会話が
頭を掠めてハラハラさせられたのは言うまでもない。
誕生日というのは午前零時から始まるものである―――ようだ。一部の人間にとっては。
前日早々とベッドに入っていたキラは、几帳面な友人たちからのメールや電話で安眠を妨げら
れ、それに返事をして結局再び眠りに付けたのは、丑三つ時。
次に目が覚めたのは時計の針が一直線になる早朝。
二度寝(三度寝?)するには遅い時間である。久しぶりの再会のためにもいろいろ準備が必要
だ。
二週間の自堕落な生活がアスランにばれぬよう、部屋も片付けなくてはならない。
誕生日くらいは小言を聞かずに過ごしたい。
ベッドへ戻りたいという体をどうにか宥めて、作業に取り掛かる。
しばらくすると歌姫からバラの花束が届けられたのを皮切りに、姉から友人から知り合いから
様々なプレゼントという名の荷物が届いた。
それを開いて整理してお礼のメールを送って…
気づけばもう正午まで1時間しかなかった。
「誕生日なんだよね。…何でこんなに苦労してるんだろう、僕…」
ようやく作業を終えたとたんに襲ってくる睡魔。
「もういいや、帰って来たアスランに起こしてもらおう」
リビングのソファに横になる。
何を考える間もなく、意識は沈んでいった。
目を覚ますと、辺りは薄暗かった。
部屋は寝る前のままで、アスランが帰宅した様子は無い。
「帰ってきてないんだ…。何かあったのかな」
端末を操作してみても、電話やメールの着信履歴はなかった。
膨らんでいく焦りと不安。
「絶対帰ってくるって…言ったよね?…アスラン」
送り出したときの玄関での会話や、二十歳の誕生日の話などをぼんやりと思い出しながら
呟いた。
時間が経つのは速かった。普段彼を待っているときは1分が1時間に感じることもあるのに。
誕生日の残り時間が三時間になった頃、たまらくなり知り合いに連絡を取った。
焦燥感は増すばかりで、普段滅多に会わない人にまで通信を掛けた。
結局何も収穫はないまま。
ダイニングテーブルで帰りを待つ。
停戦後一緒に暮らすようになってから、誕生日に一人きりなのは初めてだった。
気がつくと、頬を伝うものがある。
拭っても拭っても、とまることを知らない水滴が零れ落ちる。
「…何、泣いてんだろ…」
家を飛び出して探しに行きたい気持ちがないわけではない。
しかし外界を拒絶する体は意思に反して動いてはくれなかった。
もう4年近く、二人で暮らすこの家の敷地を一人きりで出たことはなかった。
パニック発作。広場恐怖。社会不安障害。
医者にはそう言われて久しい。
動悸、呼吸困難、めまい。自分自身でも嫌になる。
SSRIの類は手放せない。
いつ症状が出るかという不安から、門から出ることすら恐怖心が沸き起こる。
今まで彼の端末に連絡を入れたのは、発作が起こったときだけだった。
散々悩んだ挙句、彼の端末にアクセスした。
―――――繋がらない。
この世に自分一人なのではないだろうかという不安。
それなのに発作が起こらないのはなぜなんだろうという冷静なもう一人の自分がいたりもする。
涙は、止まらなかった。
端末の電子音が鳴り響いたのは、午後11時。
飛びつくように手にして開くと、一通のメール。
送信者は―――アスラン.ザラ。
『ごめん、キラ。このメールが届いてるってことは、俺は約束したお前の誕生日に一緒にいない
ってことだ。
万が一のためにこれを用意してるのに、その万にひとつの状況に陥ってしまってる。すまない。
もうあと1時間で二十歳の誕生日も終わりだな。傍に居られなくて本当にごめん。
これだけは言っておきたいんだ。
病気のことで、負担を掛けてるって思ってるかもしれないけれど、
それは大間違いだからな。
誰だって、心には傷があるんだ。
キラはそれを癒すのに、少し時間がかかってるだけだよ。
俺だってまだ自分の中でケリをつけられないことがたくさんある。
だから、少しずつで良いから、一緒に歩いていこう?
それじゃあ。
キラ、台所の食器棚の二番目の引出しを開けて欲しい』
端末を持ったまま、台所へ歩く。普段は滅多に開けない引出し。その中には、リボンで飾った
一本のワイン。
そのラベルに刻まれた年数は、C.E.55。
驚きで止まっていた涙がまた溢れ出した。
『A.D.にはこうやって生まれた年のワインで祝うこともあったらしいから。
本当は一緒にそのワインを開けたかったけど…。
二十歳の誕生日、おめでとう。
アスラン』
「アスラン…」
驚きと寂しさと嬉しさとで、感情がぐちゃぐちゃだった。
自分のことを何もかもわかってくれていた。
彼のことが凄く好きだ。
瓶を抱き締め、台所に蹲って、声を上げて泣いた。
ふいに、床に放り出していた端末が鳴る。
メガネをかけた白衣の女性が画面に現れる。
自分の主治医が急に目の前に現れ、驚いた。
『キラくん?アスランくんはここにいるからね、良いわね?』
一方的にまくし立てられ、なんと返して良いのかわからない。
ここって…病院!?
『わかった?大丈夫…』
通信を切ったのも覚えていない。
気が付いたら取るのも取り敢えず玄関で靴を履いている自分が居た。
発作が起こるかなんてどうでも良くて、頭の中はアスランのことでいっぱいだった。
アスランとふたりで通い慣れた病院まで全力で走って。
夜間入り口のドアをくぐったときには、立っているのも辛いくらい、息が上がっていた。
待っていてくれたらしい主治医の白衣を縋るように掴んで、尋ねる。
「あ、アスラン……は…?…ねえ、どこ?」
「ちょっと落ち着いて、ゆっくり呼吸して」
憎たらしいくらい冷静な目の前の女性。
睨み付けたくても顔を上げることすら出来ない。
「…どこ?…ねえっ!!」
苦しさといらだたしさに思わず叫んだ。
「落ち着きなさい!!」
普段声を荒げない彼女の剣幕に、身体がびくりと反応した。
「頭を打ってるから、大事を取って今日は病院に泊まってもらうからね。彼は三階の奥の部屋に
いるわ。」
それを聞くと体は勝手に走り出した。
目的の部屋を見つけ、飛びこむ。
「アスラン!!」
簡素なベッドに起きあがっていたアスランに、飛びかかるように抱きついた。
「アスランっっ」
存在を確かめるように縋りついた肩。
力強く抱きとめてくれる逞しい腕。
ゆっくりと背中を擦ってくれる優しい手のひら。
顔を埋めた首筋の温かさ。
そして聴き慣れた鼓動。
望んでいたものが自分のすぐ傍にあることがわかると、急に力が抜けた。
アスランがベッドから落ちそうになる身体を支えてくれた。
「キラ?大丈夫?苦しくない?」
ずっと聴きたかった、機械越しでない彼の声帯が奏でる音。
顔を上げて翠玉の瞳を拝んでみたかったけれど、腕も首も、痺れたように動いてくれなかった。
「…な…で?大…丈夫?」
まだ息は上がったままで、漸く出せた声も酷く掠れてきちんとした音を紡がない。
「ごめん。心配掛けた」
「…なこと、聞いて…な…っ」
聞きたいのは、アスランがどうしてここに居るかということで。
普通に会話が出来るくらいなのだから大丈夫だとはわかっているけれど。
安心したのか涙は留まるところを知らない。
整わない呼吸に嗚咽が混じって、瑣末なことさえまともに言えない自分に腹がたって仕方が
なかった。
「こっちに着いて、花屋に寄ってたんだ。そしたら、男の子が車に轢かれそうになって…
気づいたら、足が動いてて…」
「…!」
状況を想像して、身体が震え出した。
それに気づいたアスランが背中を宥めてくれる。
「大丈夫。ちょっと怪我しただけだよ。でも、さっきまで気を失ってて…」
少しの間を置いて、アスランが続けた。
「…目が覚めたら、お前の誕生日が終わる寸前だった。ごめん。一緒に祝うって言ったのに、な」
何か言おうと思ったけど、言葉は出てこなかった。首を僅かに横に振った。
震える腕に何とか力を込めて、抱き締め返した。
―――君がここに居てくれるから、それでいいんだよ。
込めた気持ちは伝わっただろうか?
アスランの存在を感じているうちに、浅く早い息は次第に収まってきていた。
まだ震えはとまらなかったけれど、安堵の波が硬直した身体を徐々に溶かしていくのがわかっ
た。
「…無事で…よかった。その子も、大丈夫なんだよ…ね?」
「…ああ」
「どんな…子?」
その問いに、突然彼が纏った雰囲気が変わったのを感じた。
「……」
「…アス、ラン?」
「…グリーンの髪の毛で…ニコルに、見えたんだ…」
何かを堪えるように腕に力をこめたアスランを身体で感じて。
ああ、この人が言っていたことは本当だったんだと、今更ながら改めて思った。
彼を疑っていたわけではなかったけれども。
自分よりいつも前を走っているような気がしてならなかったから。
震えているのは自分だけじゃなかった。
哀しい過去はまだ癒えない。それはお互いに同じだった。
不謹慎だとはわかっていても、なぜかそれが嬉しかった。
やっとのことで顔を上げることに成功して。
涙に濡れた彼の瞳を見つめて―――
久しぶりに自分から唇を合わせた。
時計は、ちょうど12時を指していた。
ソファに並んで座り、一日遅れで、グラスを掲げた。成人の儀式―――のつもり。
「ごめん、キラ。誕生日、一緒に居られなくて」
「もういいんだ。アスランも…男の子も無事だったんだし。それにほんの数分だったけど、誕生日
は一緒に過ごせたよ?僕はそれで十分」
「キラ」
いつになく真摯な目で見つめられて、動揺した。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
「…うん」
「アスラン」
半ば彼に凭れ掛かるように、彼に体を預けた。
「何?」
目線を上げて彼の優しい目を覗きこんで、自分なりの決意を告げた。
「少しずつ、だけど。努力してみる。…だから、助けてくれる?」
そっと肩を抱かれて。
この暖かさのおかげで自分は生きていけるんだと、思った。
「勿論」
「…ありがとう」
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<後書き抜粋>
―――
ぎゃーーー。何これ。
書きたかったのは、準備の良いアスランと、努力しようとするキラだけだったのに。
結局キラ視点だし。
アスランの感情は書けません。
不安障害の患者さんには本当に申し訳ないです。
捏造してしまってすみません。
時間軸とか、ワインのこととか、いろいろ矛盾があるのはご容赦ください。
最後に。
書く機会を与えてくれたかなめさんと、
何も知らない私に知識を与えてくれたS福岡総合病院のT先生に感謝します。
―――
<コメント>
なんて美麗な文章なのかしら…
弟子にして下さい。と言いたいですv
読む前からドキドキして、読み終わったらソッコーで感想送るほど感動しました。
ちなみに読んでる間はきゃーきゃー喜んでました☆
だってキラがちゃんと少年だし(ちょっと黒入ってません?)、アスランはカッコ良いしで。
20歳の(アスランはまだ19か)ちょっと大人な彼らに胸キュンしてますv
ちゃんと帰ってこれない時を想定して準備している辺りアスランらしいというか。
しかも帰れなかった理由が男の子を助けてなんて!
ヘタレてませんよ〜 カッコ良い王子がここにいますよ〜
傷を互いに負ったままの2人が、いずれ癒される日が来れば良いなと思います。
ネタを聞いた時になんだかゴーインに書く約束を取り付けた気がします。
そして強制的にサイトに載せることが決定☆(笑)
書いても出力先が無いとおっしゃるので「送ったら載せますよ」なんて言って。
1番に読ませてもらうなんて贅沢もしましたv 幸せですーvv
管理人はまだ1つも書いてないのに(逝ってこい) 誕生日お祝いですよ!
誕生日の前日には書き上がってらっしゃいますよ!
見習わなくてはなりませんね。
私も自分の首を絞めるつもりで(は?)頑張りますー
こんな素敵な小説をありがとうございました〜v
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