聖母 −小さな王子様−


「でも本当に不思議ですよね。」

 きっかけはティータイムにニコルが発した一言だった。



「何がですか?」
 チョコレートで汚れたアカツキの手を拭いてやりながら キラは何のことだろうと首を傾げる。
 その仕草はどこまでも少女らしく、どう見ても"母親"には見えなくてニコルは苦笑いしてしまっ
 た。

 けれど、それ以上に、

「貴方のような女性があの機体に乗っていたなんて、今でも信じられないなと思って。」

 ザフトの紅を着る自分達を相手に対等に戦った相手。
 アークエンジェルが不沈艦と呼ばれたその背景には彼女の働きがあったのも明白だ。
 そのパイロットが地球軍の聖母と呼ばれる"女性"であることにまず驚いたが、後に彼女が自分達
 と変わらない年頃だと知るとますます驚いた。



「―――僕は、自分から頼んでストライクに乗せてもらいました。」
 しばしの沈黙の後、キラは凪いだ海のように静かな声で答えた。

 あの白い軍服に袖を通したのは後ろ向きな気持ちなんかじゃない。
 アカツキを守りたくて選んだ道だった。
 "時"が来るまで苦しい思いをしたこともあったけれど、戦争を終わらせるためにという思いは揺
 るがなかった。
 すべてが正しかったとは思わないけれど、間違ったとも思っていない。
 だからこの道を選んだことに後悔はしていない。

「それに、女だからとか男だからとか、そういう考えってあまり好きじゃないんですよね。」
 思いが同じならば年齢も性別も何も関係ないと思った。
 そういう考えだったのはアークエンジェルという艦が関係していたかもしれないけれど。
「アークエンジェルでは艦長も副艦長も女性だし、ブリッジには他にミリアリアやフレイもいて。
 パイロットは僕と大佐。バランス取れててちょうど良いでしょう?」
 軽くおどける彼女にニコルは微妙な表情をする。
「そういう問題じゃ…」
「僕らにとってはその程度のものなんです。」
 けれど、それもキラはあっさりと言ってのけた。

 不沈艦として地球軍の最前線にありながら、アークエンジェルは圧倒的に女性の立場が強い。
 しかし誰も気にしていなかった。
 彼らの中では女性が他の艦より少し多いだけ。そんな認識しかなかった。

「どの女性にもちゃんと騎士がいるから手を出す馬鹿はいないし。」
 それ以前にそんな人間はアークエンジェルには乗っていない。
 艦自体が家族のような雰囲気のあの場所で、そんなことを考える者などいなかった。


「…お前には?」
 今まで黙って話を聞いていたアスランが短く尋ねる。
 どこか真剣な響きに気づいているのかいないのか、僕?と聞き返してから彼女の視線はすぐ隣に
 移った。
「僕にはアカツキという立派な王子様がいるもの。ね?」
 にっこりと笑いかけられた彼女の息子は、きょとんとして顔を上げる。
「まま、おひめさま?」
 王子様といえばお姫様。
 それはアカツキがたくさん読んでもらった物語の中の普遍。
「そう。王子様はずっとお姫様を護ってくれるんだよね。」
「うん!」
「ありがとうvv」
 元気よく頷いたアカツキをぎゅっと抱きしめる。
 仲良しムードの親子の抱擁は周りの空気を和ませた。

 そしてそのままさっきの話に戻ることはなかった。












 休憩時間が終わると各々自分の持ち場に帰る。
 アスランはいつもキラ達親子を見送ってから戻るので、ニコルもたいてい付き合って待っていた。

「…相変わらず仲の良い親子ですね。」
 その背中が遠くなるのを見ながら、ニコルがポツリと呟く。
「本当に父親がいないということは有り得ないでしょうが… きっと、その方のことをよほど深く
 愛してらっしゃるのでしょうね。」
「何故?」
 アスランの機嫌はあまり良くない。
 けれどそれを気にせずに、ニコルは親子の背中を見つめたままで言葉を続けた。
「あんなに愛情を注げるのは、その子が愛した方との子だからでしょう? 望まない子ならあそこ
 まで愛せないと思います。」
「…俺には、分からないな……」

 分かりたくもない。
 キラが他の男を深く愛し、今も想っている気持ちなんて。

「子どもができれば分かるんじゃないですか?」
「お前はいないのにどうして分かるんだ?」
 揶揄するような質問には逆質問で返してやる。
 それにもニコルは表情を変えずに、ただ彼は視線をアスランに向ける。
「僕のは一般論ですから。アスランはそういうことに疎すぎます。」



 ニコルが明確な答えを出さないのは確証がないからだ。
 たぶんそれはみんな同じ。
 薄々感づいていながら、誰もが声に出さない。

 地球の聖母の息子、戦争を終わらせた幼子の"父"が誰であるか。


 それを知るのはただ、聖母のみ―――







---------------------------------------------------------------------


何年ぶりかに聖母書きました。まだネタはかなり存在します。
テトラポリスはみんな一緒なので書きやすい時期かもしれません。
アスランは1度鏡で自分の顔を見てみた方が良いと思うよ。そっくりだから。



BACK