聖母 −瞳の色−
それを見るのは珍しいことじゃなくても、1人でいるのを見たのは初めてだった。
廊下を進みながら部下に指示を飛ばしていたアスランは、服の裾を引っ張る何かに気づいて立ち
止まった。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いや……」
不思議そうに問う部下にどこか曖昧な返事を返す。
…それは弱々しい力で、気づかなければそのままでいられたもの。
けれどどうにも気になって アスランは足元を見下ろした。
そして、認めた途端に固まってしまう。
―――そこには。
膝くらいまでしか背丈のない小さな子どもがいた。
「……」
彼の少女と同じ色の髪、それが誰であるかは間違えようもない。
そもそも この施設にはこの子以外の"子ども"は存在しないのだから。
…キラの最愛の息子、アカツキ。
"戦争を終わらせた幼子"であり、今は施設のマスコットと化している少年だ。
しばし考えた末、アスランは部下に先に行くように伝えた。
「今日は1人なのか?」
彼がいなくなってから、俯いたその子の頭をポン と優しく叩く。
けれど何故か反応は返って来ず。
「アカツキ…?」
不思議に思ってしゃがむと、僅かに顔を上げた子どもは 今にも泣きそうな顔をしていた。
よほど心細かったのだろうか。
それでも泣く寸前で止めている辺り、我慢強い子なんだなと。
…母親と そんなところは違うのかとふと思った。
「迷子か?」
目線を合わせて 覗き込むように問うと、幼子はコクンと頷く。
おそらく散歩にでも出かけて戻れなくなったのだろう。
キラの方も探しているだろうし、すぐに連れて行ってやりたいところだが…
しかし、問題は アスランもキラの居場所を知らないということだ。
互いにどこか避けているところがあって、よく考えれば今キラが何をしているのか全く知らない。
その事実に愕然としたが、それも仕方のないことだと思い直した。
自分たちはもう あの頃には戻れないのだ。
「……仕方ないな。」
小さく溜め息を零して、アスランはおもむろにアカツキを抱き上げた。
見た目よりは重いが それでも片手で十分足りる程度だ。
「!?」
アカツキの方はといえば 急に視界が変わったことに驚いて目をぱちくりさせる。
しかしいつもより高い目線にいることを理解すると、今度は冒険心からか瞳をキラキラと輝かせて。
それにアスランは、ふ と微笑った。
「一緒に探そうか。」
その言葉を聞いた途端、アカツキの表情がぱぁと明るくなる。
「うん!」
素直に頷いた その幼く可愛らしい笑顔。
それを愛しいと思うと同時に、彼の時の少女がダブって見えて。
―――酷く懐かしくて、切なかった。
誰かにキラの居場所を聞こうかと視線を巡らせていたのだが、当の迷子本人が探す様子もなく
自分を見ているのに気づいた。
目が合ってもただじーっと見つめてくるだけで 怪訝に思って内心首を傾げる。
「…どうした?」
「ままのすきないろ!」
さっきより何故だか嬉しそうにアカツキは笑っていて。
拙い口調で急に叫んだ。
「え?」
「ぼくの"め"ね、ままがいちばんすきってゆうの。おにいちゃんもおそろいだね。」
同じであることがそんなに嬉しいのか、一生懸命に伝えてくる。
母譲りのこの色はさほど珍しい色でもないはずだが 本人はよほど嬉しかったらしい。
「そうか。」
自然と頬が緩んで微笑むと、喜んで アカツキはさらに言葉を続けた。
「ぼくはままとおなじ"かみ"もすき。でもままはずっとこのいろがすきなの。」
―――僕は君のこの色が1番好き。翡翠色のその瞳…
不意にいつかのキラの声が過ぎる。
瞼にキスを落として微笑った彼女が愛しかったのを覚えている。
こんな時にも見つかる 思い出のカケラ。
心の奥に沈めたはずのそれが溢れ出て、パズルのように組み立てられて。
愛しさと、切なさと。
思い出が 息が詰まるほど胸に痛い。
「ほんとはヒミツなんだけど、おにいちゃんにはおしえるね。」
アスランの心は露とも知らず、上機嫌の幼子は内緒話をするように手で隠して耳元に顔を寄せて
くる。
「ぼくとおにいちゃんのいろはね、ままがとてもすきなひとのいろなんだって。えーと―――…
つきの こいびと、だっけ…?」
「……え ?」
一瞬耳を疑った。
「いまもね、ままはそのひとがだいすきなんだよ。ぼく、しってる。」
期待は… してはいけないと思った。
けれど、もしそうだったなら と。
「アカツキ!」
辺りをきょろきょろしてどこか慌てた様子のキラが、こちらを見た途端に泣きそうな顔を笑顔に
変えて走ってきた。
どうやら彼女の方も必死に探していたようだ。
「まま!」
アカツキも比べものにならないほど嬉しそうに身を乗り出して。
それを落とさないようにアスランはもう一方の手で支えてやった。
「…ア スラン……」
手を伸ばせば届く、その1歩手前でキラは立ち止まる。
躊躇うように一瞬だけ紫の瞳が揺れて。
けれど すぐにそれを笑顔で打ち消したキラは、何事も無かったかのように1歩進み出た。
「…アスランがここまで連れて来てくれたの?」
「うんっ ぼく おにいちゃんだいすき!!」
アスランの代わりに 抱かれた子供が笑顔で答える。
「そう。良かったね。」
その子に微笑んだキラは 少女ではなく母で。
まだ慣れないけれど。
変わらず美しいと――― 愛しいと思った。
「願っていたよ、こんなふうに3人で過ごす時を。…遠い 夢だったけど……」
「え?」
聞こえない呟きを聞き返したけれど 笑顔で首を振られてしまって。
「なんでもない。」
そう言われてしまえばそれ以上は聞けなかった。
呟きの瞬間に とても悲しそうにしていたのは気のせいだったのだろうか。
「―――おいで。戻らないとフレイに怒られちゃう。」
「はーい。」
彼女が腕を伸ばして アスランは彼女の腕にアカツキを渡す。
ホッと息を吐いて1度ぎゅっと抱きしめてから、キラはアカツキをアスランに見えるように抱き
直した。
「ほら、お兄ちゃんにバイバイって。」
「バイバイ おにいちゃん! またあそんでね!」
素直に手を振る彼に、アスランもまた軽く手を振り返す。
「あぁ。また、な。」
本来子どもは苦手だが、この子のことは苦手とは思えなかった。
それは彼の持つ天性の性格故か、それともキラの子どもだからか。
答えは分からなかったけれど。
「…アスラン 気に入られたみたいだね。」
初めて、キラが前みたいに微笑った。
"本当"の 素直な笑顔をアスランに向けた。
「暇があったら遊んでやって。」
それじゃあ と、返事を聞く前にキラは行ってしまったけれど。
アスランはしばらくその場から動けなかった。
実は自信を失いかけていた。
本当にまだ自分はキラが好きなのかと。
けれど、そんなことは全くの杞憂だった。
自分はキラを愛している。
―――今のキラも。
変わった部分もあるけれど、それでもキラはキラだ。
キラの根本は変わっていないのだから。
だったら何を遠慮することがあるだろう。
「…せっかく会いに行ける口実ができたんだ。利用させてもらおうか。」
アカツキの言葉に期待しているんじゃない。
確かに自信はついたけれど。
…別にキラがもう自分を"恋人"として見ていなくても構わないのだ。
あの頃に戻る必要もない。
やっとそれに気づいた。
必要なのは 今の自分のこの気持ち。
また片想いから始まっただけ。
たったそれだけのこと。
悩んで憤っていたさっきまでの自分が馬鹿らしい。
答えはこんなにも簡単な所にあったのに。
なんだか長い夜から目が覚めたみたいだ。
全ての迷いが吹っ切れて、久々に気分が良かった。
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元は小話でした。
だからキラに似てない部分は君に似てるんだってばとツッコミ。
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