聖母 −すれ違う2人(後)−


 春のような雰囲気で、穏やかに微笑むプラントの平和の歌姫。
 先程別れたままに キラと目が合うと彼女はその笑みをさらに深くする。
 その後ろには数人の男性が付き従っていて、彼らはキラの存在に少し驚いているようだった。

「―――ラクス。ニコル達も一緒か。」
 一方 振り向いて言ったアスランは さっきまでのことが嘘のように平然としている。
 見られたかもしれない恥ずかしさと罪悪感にキラの方は動悸がまだ治まらないというのに、彼の
 その振舞いはすでに 数分前のことなどなかったかのようだ。
 1番に駆け寄った若草色の髪の少年に対しても 全く落ち着き払った様子で。
 その余裕が腹立つけれど同時に彼の考えも読めて、だからキラは言おうとした言葉を喉の奥に沈
 めた。


「こんな所にどうしたんだ?」
 こんな所―――独りになりたいからとアスランが選んだ場所は当然人気もなく。
 キラはいなくなった子どもを探しに偶然来ただけで、本当なら何もないのに人が来る所でもない
 はずだ。
 アスランの質問に対して ニコルは1度彼の手元に目をやって顔を上げた。
「それが… 銃声が聞こえたような気がしたので、行ってみようということになったんですが……
 こちらの方で何かあったんですか?」
 それは確認のつもりで言ったはずだったのだが。

「あぁ 気のせいだろう。」

 間も何もなかった。
 表情も変えずにアスランはすっぱりと言い切る。
「……はい?」
 詳しく言ってもらえるものだと思っていたニコルは、返ってきた答えに一瞬呆気に取られてしまっ
 た。
 予想していなかった答えに反応が遅れたのだ。
「えーと…」
 そこまできっぱり言われると実際そうなのかもしれないと思いそうにもなるけれど、この状況では
 さすがに気のせいなんて在り得ない。
 そもそもこの面子に対して隠し事というのが珍しく、その奇妙さがさらに怪しい。
 すぐに気を取り直して今度はぴたりとそれへ目を向けた。

「…アスラン。ではそれは?」
 どう誤魔化すつもりなのかと言いたげに 彼が指したのはアスランが持っている銃。
 それがここにある時点で銃声が事実であることを示しているのに、それでも当のアスランは涼しい
 顔だ。
「これは俺のじゃない。落とし物だ。」
 言われて初めて気づいたように、彼はそれを一度持ち替えて。
 確かめてみろと寄越された物は確かに彼の所有しているものとは異なっていた。
 副官である自分がそう判断するのだから間違いない。
 しかし、
「落とし物って…」
 本気でそれで済まそうとしているのだろうか。
 真面目な顔をして言われても この状況でそれを信じろというのは無理な話だ。
 それに彼の傍にいるのは"聖母"様。
 人目を忍んで話をする間柄でもあるまいし、何かあったと見た方が妥当だろう。

 確実に、何か隠している。


「…ニコル。他に銃声を聞いた人間はいるのか?」
 じっと探るような目で見ていると、わずかに思案する仕草を見せたアスランが唐突に問いかけてき
 た。
 それが何を意味しているのか分からないけれど、律義に答えてしまうのは副官の性故か。
「いえ、おそらく僕達だけです。ロビーの方は話し声でわりと騒がしかったですし、僕達が聞こえ
 たのも端の方に偶然いたからでしたから。」
「―――なら問題ないな。それは適当に処分しておいてくれ。」
「って えぇ!?」
 たいていの命は笑顔で了承するニコルも、さすがにすぐハイとは言えなかった。
 彼は簡単に言うけれど銃を適当に処分なんてできるものじゃない。
 けっこうな無茶を言ってくれる隊長に、抗議と共に事情も聞き出そうと口を開きかけ―――、

「…え…?」
 ニコルはそこで 奇妙な光景を目撃してしまった。

 ありがとうと言う小さな声が聞こえて、アスランがそれに……微笑んだのだ。
 声は聖母と呼ばれる少女のもの、彼が顔を向けたのも当然そちら。
 失礼かもしれないけれど、今のは見間違いじゃないかと我が目を疑った。

 …こんなに 優しく甘く笑う彼を見たことがなかったから。
 気にするなと囁いた響きの甘さも長年一緒にいて初めて聞いたものだったから。

 感心する前にとにかく吃驚してしまって、ニコルはそれ以上追求する言葉を失くしてしまった。
 そして同時に思う。

 何か 思い違いをしているような―――
 そんな、漠然とした、不安にも似た何かが…



「おい、アスラン。」
「…なんだ?」
 言葉を失ったニコルの代わりに声をかけたのはイザーク。
 アスランは元の…いつもの感情を排除した顔に戻して振り返る。
 言われることは大体予想がついているのだろう。
 表には出なくても嫌そうな雰囲気が伝わってきた。
 しかしイザークの方もそれで引くような性格は持ち合わせていない。
 研がれた氷のような瞳で逆に相手を睨みつける。

「貴様… まさか本気でそれで終わらせるつも」

「キラ。こんな所にいらっしゃいましたのね。」

 まるで被せるように、イザークの言葉を遮るように。
 2人の間を割る形でラクスは前に進み出ると アスランの影にいた彼女の手を取った。

「先ほどはゆっくり話すこともできませんでしたから。探していました。」
 満面の笑顔で 戸惑うキラにさらに言葉を畳みかけるように紡ぐ。

 その場の空気を読まない態度は天然を装っていた昔ならまだ素だと判断できた。
 けれど 本質をさらけ出した今の彼女の、さらにこのタイミングでの態度となるとその確率はゼロ
 だ。
 どう見てもわざとであるそれに、イザークは憮然としつつも言葉を引っ込める。
 こうなればこれ以上の追求は不可能だと分かっていたからだ。
 それは 追求するなという彼女の無言の圧力だったのだから。


 小さく舌打ちして不機嫌そうにそっぽを向く彼も、急に緊張感を殺がれて目を瞬かせている彼も
 わざと放ったまま、ラクスはその笑みをキラだけに向けた。
「次に会った時はたくさんお話しましょうというお約束でした。」
「…ラクス、さん……」
 戸惑いから脱したキラは少しホッとしたように苦笑う。
「まあ。ラクスとお呼び下さい、キラ。」
 今この場にいるのは歌姫でも聖母でもなくただの少女だからと。
 3年前と同じ笑顔で言われ、きょとんとした後 キラは今度は「うん」と笑って言った。



「…ラクス。君にずっと言いたかったことがあるんだ。」
 気を取り直して、握られた手をギュッと握り返し キラはラクスの目を真っすぐに見る。
「何ですか?」
「うん… あの時はありがとう、って。」

 それは壇上ではさすがに言えなかったこと。
 でも、1番彼女に言いたかったこと。

 "あの時"が指す先を1つしか知らないラクスは礼には及ばないと微笑った。
「キラやアークエンジェルの皆様は命の恩人ですから。私は恩返しをしたまでですわ。」
 アークエンジェルが月に無事に辿り着けたのは彼女のおかげだ。
 彼女にしてみればそれは助けてもらったお礼で それに対しての礼はもう要らないはず。
 けれどキラは首を振る。
「それだけじゃないよ。あの頃の僕はいろいろあったせいで気が滅入ってて… だからラクスの存在
 に救われた部分は多いんだ。」
 彼女の歌声は優しくて、その歌に癒された。
 2人で話した夢は絶望の中の希望に、そして後には掲げる理想になった。
 彼女と話したから "聖母"が生まれたのも確かだ。
 1週間にも満たない短い共有の時間だったけれど、それはキラの救いだった。

「だから"ありがとう"。」
「そういうことでしたら。どういたしまして、お役に立てたのなら嬉しいですわ。」



「…どうして…… 2人は?」
 突然くだけた2人の様子に驚いているニコルの気持ちは他の面々も同じだったようで。
 彼の疑問の呟きに同意する仕草をみせる。
 それにあら、と気づいたラクスは手近にあったもの―――ニコルの腕を掴んで彼女の前に差し出し
 た。
「そうでした、アスラン以外には自己紹介が必要でしたわね。―――はい。」

「…え!?」

 急に差し出された方の彼はぎょっとなって振り返るけれど、彼女からは笑顔が返ってくるだけ。
 またそれは有無を言わせない雰囲気があって。
 仕方なく前に戻せば目の前にいる少女はきょとんとしたまま 僅かに上の自分の目を見上げている。

 さっき壇上で見た"聖母様"とは違う可愛らしいそれに一瞬胸が高鳴ったけれど。
 そこは持ち前の順応力の高さで即座に人懐っこい笑顔に変えて、すっと手を差し出した。

「僕はニコル・アマルフィです。はじめまして 聖母様。」
「その呼び方は… キラと呼んでください。」
 苦笑いしつつ彼女は差し出された手を躊躇いなく握る。
 警戒心が全く感じられないそれに、それだけ自分達が信頼されていることを知った。
 それはどこか気恥ずかしさと…そして嬉しさを伴うもので。
 社交辞令の笑みが消えて、少し照れた嘘のない笑みが自然と浮かんでくる。
 そんな自分に ニコル自身が1番驚いた。

「…彼は"アカツキ"君、ですか?」
「はい。」
 そのまま固まってしまいそうだった自分を誤魔化すように視線をずらし、腕の中を覗き込んで言え
 ば笑顔で頷かれる。
 ショールの端を弄って遊んでいた幼子の頭をポンと軽く撫でると その子は嫌がりもせず素直に上
 を向いた。
 可愛いなと思いながら腰を折り、澄んだエメラルドに視線を合わせてにこっと微笑む。

「はじめまして。アカツキ君もよろしくね。」
「……」
 返事は返ってこなかった。
 大きな瞳をぱちくりさせてただ見返しているだけだ。
 …警戒されているのだろうか。
 さすがに急すぎたかなとニコルが反省しかけたところで、頭上の母親がくすりと笑った。
「アカツキ。ほら、こんにちはって。」
 どうやらどう返したらいいか分からなかっただけらしい。
 優しい声でキラが促すと 彼は途端無邪気な笑顔を彼に向けた。
「わー!」
「はい、こんにちは。」
 伸ばされた腕と笑顔でその言葉でもない言葉が挨拶だと理解できたニコルは、握手の意味で目の前
 の小さな手をとる。
 それがよほど嬉しかったのか アカツキはますます上機嫌になってその手を振った。




「へー 俺らと同じくらいなのに母親ってか。驚いたよなー。」
 突然 ニコルの背後からひょっこり顔を出した長身の青年に、キラは驚いて少し身を引く。
 それに気づいてか 彼はニコルとはまた別の人の良い笑みで軽い挨拶をしてきた。
「あ、俺、ディアッカ・エルスマンね。よろしく。」
 ニコルの肩に腕を乗せたまま空いた手で敬礼の真似事をする彼は、どこかの誰かを彷彿とさせて。
 分からないほどさりげない気の使い方も同じだから。
 軽い態度と裏腹にすごく優しい人だと気づいたキラは、にこりと少し意味ありげなものも含んで
 微笑んだ。
「キラ・ヤマトです。よろしくお願いします。」
 もちろん彼はそれに気づいたようだったけれど。

「―――で。こいつはイザーク・ジュール。」
 気づいても照れないのは大人の余裕も兼ね備えているからだろうか。
 何事もなく流された水面下の会話に、しかしキラもそれ以上は追求することなく素直に従った。
「どうもはじめまして。」
 彼の横にいた銀髪の青年に歩み寄って手を差し出す。
「……」
 しかしその手は握り返されることなく、さらにはフンとそっぽを向かれてしまった。
 どうしたら良いか分からない様子のキラを見てディアッカが笑う。
「あー 気にしない。こいつ照れてるだけだから。」
「誰がだっ」
 からかう口調で言われたそれにイザークが食ってかかるが、確かにその顔は心なしか赤い。
 彼女が納得した顔になったのを見て羞恥でさらに赤くした彼は、今度はその元凶に掴みかかった。
「貴様は〜〜っ!」
「はいはい。」
 慣れた様子で適当にあしらうディアッカに沸点の低い彼はキレる寸前。
 あわや殴り合いでも始まるかという様子に、けれど周りは和んだままで。
 どうやらこの光景が普通なのだと察したキラは、止めようと伸ばした手を途中で収めた。


「あー」
 手を必死に伸ばそうとしている我が子をキラは不思議そうに覗き込む。
 一点をじっと見つめて身を乗り出そうとして、何かあるのかとつい腕の力を緩めてしまった。
 すると導かれるように 今は背を向けている青年の方に伸び上がる。
「? どうしたの アカツ―――」

 ぎゅ

 目的の物に触れたアカツキは、それを思いっきり引っ掴んで おもむろに引っ張った。

「い―――っ!?」

 足を踏まれたような悲痛な叫び声をあげたのは、今にもディアッカに殴りかからん勢いのイザーク
 だった。
「〜〜っ なん…っ」
 痛さにがばりと振り向けば、イザークの髪を引っ張ってニコニコしている幼い子ども。
 本人は目的のものを手にいれていたく満足しているようで。
 それが悪いことだとは露ほども思っていない様子だ。
 加減無く髪を引っ張られているのはかなり痛いのだが そのあまりの邪気の無さに怒鳴ることもで
 きず、ぴしりとそこで固まった。

「! ごめんなさい!」
 一瞬遅れて呆気に取られていたキラが我に返り、慌ててアカツキの手を離そうとするけれど。
 子どもの力といえど意外に強くて離れない。
 痛いのは分かっているから焦って、実力行使で引き剥がそうとしたのを、しかし笑って止めたのは
 ディアッカだった。
「あははは 子どもは光るものとか好きだからなぁ。」
 光を反射して輝き、さらさらと音がしそうに流れる髪は子どもには魅力的なものだったのだろう。
 上機嫌の子どもの頭をディアッカはくしゃくしゃと撫でてやった。
「アカツキ、こっち来い。」
 そう言って手招きすれば アカツキは素直に母親から離れてディアッカの腕の中へ収まる。
「気が済めば離すだろ。」
 だから任せろと言外に告げられ、他に方法が無かったキラはすみませんと言って彼に委ねた。
 納得していないのはイザーク本人だけだったが、「だったら泣かれるの分かっててお前この子引き
 剥がせんの?」と言われてしまって結局は承諾するしかなかった。




*******




「…あれ? そういや……」
 アカツキと遊んでいたディアッカが ふと気づいたようにキラの方を見る。
 すっかり彼に懐いたアカツキはイザークの髪からも手を離し、今はディアッカに肩車されてきゃっ
 きゃと喜んでいた。
「―――? 何か?」
 視線を投げられて首を傾げると今度彼はアカツキを見上げる。
「いや、父親を見てないと思って。ここには来てないのか? さっきエスコートしていた男は違った
 ようだしさ。」
「…っ」

 それは誰もが思うだろう疑問で、今まで聞かなかった方が不思議なくらいのもの。
 誰も聞かなかったのは地球軍ではそれがすでに当然だったから。
 ザフトにはそれを聞けるほど親しく話せる人物がいなかったからだ。

 聞いた当人は何気ない気持ちだったのだろう。
 けれど途端 キラの表情が曇り、アスランも眉を寄せる。


「……この子に 父親はいないんです。」
 視線を逸らし、ポツリと返される声。
 ディアッカも含め 全員がそれに息を呑んだ。
「あ… その、戦場で?」
 しまったと舌打ちするディアッカの代わりにニコルが気遣いの言葉をかける。
 聞いてはいけなかったことのようだと、周りは苦い顔をした。
「えっ いえ、そうではなくて。」
 その雰囲気から 言葉足りずに誤解させたことに気づいたキラは慌てて首を振る。
 そして余計な気を使わせてしまったことをまず詫びた。

「この子―――アカツキには "父親"が元からいないんです。」
 正しく訂正し 軍では常識になっている"事実"を告げる。
 今では自分でもそれが本当ではないかと思うほど当たり前になったその"事実"。
「僕は、1人でこの子を産みました。」

 意味は言葉のまま。
 父親がいない子どもを自分は産んだのだと。

「…え!?」
 違う意味で今度は驚かされた。

 "父親"が存在しないなんてそんな馬鹿なことが、と誰もが思う。
 けれど彼女は冗談を言っているようには見えない。
 彼女の瞳は真剣そのものだ。

「僕は聖母で、この子は聖母の子だから、」

「―――"聖母マリアの処女受胎"って?」

 声をかけたのはアスランだった。
 投げかける言葉は疑問でも それは居高く固い声で、ぴりっとした緊張感がその場に走る。
 キラが振り返ると 彼はスッと目を細めて睨むような視線を向けた。

「そうだよ。…君もあんな昔の本のこと知ってるんだ。」
 先程までの柔らかい雰囲気は何処へやら。
 彼の挑戦を正面から受ける態度で彼女もまた視線を強くする。
「一応。けど、それを誰が信じるんだ?」

 "聖母"はすでに衰退した昔の宗教の聖書に出てくる女性の呼び名だ。
 処女のまま神の子を授かり産んだ、聖母マリア。
 キラが"聖母"と呼ばれる所以の1つがアカツキの存在だった。
 その出生の秘密が 彼女を聖母と呼ばれるものにした。

「―――少なくとも軍ではそれで納得されてたよ。だって、僕は地球軍の"聖母様"だから。」

 もちろん疑われたこともある。フラガ大佐とかサイとか。
 時期的にはヘリオポリス崩壊前後。そして最初に疑われたのは彼女と交流が深かった人物。
 でも、それは"実証"をもって否定した。

「当時疑われた全ての人物に、アカツキの父親として適合する者はいなかったんだ。」
「なっ!?」
 ほとんど信じていなかったことが突然信憑性を帯びてしまったことに、全員が今日幾度目かの衝撃
 を受けた。
 しかしそれは現実として目の前にある。
「本当に誰一人として当てはまらなかったんだ。―――スゴイでしょう?」
 キラが勝ちを得たように微笑った。

 適合者がいないのは当たり前だ、父親は今目の前にいるアスランなのだから。
 でもそれは誰も知らないこと。
 自分以外は誰一人知らない。
 まさか"父親"がザフトにいると 誰が信じるだろう。
 しかし誰も知らない事実は、良い理由という名の口実となった。

「だから誰かが"聖母"なんて呼んで広まって… 僕は聖母になった。」


 キラは聖母。


「…こんな血塗れた聖母もおかしいけどね。」
 自嘲も含めて少し苦味を帯びた笑みを浮かべる。


 今平和の象徴と呼ばれる彼女は最初――― 軍の象徴だった。


 人を殺したことがある。
 軍の象徴は人を戦場に送った。
 こんなに汚れて何が"聖母"。
 思い出して心が冷える。
 自分が滑稽で可笑しくて 笑いが込み上げてきた。


「聖母というならそちらの――― "君の婚約者"の方が似合っていると僕は思うよ。」

 忘れかけていた事実を口にしたのは自分の為。
 婚約者がいる、未来ある君。
 アスランは僕のものにはならない。
 なら"真実"は告げる必要もない。―――今更。

 彼が息を呑んだように見えたのも、きっと錯覚。
 そう思わないと この先やっていけない。
 彼に相応しいのはその手に汚れを持たない本当に美しい彼女。
 聖母の名前すら本来は彼女にこそ相応しい名前だ。

「あら。けれど私は母ではありませんし、戦いを終わらせるだけの力もありませんわ。」
 彼女の言葉を否定し返したのは黙り込んだアスランではなくラクスだった。
 それは本心からのものだろう。
 その笑顔に嘘はない。
「ありがとう、ラクス。」
 そう彼女に微笑んでみせたけれど 自分の方はたぶん偽物。

 だって 聞きたくなかったから。
 彼女こそ相応しいと、思いたいから今はその優しさすら痛かった。



「…その子を、キラは愛してる?」
「え?」
 向けられた表情は、さっみたいに挑むようなものではなく どこか縋っているようで。
 彼が求めている答えをキラは知らない。
 何を思って突然そう聞いたのかも分からないけれど。

 答えに キラはふわりと笑った。
「当たり前じゃないか。僕はアカツキの為に生きてるんだから。」

 嘘じゃない。
 自分に残された我が子の為だけに、アカツキが幸せに生きる未来の為にここまで自分はやってき
 た。
 彼との子どもじゃなかったらここまで愛せなかったと思うけれど、愛しているのは確かな気持ち。

「……そう。」

 俯いた彼の瞳が哀しみに揺らいだのに、誰も気づけなかった。
 それきり、その場には重苦しい沈黙が落ちる。





「キラ!!」
 不意に 聞き慣れた声がしんとなった場に飛び込んできた。
 ヒールが奏でる甲高い音とともに、沈黙を破った少女が現れる。
「フレイ、ここ!」
 キラの声と姿を認めると 着慣れてるせいか危なげもなくドレスを翻しこっちに駆けてくる。
 探してくれていたのか、わずかに息を切らした彼女にキラはゴメンと小さく謝った。

「キラったら こんな所にいたの。…と。」
 キラを見つけて安堵して、そこで初めて周りの存在に気づいたフレイはあら と頬に手を添えて
 ぐるりと周囲を見回す。
「…話の邪魔だったかしら。」
 言葉の割に態度は悪いとは思ってない辺りが彼女たる所以だけれど。
 彼女の登場のおかげで肩の力を抜けたキラがクスクス笑う。
「君も話してく?」
「それは嬉しい申し出ね。でも残念ながら時間がないわ。艦長からの収集命令よ。」
「そうなんだ。残念。」
 横ではアカツキがフレイに手を伸ばして降りたがっている。
 それを見たディアッカがアカツキを降ろしてフレイに預け、彼女もありがとうと受け取った。


「…では、みなさんさようなら。」
 アスランの方を意図的に避けて見渡すと、ペコリと頭を1度下げ フレイの後を追った。


 ―――つもりだったのだが。


「っ キラっ!!」
「わっ!?」
 咄嗟に腕を掴んだアスランがキラを引き止めた。
 驚き戸惑ってアスランを見るが、彼の方も意識して引き止めたわけではないらしく。
 あ、と声を漏らしたまま止まってしまっている。

 彼が縋ろうとしているものは何だろう。
 …なんて、知らないふりをしているだけで本当は分かってる。
 でも、分かっているからこそ 僕は…


「…アスラン。さっきは助けてくれてありがとう。」
 穢れを知らない少女のような笑顔で。
 そうすれば 彼が言葉を失くしてしまうのも知っていて。

「…僕、もう行かなきゃ。」
 離して とは言わないけれど添えられた手は柔らかな拒絶。
 力が抜ける彼の手を1度だけ優しく包んで下ろした。
「また、ね。」

 たぶん、次は 親しく話すことはないだろうけれど。






「―――そういえば。お知り合いだったんですか?」
 キラ達がいなくなって、ニコルがちらりとアスランの方を見る。
 しかし彼はその声も聞こえていないようだった。

 ガン!

「!?」
 知らず握りしめていた拳を 振り返ると同時に近くの柱に叩きつける。
 ギョッとする周りなどお構いなしだ。
「何故…!?」
「アスラン…?」
 幾分控え目になったニコルの呼びかけにも、今は応えてやる余裕がなかった。

「…っ」
 感情の捌け口が見つからず舌打ちして、アスランは彼女が消えたのとは反対の方向へ踵を返す。
 後ろから何か言われていた気もするが今は何も聞きたくなかった。


 戻れない。どうあっても、どうしても。
 正直な気持ちを告げた時の 彼女の戸惑いを知って期待していたけれど。
 結果はまた同じだ。
 彼女は同じ未来を歩もうとはしてくれない。
 同じ気持ちを持ちながら、この手を取ってくれない。

 その理由は… なんだ?


 それが見つかれば。
 俺達は昔のようになれるだろうか―――







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あまりに長いので前後編、の後編。
実はキラもキラで 自分が知らないアスランの交友関係に寂しさを覚えたりしてます。

明日以降のネタは今は書く気ないですねぇ…



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