聖母 −彼の決意−


 仕事に一段落ついたところで、学生クルーは副艦長によって集められ 除隊許可証を渡された。

 それは上質とはいえたった1枚の紙切れで、それぞれに自分達の名前が書いてあるもの。
 不思議なものだがこれで自分達の仕事は終わりらしい。
 自分達が軍人として登録されていたことに驚かされたりしたものの、これで元の生活に戻れる
 嬉しさの方が上で そこまで重要なこととは認識しなかった。


「―――あの、キラは…?」
 1人ここにいないことを不思議に思って、少し不安げに尋ねたのはミリアリアで。
 言葉と同時にはっとして顔を上げたサイ達も ナタルの方へと視線を向けた。
「あぁ、彼女なら提督に呼ばれて艦の外にいる。除隊許可証なら先に渡しておいた。」
 返事は当たり前のようにさらりと返される。
 ひょっとしたらという心配も払拭された彼らからほっとした雰囲気が流れた。




 ―――それから。

 ナタルが去った後もなんとなくそのままでいた彼らだったが、フレイの「着替えないの?」と
 いう言葉でそういえばそうだったと動き出す。
 しかしミリアリアだけは "私はまだこのままでいるから。"と言って立ち上がらなかった。
 それにトールが疑問符付きの視線を投げれば 彼女は手をパタパタ振る。
「私、キラが来るまで待ってる。一緒に着替えたいから。」

「…じゃあ 俺も。」
 ちょっと考えるような間をおいて、彼も彼女の隣に再び座った。
「トールは一緒に着替えるわけじゃないじゃない。」
 それにミリアリアが怪訝そうな顔を向ければ、彼は曖昧に笑う。
「いやさ。もうすぐこれ脱いじゃうわけだし。そしたらもう着ることなんてないだろ? なんか
 愛着沸いてて… 脱ぐのがもったいないっていうか。」
 その理由は彼らしいというか 単純というか。
 ミリアリアも呆れたような息をひとつ吐いただけで何も言わなかった。
「すぐ戻って来るだろうし みんなで待ってようぜ。」



「…キラ、これからどうするのかな…」
 それはふと訪れた沈黙の中で、ポツリと全員に聞こえてしまった呟き。
 和やかだった雰囲気が一気に重いものへと変わってしまった。

 彼女を庇護してくれる両親はもういない。
 彼女は1人で生きていかなければならない。
 このまま降りて、それからどうするのだろう。


「―――俺が父さんに頼んでみようと思ってる。」
 何かを考えているようだったサイがそのままの姿勢で言った。
 全員の視線がそちらへ向く。
「サイ?」
「キラ1人ならどうにか―――…」

 そう言う彼の父親は、フレイほどではないにしろ それなりの要職にいる人物だ。
 確かに良い手かもしれない。
 傍にいるのがサイならそれほど環境も変わらないし、彼女も安心できるだろう。


 そう皆が納得しかけた時、唯一納得できなかった1人が声を荒らげて叫んだ。
「ちょっとサイ! なんであの子の為に貴方がそこまでするのよ!?」
 過剰に反応したのはフレイだった。
 立ち上がって彼と正面から相対する。
「こんな時だからこそ だろ。」
「…っ!」
 一瞬だけ顔を上げて答えた彼の反応に ますます機嫌を損ねたのか、フレイの肩がわなわな震え
 出す。
「無理よ! 私ならともかく たかが"友人"の為にっ」

 フレイが気に入らないのはそこだ。
 元々サイはキラを妹のように可愛がっていた。
 それがこの艦に乗ってから、その傾向が目に見えて顕著になってきた気がする。
 挙句の果てに彼女の援助まで申し出たのだ。
 もちろんフレイが同じ立場であっても彼は同じ態度を取ったのかもしれない。
 が、それでも婚約者であり恋人でもある自分と ただの友人である彼女が同じ扱いだということ
 が彼女は納得できなかった。


「―――だったら。」
 フレイの癇癪に深い溜め息をついて、彼は再び顔を上げた。
 怒っているというより呆れている。
 その優しくない態度に怯みそうになったが、自分が言っていることは正しい。
 後に引けず、フレイは睨むように彼を見返す。

「…俺の分の養育費をキラにまわしてもらうよ。」
「!?」
 周囲の驚きも気にせず、彼はさらに続ける。
「それなら誰も文句は言わないし。俺はもう要らないから。」
「ちょ、ちょっと サイ!」
 今の言葉はフレイもただ叫び返すわけにもいかなかった。
「それどういうこと!?」

 要らない?
 サイはまだ学生。オーブに行った後はまたそこのカレッジに通うはず。

 "将来は父を継ぎ要職に就く"
 それが彼女の知るサイの道だ。それにはカレッジ中退はあり得ない。
 彼が工学とは別に独学で勉強していることがあるのはフレイだって知っていた。


 彼女の考えることが分かったのか、ふとサイはフレイから視線を逸らす。
「…フレイが気にすることはないから。」
「じゃあ目を逸らさないでよ!」
 揺れる表情は何かを隠している証拠。
「ちゃんとこっちを見て言いなさいよ!」

「……」

 ついには黙り込んでフレイの介入を完全に遮断してしまった。
 それでもフレイもここでは引けない。
 他でもないサイのこと、自分には知る権利がある。

「サイ!」
 負けじと詰め寄る。

 周りの友人達はただ黙って事の成り行きを見守っているようだった。
 2人の会話を心配げに見ているのみだ。


「サイっ 言ってくれないと私だって納得でき」
「……俺、軍に残ることにしたんだ。」
 観念したように、口を開いたサイが声を落として言ったけれど。
「え……?」
 その言葉を理解するまで、フレイは数秒を要した。

「軍、に? サイが…?」
「少し前から考えてたことなんだ。誰にも言うつもりなかったから みんなが降りる時に艦長の所
 に行こうと思ってたんだけど。」
 つまり、彼はフレイにも何も言わず決めていたことになる。
 一緒に降りると思っていたのに。

「…嫌よ!」

 離れ離れになるなんて。
 そんなの許せるはず、耐えられるはずないじゃない。

「どうしてサイが軍人なんかに…!」




「あ、キラ―――」
 修羅場になりつつある雰囲気の中、少し間の抜けた声が不意に漏れた。
 1番外に近い所に座っていたミリアリアが、走ってくるキラの姿を認め 手を振ろうとして。

「…え?」

 上げかけた手を止めて固まった。

「え、キラが戻って… って!?」
 続いてトール、それにサイとカズイも倣う。
 次々と視線を向けた友人達は、その見慣れぬ格好に目を見開き絶句した。

「「「「キラ!?」」」」

「あ、みんな。」
 今彼らに気づいたという様子でキラが向かってくる。
 その間も全員の視線は1点のみに注がれていた。

「……キ、」
「ねぇ、フラガ大尉見なかった?」
 こちらが疑問を投げかける前に、キラの方から逆に聞かれてしまう。
 おかげで戸惑ってしまって すぐには返事を返せなかった。
「え? …あ、いえ。こっちには来てないと思う、けど。」

 そもそもここは現在一般向けの居住区で、大尉のような人物が来るような場所でもない。
 そう言ったらキラは、そうだよね と溜め息と共に呟いて考え込んでしまった。


「まったくもう… すぐいなくなるんだから……」
 彼女の様子からするとどうやら格納庫にもいなかったようで、ここは最後の望みだったのだろう。
 それさえも絶たれて、キラとしては文句の一つも言ってやりたいという感じだった。
 怒り とまではいかないが、多少機嫌は損ねてしまったらしい。
「話があるから時間になったらブリッジに来るようにって言われてたのに…」
 え、と首を傾げるミリアリアには気づかずに、キラは人あれこれ対策を練る。


「…この際 先に戻って放送で呼び出した方が早いかな……」
 しばらくブツブツ言っていたが、1人納得した顔をすると そうしようとポンと手を叩いて。

「―――じゃあね。」

 そんな、当たり前のようにさらりと別れを告げて去ろうとするから。
「ちょっ、ちょっと待って! キラっ!!」
 慌てて腕を掴んでミリアリアが引き止めた。

「ん? どうしたの?」
 不思議そうに振り返ったキラは、本気で引き留められた理由が分かっていないようだ。
「それはこっちが聞きたいわ。その服っ!!」
 キラが着ていたのは彼らのような見習い兵の軍服ではなく、艦長や副艦長と同じ 白い士官服だっ
 た。
 彼女に指摘され、初めて自分の格好に気づいたらしいキラは 一瞬しまったといった様子を見せた
 ものの、すぐに表情を普段通りに戻す。
「…ちょっとね。大した理由はないよ。」
 肩を竦めて苦笑いで。
「あ、先に着替えてて。僕まだ用事があるから。」
 有無を言わせないようそれらを早口で言い終わると、時間がないと言わんばかりに早々にそこを
 離れてしまった。
 そして確かに、彼らは何も言えずにキラを送り出してしまったのだ。




 "ブリッジクルー並びにフラガ大尉は至急ブリッジへ。繰り返します……"

 キラが姿を消して数分後、マリューの声で艦内に放送が流れた。
 これで確かにフラガ大尉は見つかるだろう。

 ―――けれど。

「どうしちゃったのかしら…」
 ミリアリアの中で残った疑問は消えなかった。

「……おかしいと思わない?」
「何が? あの制服は確かにびっくりしたけど。」
 特に深刻に考えもせず、答えたのはトール。
「それもだけど。」
 さらにそれに応えたのは彼女ではなくサイだ。
「キラはブリッジに"戻る"って言ったんだ。おかしいと思わないか?」
 まさに、自分も"それ"に参加するとでもいうような。
「話があるとか、まるで自分も軍人みたいな言い方だったわ…」
 サイとミリアリアの疑問と懸念は同じものだった。
 2人の言葉にトールもようやく事態を理解する。
「どういうことだよ? キラも除隊許可証もらったはずだろ?」
「そんなの私だってわかんないわよ。」
 全員が首を傾げてしまう。
 でも当人がいないところでは推測以上のものにはならず、結局謎のままとなってしまった。

 そして知ったのは2日後。
 逆にキラも、友人達の決意を知ったのはその日だった。








「何考えてるの!? 軍に残るだなんて!!」
 だから誰にも言わなかったのに!
 悲鳴に近い、非難にも似た声でキラに募られる。
 けれど、それでも決心は揺るがなかった。

「キラは関係ないよ。俺の意志で残るんだ。」
 それでお互い様だ、と苦笑いされたら押し黙るしかない。
「サイ…」
「―――私も残るわ。志願したの。」
「っフレイ!?」
 その発言にはさらにギョッとする。
 けれど、こちらも責める瞳を向けたら それ以上の気迫で押されてしまった。
 それはどちらかというと睨まれているに近い。
 恋敵とか、そういう類いの。

 ……サイは私のなの。誰にも渡さない。

 その本当の理由に気づいたのは果たして何人か。
 けれど誰も彼女を止める者はいなかった。



「私とトールも残るの。ちゃんと2人で考えた結果よ。」
「甘いことが通用しないのは、…ヘリオポリスの件、でよく分かってる。」
 その名を出すのを躊躇ったのはキラの気持ちを考えてだったけれど、それでも今は言うべきだと
 思ったから言った。
「でも、考えることがあって… そう決めたんだ。」
「トール… ミリアリア…」
 もう、責めるような瞳は向けられなかった。

 何故だろう。喜んじゃいけないのに嬉しい。
 本当は止めるべきなのだろうけれど。
 …心細かったのかもしれない。
 彼らなら、自分の考えに同調して協力してくれるかもしれない。
 そう思ったのかもしれなかった。


「カズイは… 降りるんだよな。」
 それは念を押すような言い方だった。
 その言われた本人はサイの言葉に戸惑う。
 どうやら違う意味に取ってしまったらしかった。
「…俺達 全員裏切っちゃったけど、ごめんな。」
 すまなそうな表情と声に、カズイは後悔したような顔をする。
「や、やっぱり俺も…!」

「駄目だよ、カズイ。」

 それを止めたのは、キラだった。
 1人白い士官服に身を包み、大人びた印象を受ける表情で。
「そんな気持ちで残っちゃ駄目だよ。」
 強く射るような瞳で言う。
「俺も、カズイは降りた方が良いと思う。後で絶対後悔するぞ。」
 次を受けたのはまたもサイだった。
 彼の不安そうな言葉を1番多く受けたのもサイだったから、きっと案じているのだろう。
「ある意味1番勇気の要る選択肢だぞ、これ。」
 おどけたようにトールが言って、隣のミリアリアが微笑む。
「ありがとう。カズイは本当に優しいね。でも無理しないで、気持ちだけで充分だから。」

 優しい言葉。
 降りることで責める者はいない。
 けれどそれが余計に居たたまれなかった。

「どうして責めないんだよっ!」
 弱虫とか、そんな風に思ってるなら言えよ!!

「―――責められるのは僕達の方だよ、カズイ。」
 静かな声だった。
 でも心に響く、残る声だった。
「カズイの方がきっと正しい判断なんだ。だから、誰も責めないんだ。」
 他の4人も何も言わない。
 フレイはともかく 3人はその意味を適切に理解していたから。

「もっと自信を持って。ね?」
 にっこりと、花咲くようにふわりとキラは笑う。

 力のある声だった。
 抑圧的ではない、押し付けるわけでもない。
 でも、何か見えない力がある声だった。


 彼女が聖母と呼ばれる前。
 その力を発揮した、それが最初の場面。







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彼とはサイのことです。
聖母のサイはアスラン不在時の代理ヒーローですから。



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