聖母 −繋がれた手−
あの幼子の声からわずか2カ月。
世界は和平へと急速に傾き、ついに地球−プラント間において条約が締結された。
地球は"聖母"と呼ばれる1人の少女を、プラントは"歌姫"と呼ばれる少女を。
それぞれ中心として広まった戦争反対の意識。
平和を願い 戦争の悲しさを説く2人に心打たれた人々の心が、ついに世界を終戦まで導いたのだ。
それによりプラント理事国はプラントの独立自治を認め、プラントもまた地球の資源危機改善に協
力することで合意を得た。
残る問題は小規模のテロであるが、それも少しずつ沈静化している。
―――平和の象徴、"地球軍の聖母" キラ・ヤマトと "ザフトの歌姫" ラクス・クライン。
戦争終結の中心人物として並び称される2人であるが、さらにもう1人 その立役者としてあげら
れる名がある。
戦時中両陣営のどちらにも属さず、中立の理念を貫いたオーブ。
その国の姫であるカガリ・ユラ・アスハだ。
彼女は早期からこの2人の意見に同調し、率先して様々な支援を行ってきた。
片側にしかもたらされないはずの少女達の声を届け、双方が同じ未来を見、平和を願っていること
を伝えたのもオーブ。
また調印式の場を提供したのもオーブであり、そして和平の証として試験的に設けられた共有居住
コロニー"テトラポリス"もオーブは全面的に支援している。
それらの功績により、両陣営の条約締結直後 彼女は民衆の圧倒的支持に推されて国家元首の地位
についた。
その数ヶ月後。
オーブ代表主催による両陣営親睦の為のパーティーが行われることになった。
そこではコロニー"テトラポリス"についてや、軍縮に向けての会合も行われる予定だ。
それと、もう1つ注目を浴びているのが"聖母"と"歌姫"の顔合わせ。
同じ思いを持ちながら ただ1度も会うことのなかった少女達が、やっと同じ場で声を交わすことが
できるのだ。
その関心は他の何より高いものだった。
実は当初、キラはこれに出席するつもりがなかった。
終戦の後は軍を退役―――は無理でも表舞台からは降り、戦火に見舞われた地域の復興支援に力を
尽くしたいというのが彼女の希望であり、"契約"であったから。
元々"聖母"は戦争を終わらせる為に必要で利用した存在。
もう彼女には必要ないものだ。
それに、これ以上の名の一人歩きを阻止する為にもちょうど良い機会だとキラは考えていた。
―――しかし。状況がそれを許してはくれなかったのだ。
「…つまり。戦争を終わらせた幼子の声…それを、あちら側には信じていない人もいるのよ。」
言いづらそうに、艦長室の椅子に腰掛けたマリューが事の次第を説明する。
軍上層部より参加が"命令"としてもたらされたのはついさっき。
見るからに機嫌を降下させていくキラに、それでもマリューは困った顔を返すしかない。
「そんな顔しないで。私と大佐も行くから。―――それから、アーガイル曹長とアルスター軍曹も一
緒にね。」
「「え?」」
突然話を振られたことに、驚いたのは当の2人だ。
何故キラと共に呼び出されたのか分からなかったが、それがこの為だと知ってさらに困惑した。
「貴方達はこういう場に慣れているでしょう? 私達としてもコーディネイターに偏見を持たない若
い世代が欲しいの。」
つまりはキラのサポートを主にした親善大使的役目らしい。
確かにこのような社交の場なら、親を要職に持つフレイ達が適任だろう。
何よりキラの為だ。2人は笑顔でその任を承諾した。
軍に入ったばかりの頃はコーディネイター…特に キラを敵視していたフレイだが、今は1番の支援
者となっている。
何もかも敵わず、サイすら奪われかけた理由から嫌っていた昔。
しかし共に軍で反戦を訴えているうち、彼女の人となりを知ったフレイは考えを改めた。
軍に入ったことでブルーコスモス的思想を持つ父と離れたことも良い影響だったのかもしれない。
キラを除けばアカツキを最も可愛がっているのもフレイであるし、もうすでに彼女のコーディネイ
ターに対する偏見と差別の意識は180度変化していた。
「まだ…もう少し"聖母"として頑張ってもらわなきゃならないけど… やってくれる?」
申し訳なさそうにマリューはキラの顔を覗き込む。
この会合の後、さらにコロニー"テトラポリス"配属にも"聖母"を含むAAクルーは決定していると
のこと。
世界はまだ彼女を必要としている。
まだ、彼女は表舞台から降りることを許されない。
元々人前に出ることが彼女は嫌いだ。
それを我慢して万人の目に晒されて過ごしてきたのも全ては戦争終結の為。
たった1つの願いの為だ。
「―――僕が表に立ち続けることで、平和が1日でも長くなるのなら。」
重い口を上げて、キラはそれを答えとして。
そしてその代わり、と。
たった今無効になってしまった条件の代わりになるものを申し出た。
それは、ある1人の人間の為に。
「若い世代、ですか?」
一方のザフト側でも。
ザラ隊とジュール隊の各隊長・副官がかつての上司、今ではパトリック・ザラの片腕となっている
男に呼び出されていた。
アスランの意図がはかりかねるという疑問に、その男…クルーゼはひとつ頷く。
「頭の固い大人よりもこれから未来を作る若者の方が良いだろうと クライン議長がおっしゃるので
な。君達は将来跡を継ぐのだろうしちょうど良いだろう。」
今度オーブが主催する両陣営の親睦パーティーに彼らが出席するようにと通達があったのだ。
さらに両隊にはザフトの代表として"テトラポリス"赴任の命が出ていることも告げられた。
確かに彼らは全員がプラントの次代を継ぐものだ。
これ以上の適任はいないかもしれない。
4人共敬礼を以て その命を諾した。
「あぁ、それからアスラン。君にはもう1つ仕事がある。」
「?」
忘れ物とでもいった言葉に、アスランは首を傾げる。
「ラクス・クライン嬢も出席が決まっているのでな、エスコートをして欲しいそうだ。」
それは婚約者として。
アスランには当然の役柄ではあるが。
「…ラクスが、ですか?」
ちらりと横を見やる。
あまりこういう役は"彼"の前ではやりたくない。
向こうはこちらを見ていないが、その心中は複雑なところだろう。
「これは命令ではなく 議長からの"頼み"だが。」
わざとなのだろうが、クルーゼはそれらを完全に無視した形で話を進める。
…表上 婚約者なのはこちらなのだからどうしようもないことだと、アスランもそれ以上考えること
は止めた。
相手が何も言わないのも きっと同じ理由だから。
「あちらからは噂の聖母様が参加されるそうだ。どちらも平和の象徴だ、会わせたいのだろう。」
「!」
"聖母"の名が出た途端 彼の表情がわずかに変わったことに、気づいたのはクルーゼくらいだったか
もしれない。
仮面の下で見えないが、面白いとでもいったふうな目を向けている。
「……」
キラが来る……
それは、嬉しいようで でも喜べない複雑な気分だった。
何度も伸ばした手を振り払われ、絶望と共に彼女の望みと逆のことをした。
彼女の考えに気づけなくて。
今ならあの時、最後に抱きしめたあの時に言われた言葉が分かる。
彼女は常に先を見ていたのに、それに自分は気づけなかった。
ただ、彼女に拒絶されたことが悲しくて辛くて。
だから、ラクスの言葉にも耳を傾けられなかったのだ。
あの幼子の声を聞いて、ニコルに言われ、ラクスに会うまで。
今はまだ会いたくない、その気持ちは確かにある。
けれど、会いたいという気持ちも、確かにあるのだ。
まだ彼女を愛しているから。
たとえ、自分にその資格がなくとも。
---------------------------------------------------------------------
テトラポリス親睦パーティー編 序章。
次回からパーティー当日。
BACK