聖母 −想いの果て−
会えない不安、分からないことへの焦燥。
キラが分からない。
分からなくて苦しい。
これ以上不安にさせないでくれ。
俺を、置いて行かないで欲しいんだ。
…そうしないと闇に飲まれてしまうから。
お前を壊してしまうほどの、このどす黒い凶暴な心。
それがきっと お前を傷つけてしまうから―――
それは、ザフトにとっても最後の切り札だった。
アスラン・ザラ率いるザラ隊と、イザーク・ジュール率いるジュール隊。
彼らは元クルーゼ隊にして、現在最も戦績を上げている部隊。
その長は、戦時下最も競争率が高かった年に卒業時のアカデミー総合成績がNo.1、2の2
人で 今なお良いライバル関係にある。
そしてその2人が同じ戦場に並び立つのは、隊の長として任命を受けて初めてのことだった。
「久しぶりだな。」
言葉通り久方振りに顔をあわせた相手と、アスランとイザークは握手を交わす。
「この4人が揃うなんてコト、ありませんでしたからね。」
その後ろでニコルが笑って言い、ディアッカも肯定の意味で肩を竦めた。
アスランの副官をニコルが務め、イザークのそれをディアッカが務める今。
ザフトの双璧とも呼ばれる彼らが同じ戦場にいることは普通あり得ないこと。
しかし、今回は事態が事態なだけに それも仕方のないことだった。
「元クルーゼ隊Gパイロット勢揃いか。あちらもそれなりってことかね。」
わざと軽く言ったディアッカの言葉は しかし的確だ。
つまりは 世論が和平へと動き出している今の状況に両軍とも切羽詰まっていたのだ。
その為、今 宇宙の真ん中で、両軍 総力戦に近い状態になってしまっている。
そして総力戦というのなら、あちら側にも当然来ているものがあった。
「―――足付きとも3年振りの再会か。」
「ストライクもな。」
どこか懐かしそうに言ったアスランに付け足すようにイザークが続ける。
足付き…正式名称アークエンジェル、そしてストライク。
彼らにとっては因縁の艦とMS。
互いに切り札なだけあって 今までは避けていたが、今回の戦闘によって ついに全面対決を迎
えた。
「…あの頃のように足を引っ張るなよ?」
明らかに皮肉としか言えないそれに対して、しかしアスランも慣れたもので動じもしない。
「…ああ。こちらも期待してる。」
そうして見せた笑みはどう見ても馬鹿にしているようにしか映らなくて。
当然だが イザークはプツンと切れた。
「貴様っ」
胸倉に掴みかかりそうになったところで、すかさず間にディアッカが入る。
「ハイハイそこまで。相変わらずだな、お前ら。」
彼の呆れた口調に一瞬イザークも詰まるが、相手がすでに自分の思考に没頭して眼中にもない
と知るとますます怒りを煽られたようだった。
…当然、アスランはそれにも気づいてもいなかったけれど。
―――キラ。
やはりお前は俺のところには戻らないのか…?
何度も否定した。
そうして心を保ってきたけど。
…もう待てないんだ。
だから、これで最後にする。
もし 今度、お前が俺を拒むようなことがあるなら、その時は。
俺の手で終わりにするから―――…
「まさか本当に出てくるとは思わなかったよ…」
独りごちて、キラは目の前に立ち塞がったものに目を向ける。
漆黒の宇宙の中で燃える炎のように、もしくは戦場に散る者達の血のように、
美しく輝く赤のMS―――イージス。…アスランの機体。
ラクスを引き渡して以来、数年ぶりに目の前で見るその姿に 思わず惹きつけられた。
普通 隊長クラスの人間は前線には出ない。
けれど彼…らは、軍最強の力を持っているが故に その常識を覆すように常に先頭を切って参
戦していた。
それは彼らの 若さ故のこともあったのだろうけれど。
<―――キラ、>
不意に開かれた回線の先から、聞こえてきたのは彼が自分を呼ぶ声だった。
けれどそれは 凍えるほどに冷たい声音。
完全に感情を消し去った、地に響くような声で。
こんな彼の声は知らない。
知っているのは 優しい声、甘さを含んだ声。
一緒に来いと言われた時も、どうしてと強く抱きしめられた時も。
苦しげで、切なげで、そこには確かな温度があった。
初めてだ。こんなに… 彼が怖いと思うなんて。
アスラン… それが君の答え?
「君とまた、ここで会うとは思わなかった……」
淡い期待も打ちのめされて、残るのは彼への落胆した気持ちと彼を変えられなかった自分への
怒り。
<戦場であれば当然のことだろう。>
「うん… でも、君なら気づいてくれると思ってた。」
勝手に期待した僕が悪いのは分かってる。けど。
君ならって思ったんだよ。
だから、あの時言ったんだ。
君なら分かってくれるって、ラクスに1番近い君なら。
でもそれは、ただの甘えだったのかな。
「ねぇ、君に彼女の"歌"は届かなかったの?」
平和を願うこころ。
"敵"である僕の声は届かなくても 彼女の声なら届くと思ったのに。
けれど今、アスランはここにいる。
彼女でさえ変えられないほど彼の悲しみは深いの…?
「君はまだ、ナチュラルが憎い?」
<…憎くはないさ。お前は俺達を憎まないんだろう?>
答えは意外なものだった。
「じゃあ何故? 小母さんのこと、まだ君は…」
<俺はナチュラルは嫌いじゃない。小父さんと小母さんは好きだった。>
淡々とした言葉の中に 少しだけ温度が生まれる。
あの時も両親の死をアスランが本気で悲しんだことを思い出して、それは嬉しいと思った。
でも、その温度はすぐに消える。
<―――だが地球軍は嫌いだ。憎くてたまらない。>
「え?」
驚いたのは何に対してだったか。
<奴らはお前を奪ったから。>
刹那、感じたのは違和。
アスランが個人的感情で好き嫌いを言ったのが珍しかったのか。
理由に覚えがなかったからか。
ただ、分からないけれど、何かが胸に引っ掛かっている気がして。
「…奪われたつもりはないけど。」
奪われたんじゃない、自分の意志で残ったんだ。
彼は知ってるはずなのにどうしてそんなことを言うのだろう。
<でもお前はこちらに来ない。こうして俺の前に立ち塞がる。>
「それは… 望むものがそこにあって、あそこが僕の帰る場所と決めたから……」
やっぱり何か変だ。
その"何か"に気づかなくちゃならないのに、結局自分には分からなくて。
<何があっても俺の所に来る気はないんだろう?>
どこか重く感じた言葉。
これが最後なのだろうと、頭のどこかで思った。
「……うん。」
沈黙の後の、答えは肯定。
この時、"何か"に気づいていれば、もっと別の答えをあげられたのかもしれないけれど。
でもそれを 後から悔やんでももう遅い。
<―――分かった。>
イージスがサーベルを抜き、戦闘体勢をとる。
落ち着き払った声に、彼の怒りが臨界点を越えたことを知った。
<だったらもう躊躇わない。>
低く響いた声の後、キラはイージスを見失った。
*******
「くっ…!!」
一瞬後にきた衝撃にキラは思わず呻き声を漏らす。
反射的に抜いたサーベルで彼の攻撃を受け止め、距離を取るも それはすぐにまた詰められた。
繰り返される容赦無い攻撃。
宣告通り 今の彼には躊躇いなど微塵もなかった。
<…安心して良い。>
「何が!?」
彼からの攻撃でこちらは全く余裕がないのに、その彼の声は何故もこう静かなのだろう。
さっきから感じる違和はますます大きくなっていて。
<お前を殺したら、すぐに俺もいくから。>
「!?」
当たり前のように告げられたその言葉に キラは愕然とした。
<そうすればキラも寂しくないだろう?>
見えないはずなのに解る。彼はきっと今笑顔だ。
恐ろしいほどに綺麗な、笑顔。
「君は…っ」
背筋が凍る。声が震えそうになる。
「君は自分が何を言っているのか分かってる!? 君は一体何の為に今まで…っ!!」
分からない。彼が全然分からなかった。
<何の為だなんてもう分からない。俺が守りたいのはキラだけだったのに、お前はここにいな
いから。>
「アスラ… ―――!」
不意に違う方からの警告音が響く。
咄嗟に機体を反転させたすぐ横を 光が通り過ぎてひやりとした。
<イザーク!!>
アスランが叫んで デュエルへと攻撃の矛先を変える。
彼の行動に驚いたが 攻撃はその1回だけで、デュエルが去るとまたこちらを向いた。
<…お前が倒すべき者なら俺が殺すよ。他の誰にも邪魔はさせない。>
再び開始された執拗な攻撃を辛うじて受け止めつつ、キラは震えそうになる自分を叱咤して
ぐっと顔を上げ前を見る。
泣くのはダメだ。今は泣くべき場面じゃない。
「僕は 君を殺す気なんてない!」
<この場でそんなものが通用するとでも? これは戦争だ、生きるか死ぬかしかないだろう。>
何を言ってもアスランには響かない。
心に届いてくれない。
「この戦争は無意味だ! 君だって分かってるんだろう!?」
<そんなの今更だ。>
どうしても分かってくれない。
噛み合わない会話はどこまでも平行線を描く。
それが もどかしくて哀しくて。
「今更じゃない! 地球軍でも反戦意識は高まってる! 君だって聞こえているはずだ! 聞いて
ないだけで、平和の声が聞こえてるはずだよ!?」
"聖母"の言葉によって戦争に異を唱え、賛同する人は増えた。
軍内部だけではない。
地球に存在する国々も、オーブを始め反戦を掲げる国は多い。
プラントでもラクス・クラインが唱える言葉を支持する者は増えていると聞く。
世界の流れは戦争終結へと向かっている のに。
<…それが何?>
「アスラン!」
なのに どうして。
アスランには届かないのだろう。
<一緒に逝ってよ。>
どうして…
「僕は…っ 僕はまだ死ねないんだ!」
戦争を終わらせるためにはあと1歩。
けれどここで自分が死ねばそれも水の泡。だから死ぬわけにはいかない。
だから…っ!
<―――共に逝くことすら拒むのか…>
アスランの声色は絶望を映しているように聞こえて。
彼からの攻撃が止んだ。
ホッとする反面、でも不自然で安心はできなくて。
静かな彼が逆に怖かった。
<―――アイツがいるからか?>
「…?」
ふと 何かを思い出したようにアスランが呟く。
<アイツがいるからキラは俺のものになってくれないのか?>
「何のことを言ってるの…?」
彼の様子がおかしい。
キラの声など 全く聞こえてはいないようで。
アイツって、誰のこと?
<―――あそこ… 足付きにいるんだっけ。キラが1番大切に思う奴。>
「アスラン…?」
凪いだ声音にぞっとする。
これならさっき攻撃されていた時の方がまだマシだった。
<じゃあ アレを落としたらお前はこっちに来るのか?>
「さっきから 何を、言って…」
何故だろう。彼の先に底知れぬ闇が見える。
それは宙よりもっと 暗くて深くて。そして怖くて。
飲まれそうになる自分に気づいて、知らず震える指先を グリップを握り締めることで抑えた。
<お前の居場所はあそこしかないんだろう? だったらそれを失ったらお前は俺の所に来てく
れるのか?>
「っ 何馬鹿なこと言ってるのさ!?」
"失う"の言葉に 目の前が真っ赤になった。
きっと自分はさっき地雷を踏んだのだろう。
今 やっとそれに気づいて、でもそれ以上にアスランの言葉が信じられなかった。
「そんなことしたら僕が君を憎むだけだ! 僕がここにいるのはもう知っている人を失いたくな
いからだって前にも言ったよね!? 君を憎みたくないからだって!」
アスランが言っていることはメチャクチャだ。
そして自分の頭の中も。
いつものように冷静になれない。彼には感情でしか返せなくて。
もうどうしたら良いのか分からない。
アスランが分からなくて混乱して。
悔しくて哀しくて切なくて。
バイザーの中に透明な雫が舞った。
<憎む…?>
「そうだよ!」
潤む視界の中で、それでも目一杯叫ぶ。
だから止めて、そんなことは。
必死で願った。
<―――良いよ、それで。>
「……っ!」
けれど願いは届かなくて。
<それで俺がお前を支配できるなら。その心を独占できるなら。…また 傍にいてくれるなら、
それで構わない。>
どうして…
何が彼をそうしてしまったのか。
違う、分かってる。
彼を追いつめたのは自分だ。
彼より世界を選んでしまったこと、それが彼をこんな風にしてしまった。
でも、僕は"聖母"で。
この身に負うものがある限り、個人の感情で自分の身を投げ出すことはできないから。
彼1人の為だけに 今までの皆の努力を無駄にはできなかった。
<少しだけ待ってて、キラ。>
それを最後に彼からの通信が途絶えた。
ハッと我に返った時にはすでにイージスはクルリと向きを変え ストライクに背を向けていて。
指示を受けたのか、彼の他にも数機がアークエンジェルへ進路を変えている。
「待って…っ」
彼の言葉が脅しだとは思わない。
彼がやると言ったのなら、本当にやる気なのだ。
「ぁ…―――」
アスランがアークエンジェルを… みんなを殺す?
アカツキを…?
僕と彼の唯一の、大切な――――
頭が一瞬真っ白になった。
「っ駄目ぇーーーーーー!!」
パァンッ
目の前で何かが弾けた気がして、途端クリアになった視界。
けれどそれが何だなんて考える余裕すらなく、キラは一心にアークエンジェルを目指す。
そんなことはどうだって良かった。
今考えるのは アカツキを守ることだけだ。
向けられた銃を撃たれる前に全て切り落とし、後は無視して機体の間をすり抜ける。
あっと言う間にアークエンジェルとイージスの間に割り込んだキラは、事態に構わずイージス
に切りかかった。
スキュラを放つのを諦め、瞬時にMS形態に戻した彼と数度切り結ぶ。
さすがに他の機体と違って簡単にはやられてくれないようだ。
しかし、彼を抑えておけば囲まれたアークエンジェルにも突破口は開ける。
その旨を伝える為に 艦へ回線を繋ごうとした時だった。
<まま―――っ!>
聞き慣れた幼子の声が、戦場に響き渡ったのは―――
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アスランぶっ壊れ話。ザラ様降臨な感じで。
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