聖母 −すれ違う2人(前)−


 数人の複雑な心中を知ることなく、パーティーの方は表面上何の問題もないまま 無事にその幕を
 下ろした。
 明日からは各諸問題についての会合が行われ、最終日には再び交流会と称したパーティーが開か
 れることになっている。

 それらのオープニングとも言える今日の結果は上々。
 若者達は特に すでに打ち解け始めている。
 このまま上手く事が運んでくれればと、誰もがそう思ったはずだった。

 …はず、だったのに。




「…………」
 アスランは1人、人気のない休憩スペースの端に佇んでいた。
 誰とも話す気にならず、独りにしてくれとラクスに告げて。
 気持ちを察した彼女は黙ってそれを承諾してくれた。

 …今日は、なんとか終わらせた。
 正直に言えば、あの場には一時もいたくなかったけれど。
 それに耐えられたのは それが与えられた義務・役目だと必死で割り切ったから。
 そう思わなければきっと、作り笑いすら浮かべられなかっただろう。



「…キラ……」
 痛切な想いと共に吐き出された名は心に落ちて波紋を広げる。
 いつもは気持ちを落ち着かせる為に音にするものだったはずのそれが、今は逆の作用をもたらし
 て。
 ざわつく感情を押さえ込むようにきつく胸を抑えた。


 …今日のことではっきりと彼女との距離を思い知らされた。
 戻らない過去と、取り戻せない関係を。

 知らない間に築かれた彼女の関係。
 彼女が"帰る場所"だと言った――― 彼女が作った家族というもの。
 2人で夢描いたはずの未来を、彼女は俺以外と、別の場所で作ってしまった。

 "1番大切な宝物"―――…
 そう言い切った彼女は、もう自分のものじゃなかった。

 …あんな小さな子どもにまで嫉妬してる自分がおかしかったけれど。
 その先にいる"男"のことを考えてしまうせいだろうか。
 誰かに似ているような気もするが、何故か思い出せない。




「…こんな所にいたんだ。探したよ。」

「!」
 ちょっと怒ったような でもほっとした様子を含んだ声に、アスランははっとして振り返る。
 人気がないから声が響いたのかもしれなくても、無条件に反応したのは彼女の声だったからだ。

 それが自分に向けられたものじゃないのは分かっていたけれど。
 けれどそれでも、そこで見たものは想像外の光景で、アスランは言葉を忘れたまま立ち尽くす。

 ―――見たのは、彼女が名前を呼んで それに振り返ったその子が駆け寄るところだった。


 足元に抱きつく幼子の頭を撫でてキラがしゃがむ。
 内緒話をして笑って。
 我が子から頬にキスをされて嬉しそうに返す、そんな幸せそうな母子の姿。
 知っている少女の知らない顔。

 …そんなふうに笑う彼女を俺は知らない。

 時に取り残されたような、そんな気分だった。



 感傷的になりながら、けれど彼女から目が離せずにいた。
 アスランの存在に気づいていない彼女は 自然な笑顔でそこにいたから。
 最後に向けられたのは花咲くような美しい微笑みだったけれど、でもあんな風に嬉しげにではなく
 少し影がある儚い笑みで。
 だからもっと見ていたいと思った。
 それが自分に向けられたものではなくても。


 ―――けれど。

「「―――!?」」
 突如はっとしたような顔をするとその表情から笑みが消え、キラは子を庇うように抱き寄せる。
 アスランもほぼ同時に気づいて、同じ方を睨むように見た。

 キラが気づいたのは寒気のするような視線。
 アスランは微かに聞こえた、聞き慣れた金属の音で。

 そして 向けられた2人の鋭い視線の先には―――


「……っ!」
 その手に銃を構える男がいた。
 服はアスラン達と同じ正装… ということは今日のパーティーの参加者。
 年は20代後半だろうか。

 隠そうともしない殺気。
 彼は見つかっても慌てた様子はなく、薄笑いすら浮かべて彼女に銃口を向ける。
 一歩一歩近づく間、前を見据えたまま彼女は動かない。
 ―――事実 彼女は動けなかったのだ。
 下手に動けば腕の中の幼子に危険が及ぶことを知っていたから。

 それを観念したのだと思った男は、間違いなく狙える位置で立ち止まって、ふ と笑みを消す。

「―――死んで下さい、"聖母様"。」

 相手に迷いはなかった。


「! …キラ……っ!」

 咄嗟に懐の銃にアスランは手を延ばし、

 ドンッ ドンッ


 響いた銃声は2つ。




*******




 カシャンッ

 弾かれて宙を舞った銃が地に落ち 磨かれた床を滑る。
 滑ったそれは回転しながらキラ達の足元へ転がっていった。

「…え……?」

 今 何が―――


「……〜〜〜っつ…っ」
 一瞬の沈黙の後、痺れた手を押さえ 痛みに膝を付いたのは男の方。

 男が撃ち出すより アスランの弾の方が僅かに早かったのだ。
 銃身に当たった反動でキラに向けられていた照準がずれ 放たれた弾は脇の柱にめり込んでいた。


 アスランは男の方を一瞥すると、しかし彼は放ってキラの方へと駆け出す。
 もうその存在は忘れてしまったかのように、銃すらホルスターに収めてしまっていた。

「キラ!」

 今、彼の目には彼女しか映っていなかったから。
 その必死な様子は、彼の同僚達から見れば気が狂ったんじゃないかと思われそうな程。
 イザーク辺りからは馬鹿じゃないかと怒声でも飛んできそうだ。
 けれどそれも今のアスランには関係のないことだった。

 彼にとって1番重要だったのはキラが怪我をしているか否かだったから。
 他のことはどうでも良かった。特に自分のことは。



「キラ!?」
 我が子を抱きしめたそのままの状態で呆然としていたキラは、アスランが目の前に来てもまだ
 状況を把握できていないのか ぽかんとした顔をしている。
「大丈夫か!?」
 しかし、それでも返事はなくただ見上げるのみで、その様子にアスランは少なからず慌てた。
 現役MSパイロット、しかも先陣を切って戦場を駆け抜けた彼女にこう思うのはおかしいかもし
 れないが… 恐怖から立ち戻れないのではないかと―――そう思って。

 …思ったら、まだ"それ"を覚えていた身体が自然と動いた。


「―――キラ、」
 目線を合わせるようにしてしゃがむ。そして名前を呼んで。
 顔を覗き込んで目の前で数度手を振って。
 そこでやっと認識したように キラがアスランを見た。
「え、あ……」
「キラ、大丈夫か?」


 優しい こえ。
 本気で心配してくれてるときの、温かな ことば。

 懐かしさを覚えた。自分はこれを知っている。
 前にも同じような…… 

 あぁ…

 昔、大型犬に襲われそうになった時と同じ状況だと思って―――

 今の彼に昔の彼がダブって見えた。


「―――うん… だいじょう、ぶ……」
 どこか緊迫感に欠けた声だったけれど、応えがあったことにアスランは安堵の息を漏らす。
 大人びた顔も伸びた背も低くなった声も、すっかり大人の男性のそれになったというのに 安心し
 て笑む彼は昔の彼で。
 差し出された手を躊躇いもせず握れたのはそのせいなのだろうか。
 彼が腕を引いて立ち上がらせてくれて 腕の中の我が子が不思議そうに覗き込んでも、現実に戻れ
 ないキラはぼうっとした頭でそんなことを考えていた。
 彼から逃げていた理由も忘れ、ここは月ではないかという錯覚まで覚えてしまう。

 何も知らず笑い合っていた、綺麗なままの、月の記憶―――



「……何故止めたんです!?」

「!」
 そんなキラを引き戻してくれたのは、男の声と途端氷のように冷たくなったアスランの表情だっ
 た。

「何故貴方が彼女を助けるんです!?」
 自分がしたことは正しいとでもいうような、不満の入り交じった声。
 "彼"に止められたのが意外だったらしく、男にはそれが心底納得いかないようで。
「アスラン殿!」

「…何故、だって?」
 さらに言い募ろうとした彼に返ってきたのは、静かな けれどキラに向けられたものとは正反対の、
 冷たく平坦な声だった。
 キラから離れ、アスランは完全に表情を消して男を見下ろす。

 そしてキラがはっとした時には、彼は足元に転がっていた―――弾かれた拳銃を手に取っていた。

「それはこちらのセリフだな。」
 数歩近づくと遠慮もなく胸倉を掴み上げ、呻く相手に構いもせず銃を喉元に突き付ける。
「俺がキラを助けるのは当たり前だろう。―――キラに何かしてみろ。…いや、その前に俺がお前
 を殺す。」
「…っ!」
 向けられているのは怒気ではなく殺気だ。
 怯える男を見ても彼がその手を緩める様子はない。

 そして、彼の言葉に驚愕したのは男だけではなかった。
「…あ、す……?」
 地を這うような低い声はあの時と同じ。
 相手を射殺せるほど強く、そして昏く光る翡翠を見ていると、今にも本当に引き金を延いてしま
 いそうで。
 キラを本気で殺そうとした時と同じ本気を感じ取って、キラの顔からざっと血の気が引いた。


 ―――キラ


「…だ め……」
 身体が寒くもないのに大きく震える。


 ―――俺が殺すよ


「! アスランっ ダメ!!」

 気づいた時には、銃を持つ手を掴んで必死で訴えかけていた。
 我が子の前で人殺しはダメだとか、いつもならそんな風に考えるところ。
 でも今は、ただ彼にそんなことを言わせたくなかっただけ。
 彼女が思ったのはそれだけだ。

「キラ…」
 少し驚いたようだったが、彼女の顔を見るとアスランはあっさり手を引いた。
 穏やかな瞳で、苦笑いしつつキラに小さな謝罪を述べる姿は…
 すでにいつもの彼だった。




「―――ね、」
 アスランが止めるのを気に止めず、キラは男の前に立つ。
 彼が恐怖を感じたのはアスランの方だったから当然睨まれたが、キラはそれにも怯みはしなかっ
 た。
 …そんな目には慣れている。


「僕を殺して、貴方は何がしたいんですか?」
 落ち着き払った声は"聖母"のもの。
 憎しみを向けられてなお、露とも表情を変えず男を見る。

「っ貴方さえいなければ 終戦など馬鹿げたものにはならなかったんだ!」
 答えは予想通りすぐに返ってきた。
 もちろん憎悪と怒りも込めて。

 彼の恨みは"ストライクのパイロット"か"聖母"か―――
 どうやら後者の方だったらしいと、"聖母"の冷静な頭がそう判断していた。

「妹はナチュラルに殺された! そんな奴らと今更どうやったら仲良くなれる!? 奴らを滅ぼさな
 い限り この恨みを晴らせるわけがないだろう!」
「…っ! そんな理由で―――…!」
 あまりに勝手な言い分にアスランが再び男に掴みかかろうとするのを キラが片手で制する。
「良いよ、アスラン。彼が言いたいことも分かるから。」
 自分の為に怒ってくれるアスランは昔のままで嬉しいけど、今は彼と話をしなければならない。
 それが"聖母"としての務めだから。
「キラ。」
「ありがとう。でも良いんだ。」
 まだ何か言いたげに 不満そうにしている彼に笑顔を返す。
 そうすれば何も言えなくなることを知っているから。
 彼は 変わっていなかった、から。



「―――僕を殺しても戦争は始まりませんよ。」
 感情を乗せず言ったのはそれが事実だから。
「っ」
 彼が言葉を失ったのも、同じ。

 本当は彼も分かっているのだろう。
 分かっていて、でも何かに怒りを向けないと気が済まない。
 中途半端に棚上げされた心のやり場が分からないだけ。

「…貴方の言葉を借りるなら、僕の両親はコーディネイターに殺されました。そして彼のお母さん
 はナチュラルに殺されました。」

 悲しい過去のはずなのに、敢えて彼女は淡々と言う。
 アスランが痛みを堪えるように視線を逸らしたのをちらりとだけ見て、キラはすぐに視線を戻し
 た。
 心で謝って、でも それを表には出さずに。

「恨むなら誰にだってできます。でもそれじゃダメなんです。どこかで誰かが止めないと、広がる
 だけなんです。貴方が誰かを殺せば、殺された人を大切に思う人が貴方を恨むでしょう。そして
 それを繰り返す… とても悲しいことですよね。」

 何度も人々に訴えた言葉を、今は彼の為だけに紡ぐ。
 立場は聖母でも、その心は目の前の1人に。
 1人の人として 1人の人に対しての言葉に変えて。

「貴方は失った痛みを知っています。その痛みを誰かに与えないでください。」

 誰もができることではないということはキラも分かっている。
 自分だって支えがなかったら、きっと "何か"に怒りを向けていた。
 でも、支えがあったから過ちを犯す前に気づいて、だから、その気持ちが少しでも彼に伝わればと
 思った。
 まだ間に合うから。
 彼は過ちを犯していないから。

 膝をつき 揺れる瞳で彼を見つめて、そっとその頬に手を伸ばす。
 呆けたようになっている彼は それを振り払うこともせずただ見返すだけ。


「…投げ出さないで。」

 そして、最後に落とされた静かな声に 相手はその目を大きく見開いた。


 優しく触れる手の温かさ、淡く微笑む美しい顔に。
 何故か涙が溢れる。
 忘れていたものを思い出して、懐かしい何かを胸の奥に感じて。
 よく知る少女が 悲しげに笑っている姿が浮かんだ。



「……すみません、でした………」
 流れ続ける涙もそのままに、それだけ言って彼は立ち上がる。
「今から… 妹の所へ行ってきます……」
「うん…」
 その言葉にキラは微笑んだ。
 もう大丈夫だと思ったからだ。

 最後に 小さくありがとうと告げ、彼は静かにその場を去った。







「怪我はないか?」
 彼の姿が角に消えて、キラが振っていた手を下ろしたところで。
 急に腕を掴まれて振り向かされたと思ったら、そんなことを聞かれた。
「え、あ。」
 そこではっとして 腕の中でずっと黙っていた我が子を見る。
 ずっと抱いていたのに全く気に止めていなかった自分を恥じた。
 きっと怖かったはずなのに。
「アカツキ!?」
「??」
 きょとりとした瞳で首を傾げる息子は 別段いつもと変わった様子もなく。
 この分だと怪我はしていないようだ。
 それにホッと肩の力を抜いた。


「アカツキは大丈夫みたい。良かった。」
「…俺は キラのことを聞いたんだがな。」
 あまりにらしい反応だったからか、アスランに苦笑いされてしまった。
 見上げて見えた翡翠の瞳には心配げな様子が窺えて。
 やっぱり優しいなと思った。
「僕は何ともないよ。だって君が助けてくれたから。」
 言ってキラはふわりと笑む。
 そうすれば彼も笑ってくれる、そう思ったはずだけれど。

「良かった―――…」
 吐いた息と共に 肩にことりと頭をもたげられた。
 聞こえた声は心からの安堵を示していて。
「アスラン?」
 不思議に思って彼を見る。
 肩に顔を埋められているせいでその表情は見えない。
 ただ、腕を強く掴む手が とても熱かった。


「俺がこんなことを言う資格はないんだろうが… お前を失いたくなかった、失うことが怖かった
 んだ。」
 吐き出されるような呟きは、強いものでもなく震えてもいなかったけれど。
「…キラがいない世界で、俺はきっと生きていけないから……」

 耳元で囁かれる声の響きの甘さに心臓が激しく脈を打って痛い。
 キラは自分の顔に熱が集まっていることを知った。

「アスラ…っ」
 逃げれば良いのに動けない。
 こんな、告白のような言葉を。
 これ以上聞いたら何かが壊れてしまいそうなのに。
 ダメだと心が叫ぶのに この手は彼を振り解けない。

「俺は―――」



「あら、どうかしましたか?」

「!!」
 聞き覚え なんてレベルじゃない、よく知る柔らかで音楽のように響く声。
 夢のような声に、しかしキラは急に現実に引きずり出された。
 我に返ったキラは咄嗟に彼から身体を引き離し がばりと声のした方を弾かれたように見る。

「アスラン?」

 そこには、本来彼の隣にいるべき―――

 彼の婚約者がいた。







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テトラポリス親睦パーティー編 パーティ終了後。
自分に嫉妬しないで下さい。孕ませたのは貴方です(言葉を選びなさい)
では 登場人物が多すぎて収拾がつかなくなった後編へどうぞ。



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