聖母 −キラの決意−
守りたかった。
この子が生きる未来を。
そして失いたくなかった。
これ以上誰かを失ってしまうのが怖かった。
願いを叶える方法は一つだけ。
―――それは、"戦争を終わらせる"こと。
その為になら何でもやろうと思ったんだ。
地球降下の為のシャトルが用意され、明後日には全員がオーブ本国へ降りれることになっていた。
基地に着いてなお艦内で生活をしていた人々は その為の準備でざわついている。
アークエンジェルのクルー達も手続きなどで忙しなく艦内を動き回っていた。
それはブリッジで手伝いをしていたサイ達、ヘリオポリス学生組も同じだ。
けれどキラは、その頃 その騒ぎの外――― アークエンジェルの外にいた。
着ているものはミリアリアと同じピンク色の見習い兵用の軍服、だがその手には除隊許可証が握
られている。
除隊許可証―――
これがあれば彼らは民間人として、再び元の生活に戻ることができる。
月に着くまでの間ストライクに乗っていたキラやブリッジにいたサイ達は、民間人が戦闘行為を
行うわけにはいかない為に緊急措置的に一応軍人として登録されていた。しかし無事月に辿り着
き、彼らの役目も終わったとのことで用意してもらったのだ。
元々志願ではなく手伝いとしてその制服を身につけたのだからと、そう言ったマリューの意見を
ハルバートンが許可したからだった。
サイ達にも今頃ナタルから"これ"が手渡されていることだろう。
キラはたまたま彼女に会ったので先に受け取っていた。
そして、キラはそれを持って、今ある場所に来ている。
元々呼ばれていたこともあるが、それとは別に彼女の方も話すことがあった。
月基地内にある1つの部屋。
ここは一般人はおろか、軍人でも相当の官位がなければ入れないエリアだ。
キラは先導者がいて、さらに呼び出した者の許可があったからここにいることができる。
その先導してくれた軍人は 扉の前までキラを連れて来ると通信で中にいる人物と挨拶を済ませ
て去っていった。
「失礼します。」
自動で開けられた扉の先は、仕事用のデスクと脇に応接セットがあるような簡素な部屋だった。
ただ その部屋の広さは半端ではないが。
「よく来てくれた。」
正面のデスクに腰かけるその人は 穏やかな笑みでキラを迎え入れる。
ただ座っているだけなのにその存在感はさすがというべきだろうか。
第8艦隊を束ねる者。
地球連合軍所属、ハルバートン准将。
軍でも智将と名高い人物だ。
初めて会った時と同じ緊張感で身を固くして、キラは1歩踏み入れただけで動けなくなった。
「…そう固くならずとも良い。君は軍人ではないのだから。」
そう言って彼は困ったように笑う。
「そこまで緊張されてしまうと私の方も話しにくい。」
「……はぁ。」
相手は上からではなく同等の立場として話をしようとしているようで。
キラは1つ息をつくと肩の力を抜いて、机を挟んで向かい合う位置まで進んだ。
「お話とは?」
「礼を言いたかった―――などという回りくどい言葉はきっと通用しないのだろうな。」
「そうでしょうね。」
たいていのことは 先程ストライクの整備中に会った時にでも言えたことだ。
それをわざわざ呼び出しで、さらに人払いをしてまで言うからには何かあるのだろう。
だから僅かに警戒した態度を崩さずにいた。
そして当然 智将と呼ばれる者がそれに気づかないわけもなく。
「では単刀直入に言おう。…君は妊娠しているそうだね。」
あっさりと言われた言葉に、しかしキラはピクリと反応する。
さすがにこんなに早く父親のことがばれたということはないだろう。
しかし相手はハルバートン提督だ。
ひょっとして何かに感づいたのだろうか。
さっと青褪めた彼女の様子を知ってか知らずか、穏やかな表情を変えないまま彼は続ける。
「それで。出産その他の負担をこちらで請け負いたいと思っている。」
「……へ?」
予想外すぎて、頭が追いつかず変に間の抜けた声になってしまった。
「もちろんその後の君達親子の安全と生活も保障しよう。」
「あ、あの…??」
困惑するキラに対して、彼は思い出したようにあぁ、と付け加える。
「これは私個人からの礼。…つまり、君の後見人になろうというわけだ。」
「提督…」
その言葉には思惑も悪意もないのだろう。
彼の人柄は今までの会話でも、そして彼を慕っているマリューの性格からも窺い知れる。
けれど、キラはその言葉をただ素直に受けるほど子どもでもなかった。
その"理由"について疑問が浮かぶ。
彼がたった一個人の為にそこまでする理由がない。
出産だけならまだしも、その先の生活まで保障しようと言う。
"礼"にしては大袈裟過ぎだ。
身寄りがない自分が、これからどうやってこの子を育てていくか悩んでいたことは確か。
けれど子を産むのは自分の意志であって、それを誰かに頼る気はなかった。
しばし考えて、そしてキラは あぁ、と思い至る。
そういえばこの人は艦長が尊敬する人だった。
「―――それは償いですか?」
至った理由はそれしかなくて。
途端感情が冷えきって、声すら冷たいものに変わっていくのを感じていた。
*******
償い―――
それは僕から両親を奪ってしまったことへの。
きっと、優しい人だから…
「礼にしてはおかしすぎます。謝罪ならともかく。」
彼の言葉は善意だ。
けれど素直に受け取るわけにはいかない。
罪滅ぼしという名の、偽りの礼など欲しくはなかった。
「…我々は君に感謝はすれど 謝罪はできないのだ。」
吐き出されたのは 重く沈んだ、苦しげな声。
「それはあの艦を否定することにもなる。ラミアス大尉の努力ですら無に帰すことになってしま
う。」
彼女に謝罪するということは、軍の非を認めるということ。
キラの両親を殺したのは地球軍だと。
今までキラ自身が守ってきたアークエンジェルのせいだと。
自分の行動だけでなく、自軍や部下までも貶めてしまうことは有るまじきことだ。
でも、それで何もしないというのは彼も気が引けたのだろう。
それは妥協できない範囲での最大限の優しさ。
「軍人とは難しいものだな。」
苦笑いで零された言葉は彼らしからぬことではあったけれど。
あの姉のように思う艦長と同じ思いをそこに見た。
「―――礼も償いも要りません。」
きっぱりと、さすがに驚いている様子の彼に告げた。
「両親を失ったことは確かに悲しいです。でも、それで貴方を憎むわけではありませんから。」
悲しみを憎しみに変えることは簡単だ。
泣き暮れて感情に任せて、"フラガ大尉を拒絶"して、"トリィを投げ"ようとした自分は。
確かに、"何か"に怒りを向けていた。
でもそれでは駄目だと気づいたのは、自分の中に命が宿っていると知った時。
憎しみの感情を持ったまま人を愛せるわけがない。
まして生まれてくる我が子の父親を憎むなんて。
「悪いのは誰なんでしょう? ヘリオポリスに奇襲をかけたザフトですか? 中立と言いながら
極秘裏に地球軍の戦艦やMSを造っていたオーブですか? それともそれらを造るように言った
地球軍ですか?」
素直な疑問を遠回しに言うことはしなかった。
もし軍人であるなら思っていても口にすることは許されない行為。
理由は先程と同じ。
でもキラは軍人でもないし、そして目の前の人物は軍を驕るだけの馬鹿ではない。
そして彼はそれを黙って聞いている。否定はしなかった。
「―――きっと正しい答えなんてないのでしょう。それは人の見方の違いで、僕にとってはどれ
も同じことですから。」
きっと誰もが悪くて、誰もが悪くない。
悪いのは、今のこの状況だ。
「…でも、ただ一つだけ言えることがあります。僕は戦争を早く終わらせたい。その為になら何
でもやってやろうと思います。」
自分はその為にここに来たのだ。
そして、目の前に座るこの人なら。きっと願いを叶えてくれるはず。
考えていることも願っていることも同じなのだから。
「ハルバートンさん――― いえ、ハルバートン提督。」
「? どうしたのかね? 急に改まって。」
不思議そうに問う彼の机の上に、今まで握りしめていた許可証を置いた。
そして、自分の意志を言葉にする。
「軍に志願します。僕を正式な軍人としてストライクに乗せて下さい。」
状況に流されたわけでも、誰かに言われたからでもない。
自分の意志で乗ろうと決めた。
それが自分の願いを叶える為に、最も近くて早い方法だったから。
「キラ・ヤマト君? 君は一体何を…」
当然ながら相手は困惑しているようで。
でも自分の意志は決まっていた。今更変える気もない。
「地球の為に、なんて大義を掲げるつもりはありませんが…」
自分はそんな崇高な人間じゃない。
志願の理由は単純で明白だ。
「後悔しない為に、戦争を終わらせる為に。今僕ができることはこれだけです。」
できるだけのことをしよう。
何を犠牲にしても、失うことになっても。
願うことはひとつだけだから。
「お願いします。」
じっと向けられる視線を臆せずに正面から見返す。
何があってもここで引こうとは思わない。
引いたら願いが叶わない。
互いに何も発することなく、長いような短いような沈黙が続いた。
「…自らの意志で残ろうとする者を止めはせんよ。君にはその覚悟もあるようだ。」
ややあって、返ってきた答えは承諾。
「ありがとうございます。」
それにほっとして、頭を下げて礼を述べた。
「…しかし何故私を"選んだ"?」
好きにして良いと返された除隊許可証を 気持ち良く半分に切り裂いて捨てたところで、キラは
提督からそう問われた。
さすがに勘が良いと思ったのは褒め言葉だ。
元々隠す気もないし、彼は既に気づいているだろう。
「―――貴方なら、僕の願いを叶えてくれそうだったからです。貴方も同じ考えをお持ちなの
でしょう?」
そしてにっこり微笑んでみせたら、意図を理解した彼もまた笑み返してきた。
「―――条件はそれで良いのだな?」
「はい。ありがとうございます。」
ごめん アスラン
君をまた傷つけるかもしれない
憎んでも良い、死ぬまで許してくれなくても良いよ
だけど
僕は君が好きだよ
あの時の気持ちは嘘じゃないから
さよなら アスラン
もう2度と会えない人…
この日僕は、永遠に 愛する人を捨てました。
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キラさん、アスランを捨てるぞ宣言。
これのせいでキラはアスランの想いを受け付けなくなります。
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