聖母 −ひとつの命−


 ヘリオポリス崩壊から約1カ月。
 いくつかの事件はあったものの、アークエンジェルは無事月第8艦隊との合流を果たし、特に
 問題もなく月基地に降り立った。
 乗っていた民間人はそこで一応の健康診断を受け、それからオーブへ送られることになっている。

 長かった孤独な航海が終わる。
 それには民間人だけでなく、アークエンジェルのクルー達も皆ほっとしていた。


 ―――しかし。
 そこに一つの凶報が知らせられる。

 "死者342名"
 ヘリオポリス崩壊の際の死亡者リスト。
 無事が確認されなかった名前とのことだが、生存はすでに絶望視されていた。

 そしてその中に。

 キラの両親の名前も記されていた―――…





 父さん… 母さん… どこにいるの?

 返事をしてよ。ねぇ!?
 無事だって言って! ここにいるよって笑ってよ…っ!!



 先程まで取り乱して泣いていたキラを、トールとミリアリアは痛々しい目で見つめていた。
 今はやっと落ち着いて、それでもベッドに腰掛けたキラは俯いたまま1度も言葉を発していない。
 2人も何を言えば良いのか分からず、ただ見ていることしかできなかった。

 あんなに感情を晒す彼女を見るのは初めてで。
 戸惑いと共に、彼女の深い悲しみを知った。


 "そのこと"をフラガ大尉から聞いた時。
 キラは力無くその場に座り込んだかと思うと泣き崩れて。
 触れようとした彼の手まで振り払った。

 そして、肩に止まったトリィまでも投げてしまおうとしたから。

 …サイが 咄嗟に彼女を抱きしめた。
 彼女が抗おうとしたせいでメガネが飛んで、爪で頬に一筋の引っ掻き傷ができたけれど。
 それでもただ"キラ"と、サイは力を緩めないまま呼び続けて。
 必死で、何度も何度もその名を呼んで。

 やっと。

 キラは落ち着きを取り戻した。



「見ていられないわ…」
 トールの青い軍服の裾をきつく掴んでミリアリアが小さく呟く。

 自分達の家族は確かに無事だった。
 でも素直に喜べない。
 彼女がこんなに悲しんでいるのに。
 彼女の他にも、彼女と同じように悲しんでいる人がいるのに。

「なんでこんな…っ!」
 トールも憤りを隠せず、ぐっと拳を握りしめた。

 これが戦争なのだと理解させられたのは確かだけれど。
 彼女が、彼女の両親が何をしたというのだろう。
 "中立なのに"なんてことはもう言わない。
 しかしだからといって何故、些細な幸せさえも奪われなければならないのか。
 しかも 誰より苦労して来たはずのキラが。
 十分なほど傷ついてきたキラが何故、今またさらに傷つけられなくてはならないのか。



「―――キラ。」
 2人の横を同じ軍服姿の彼が通り過ぎて、キラの肩に優しく触れる。
 振り払われるかと思ったが わずかに肩が揺れただけだった。
「サイ…」
 そしてやっと顔を上げた彼女の目は真っ赤で、顔は青褪めて生気が見られない。
 一瞬サイは眉を顰めたけれど、すぐにそれを隠すように優しく微笑んだ。

「キラ、―――!?」
 言おうとしてギョッとする。
 再び彼女の目に涙が溜まり、表情を辛そうに歪めて。

「キラ!?」

 サイが驚いた声を上げるのもお構い無しに、キラは勢いのままに腰に抱きついてきた。
 慌ててみせても彼女はギュッと力を込めるばかりで。
「ふぇ… っく……」
 幼子のように腕の中で縋って泣く彼女を引き剥がしてしまうのも躊躇われる。
 サイはひとつ息を吐いて力を抜いた。
 そして背中に手を回してポンポンと優しく叩いてやる。

 昔泣いている時にそうやってもらうと安心してた、と。
 言っていた彼女の言葉を思い出したから。
 少しして、小さなくぐもった声でありがとうと聞こえた。


「…力になれなくてゴメンな……」
 自分ができるのはこれで精一杯。
 両親の代わりにも完全な支えにもなってやれない。
 それが歯痒くて。

 けれどキラはそれに対してフルフルと首を振る。
「そんなこと、ないよ… サイは優しいね…」
 再び言ったありがとうは小さすぎて聞こえなかったかもしれない。


 サイは優しい。
 トールもミリアリアも、心配してくれてるのは分かってる。

 でも、

 ―――ごめんね。

 父さんと母さんがいない孤独を、それを埋めてくれる人はきっとアスラン以外にいないから。
 両親以外で最も大切で大好きな人。
 彼以外には無理だから。

 けれどその彼は傍にいない。
 そしてこれからも彼は僕のものにはならない。

 埋めてくれる人はいない。

 僕は独りになったんだ…





*******





「―――キラ・ヤマトという女性はこちらですか?」
 言って、白衣を着た若い男性が部屋にひょっこり顔を出した。
 突然現れた見覚えのない人に 4人共驚いてきょとんとしてしまう。
 トールとミリアリアは互いに顔を見合わせてキラを見、視線を受けたキラも首を傾げてサイと
 顔を見合わせた。

「違いましたか?」
「あ、いえ。彼女がそうですけど…?」
 ミリアリアが戸惑いがちに答え、顔を向けたキラと目が合うとその男性はにっこりと笑う。
「お話がありますので ちょっと来ていただけないでしょうか。」
「?」
 もう1度、キラとサイは顔を見合わせた。



 案内の男性と別れた後、通された医務室にいた医者には見覚えがあった。
 先日の健康診断の時相談を聞いてくれた優しい人で、そういえばこの人の勧めで簡単な検査を
 受けていたことを思い出した。
 告げられるのはその結果だろうか。

 座るように指示を受け、椅子に腰掛けると彼はカルテを片手に神妙な面持ちでキラを見た。
「キラ・ヤマト。確か君は16だったね?」
「はい…」
「非常に言いにくいことではあるんだが…」
 そう言って彼は口ごもり、わずかに目を泳がせる。
 そんなに言いがたいことなのだろうかとキラは首を傾げた。

 相談内容を聞いた時、彼は「女性の医師の方が良いかもしれない」と困ったような顔をしていた。
 しかしあいにく女医はおらず、キラも気にしないと言ったのでそのままとなったのだ。

 キラが相談したのは"生理"が来なくなったこと。
 ストレスのせいだろうとあまり気にしていなかったのだが、ミリアリアに「子供ができなくなった
 らどうするの!」と怒鳴られてしまったので検診のついでに相談したのだ。
 …もしストレスが原因だとしても。
 その"ストレス"の起因はストライクに乗っていたことが1番大きかっただろうから。


「その…」
 しばらく逡巡していた医師はようやく意を決したようで、真剣な表情でキラを見据えた。
 反射的にキラの背筋も伸びる。

「実は……君は妊娠しているんだ。」
 聞き慣れない単語だった。
「え―――?」
「信じられないのは分かる。でも事実なんだよ。」

 妊娠…? 僕が……?
 僕のお腹に子供がいる?

 そっと自分の下腹部に触れてみる。
 まだ何も感じないそこ。

 ここに命が宿っている?

「君からの相談で一応原因の一つとして調べてみたんだ。詳しくはもっと精密な検査する必要はあ
 るが、妊娠については間違いないそうだ。」
 彼はどう反応してあげたら良いのか分からないようだった。
 キラの年齢を考えれば仕方のないことかもしれない。
 この年で子供がいるなんて、まだ心の準備もできていないのかもしれないと。

「それで、君は―――…君?」
 けれどキラはそれ認識した途端、口元に手を当てポロポロと涙を零していた。
 それに彼は最初びっくりしていたようだが、その意味を知ると微笑んで肩に手を乗せ、
「おめでとう」と告げた。


 アスラン―――!

 枯れたはずの涙がまた頬を伝っていた。
 けれどこの涙は歓喜からきたもの。
 同じ涙でも止めようとは思わなかった。



「―――君はどうしたい?」
 医師が顔を覗き込み、優しい調子で尋ねてくる。
 その答えは決まっていた。
「…産みたい、産みたいです…!」
 ギュッと手を組み祈るように懇願する。

 僕とアスランの子。
 彼と結ばれることが叶わないなら、せめて愛し合った証を頂戴。
 あの夜が夢じゃない証を。
 1番幸せだった時が幻じゃないカタチを。

 生きる糧、支えを僕に。


「それで、その… 父親は?」
 言いにくそうに言われてハッとした。
 彼からしてみれば、教えなくてはならない 程度のことだったかもしれないけれど。

 彼はザフトの人間。ここは地球軍。
 そしてそれ以前にきっと彼にとってこれは望まないこと。

 知られるわけにはいかない。

 誰にも。アスランにも。
 この子を手に入れるためには。


 ごめん…

 そう、お腹の子に心の中で謝って。


「…父親はいません。」
 きっぱりと告げた。
 当然のことながら 医師は驚き慌てる。
「え、それはしかし」
「いないんです。この子は僕だけの子です。」
 それでも頑として言い張った。

 有り得なかろうが矛盾していようが許されないことだろうが。
 そんなものは関係ない。

 僕にはもうこの子しか残っていない。
 絶対に守り抜く。何があっても隠し通す。


「僕は1人でこの子を産みます。」



 僕は1人じゃなかった。
 この子がいる。
 僕はまだ頑張れる。

 でも君は知らないでいて。
 君の分まで愛すから。
 きっとこの子と幸せになるよ。

 だから、君も幸せになって。
 彼女と幸せになって。

 君には何も求めないから。
 何も要らないから。


 だからせめて。

 この子だけは誰も奪わないでいて。







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アスキラ・サイフレ前提サイキラ。過去編も書きたいなぁ…
さらに キラさん妊娠発覚。



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