聖母 −失われた幸せ−
地球軍とザフト―――単純に言えばナチュラルとコーディネイターが戦争を始めてから11ヶ月。
それでもここはおおむね平和に時が流れていた。
中立国オーブのコロニー、ヘリオポリス。
端末から流れるニュースは緊迫したものだけれど、ここで暮らす人々には馴染みが薄い。
所詮は外で起こっていること、それが大半の住民の認識だった。
「平和、としか言いようがないな…」
子ども達の笑い声が響く公園。
そこを遠い目で眺めながら 少年は少し呆れを含めた声で呟く。
暖かな風が宵闇色の髪をなびかせ、彼は前髪を掻き上げつつ その深い新緑の瞳を細めた。
「外では今も多くの命が失われているというのに…」
苛立ちとまではいかないが、あまり良い気分ではない。
もうこんな空気はとうの昔に忘れてしまった。
今自分がここにいることが すごく不似合いな気がして、かなり違和感を感じる。
本当にこんな所で 地球軍の新造艦と新型MSが極秘裏に造られているというのか?
いや、こんな場所だからこそ、か?
「待ってよ トリィ!」
「ん?」
パタパタと軽快な足音がだんだん近づいてくる。
何故かとても印象に残る高い声。
…違う、とても懐かしいんだ。
そして、振り向いた瞬間目に入ったのは、藤色の―――
どんっ
「わっ…!?」
小さな身体がぶつかってきたかと思うと、当然のごとく相手の方が弾かれてしまって。
転びそうになる少女の腕をとっさに引いて受け止めた。
とても軽い、そんな印象を受けて。
「危ないですよ。」
静かな優しい声で言う。
倒れ込んだ身体を抱き起こしてやると 彼女は恥ずかしげに乱れた髪を整えて。
「ごめんなさ―――… っ!」
言いかけて顔を上げた彼女が、驚きで大きな藤色の瞳をさらに見開いた。
「アスラン!?」
「えっ」
何故俺の名前を、と思いかけたところでこちらも気づいて同じく目を見張る。
「キラ!?」
"何故ここに。"
きっと互いが同じことを思って、そのまま固まってしまった。
言うべき言葉が見つからない。
言いたいことはたくさんあるのに、どれを言えば良いのか分からない。
きっかけが見つからないまま 2人とも見つめ合ったその先に進めなかった。
あまりに長い沈黙に 互いに内心焦りを感じ始めた時―――
【トリィ】
機械的な羽音を立てて、突然緑色をした鳥が彼女の肩に舞い降りた。
当然2人の視線はそちらへと逸れる。
「トリィ。君、何処に行ってたのさ。」
ちょっと驚いた後、キラはまるで友達にでも話しかけるように咎めて。
首を傾げて顔を覗き込むそれにふと表情を緩めた。
「そ れ…」
アスランの方はさらに驚いたような顔をして、まじまじとその鳥を見つめる。
忘れるはずがない。
別れの桜の下で、約束と共に贈った自作のロボット鳥。
それは彼女への想いの証。
「まだ 持っていてくれたのか…」
とうの昔に捨てられたかもしれないと思っていた。
3年は長い。
忘れるには十分な時間だ。
「当たり前だよ。君から貰ったものなんだから。」
けれどキラはきっぱりそう言って トリィの頭を指でそっと撫でる。
それを見つめる瞳はとても優しくて。
肩の力がスッと抜けた。
「…久しぶりだね、アスラン。」
やっと 緊張が解けて彼女が笑顔を向ける。
「―――3年ぶり、になるな。」
つられるようにこちらも笑みで返し。
1度馴染むと後はすぐに前の2人に戻れた。
でも。
昔のように話せても、全てが昔のままというわけではなくて。
目の前にいるのは 確かによく知った幼馴染の少女。
特大の宝石のような大きな瞳は、変わらず澄んだ輝きを放っていて。
仕種や癖なんかも全く変わっていない。
けれど、やはり3年前とは違う。
幼かった少女はもう 昔のように幼いだけではなくなっていた。
月で別れたあの頃よりはっきりとした身体のライン。
まだ幼さを残した顔は、けれどふとした一瞬 記憶にないほど大人びて見えて。
無造作に伸びた濃い茶の髪がふわりと浮く。
それに乗って柔らかな香りが脇を掠めていった。
見慣れない彼女にどきりとした。
*******
立ったままでは目立つからと近くのベンチに並んで腰を下ろす。
それでも 物語の王子様のような物腰と容姿を持った少年と、儚げで清楚な姫君のような少女が
話していればこの上なく目立つということに2人は気づいていない。
いくらここが中立国でコーディネイターが珍しくないと言っても、2人の容姿は特別だったから。
肩を寄せ合い仲睦まじく話す様子は 行き交う人々の視線を奪っていた。
…当の2人はそれに全く気づいていなかったけれど。
「こんな所で会えるなんて思わなかった。」
頬を紅潮させて、彼女は微笑む。
「俺も、ここにキラがいるとは思わなかったよ。」
こんな運命みたいな出会い方。
会えたことはとても嬉しい。
たとえ、自分が軍務でここに来ていたのだとしても。
この手でここを戦場にしてしまうかもしれないとしても。
今は、キラに会ったことの方が重要だったから。
―――あぁ、そうだ。
「キラ」
会ったら言わなければいけないことを思い出した。
「ん? 何?」
「連絡取れなくて、その、ごめん……」
見上げてくる彼女から視線を外して俯く。
3年…
あんなにずっと一緒に過ごした2人のはずなのに。
月で別れてから1度も、互いに連絡が取れずにいた。
努力はしたけれど プラントの外との通信は難しく、キラが月からどこに移住したのかも
知らなかった。
「…僕の方こそ。」
同じだよ、とキラも返す。
こてんとアスランの肩に頭をもたげて。
甘えるように身体を寄せる。
「だから嬉しいよ。まるで運命みたい。」
さっき俺が考えたことと全く同じことを 彼女は嬉しそうな声で言って。
それがまた、嬉しかった。
会えなかった時を埋めるように互いのことを話し続けた。
過ぎていく時間を気にもせず。
相手の熱を感じながら。
ただ、自分が軍人だということと、母が死んだことは言えなかった。
変わらないキラに、変わってしまった自分を知られたくなかったから。
"キラが好きな自分"でいたかったのかもしれない。
キラにだけは拒絶されたくなかった。
それが、自分勝手な我儘だったとしても。
「―――髪、伸びたな。」
別れた頃は肩より上くらいだっただろうか。
触れた指の間から流れる髪はクセがなく、さらさらと手から零れ落ちていく。
その感触を楽しむかのように、何度も手を差し入れた。
「…これは僕の想いだよ。」
目を閉じて アスランの手にキラは自身の手を重ねる。
「君に会えなかった間、君への想いの分だけ。」
「え…?」
ぽかんとして見るアスランにキラは殊更に微笑む。
「―――この長さが、僕の愛の証だよ。」
肩を越すくらいの長さは3年分の想い。
これが"トリィ"に込められたアスランの想いへの答え。
「キラ…」
心が歓喜で震えている。
夢のようだと思った。
でも、彼女は確かに目の前で微笑んでいて。
夢のような言葉は目の前の現実。
驚いた以上に、嬉しさが込み上げた。
「…キラ。あの日の約束、覚えてる?」
肩を抱いて引き寄せて。耳元でそっと囁く。
それにびくりと震えて 彼女は首まで朱に染めた。
別れ際の約束。
桜の下の、甘く優しい言葉。
「―――覚えてるよ。ずっと待ってた。」
彼女からの返事は 願っていた言葉。
「じゃあ…」
「…うん。良いよ。」
"次に会えた時には―――…"
それは 桜の下で交わした約束の言葉。
*******
夜が近づき 公園にも人がまばらになった頃に、2人もまたそこを離れた。
そして向かった先はアスランが滞在中のホテル。
スイートではないけれどそれなりに広く豪華な部屋で、キラは入った時苦笑いを浮かべていた。
「…本当に良いんだな?」
組み敷いた彼女を見下ろして再度尋ねる。
ここまできて止めるつもりはないけれど、やはり彼女の意志は大切だから。
無理強いはできない。
「うん。」
「後でどう言っても俺は止めない。それでも?」
後悔はしない?
その最後とも言える問いに 彼女は真っすぐな視線で応えた。
「大丈夫。アスランなら良い。」
―――次に会えた時にはキラの全てが欲しい。
そういう意味も含めて、と付け加えて言った。
それに彼女は真っ赤になっていたけれど。それでも頷いてくれて。
―――きっと迎えにいくから。
それは泣いてしまったキラを宥めるものでもあったけれど 本心でもあった。
キラ以外は要らない。
キラだけが欲しい。
それはずっと変わらない。
「キラ、愛してる。」
頬に額に唇に。身体中、白く柔かい彼女の肌に。
降るようなキスをキラに贈る。
「僕も… 君が好き…」
そう言って恥らう姿がとても愛しくて。
応えてくれる彼女が嬉しくて。
さらにキスと たくさんの言葉を贈った。
愛してる。
キラだけをずっと想ってる。
それだけは変わらない。
今までも。
そしてこれからも。
「おはよう、キラ。」
穏やかな朝。
「お、おはよう、アスラン…」
腕の中で赤くなる彼女。
君がそこにいる幸せ。
やっと通じた想い。
ずっと変わらないと思っていた。
永遠だと信じていた。
「すぐに迎えにくる。だから 少し待っていて欲しい。」
それは確かにそう信じて告げた本心。
本当に すぐに行くつもりだった。
けれど 運命は時に残酷で。
些細な願いさえも奪ってしまう。
戦争が、2人を引き裂いてしまった。
「どうして…!?」
彼女の悲痛な声が胸を突き刺す。
再び出会った場所は炎の中だった。
入手した新造艦とMSの情報は真実で。
MS奪取の為に乗り込んだモルゲンレーテの工場内。
敵軍の女を殺そうとナイフを振りかざした先に。
…立ち塞がったのはキラだった。
驚愕に満ちた表情が痛い。
互いに見つめ合って そこから動けなくなってしまった。
「っ!」
轟音の中の沈黙を破ったのは俺でもキラでもなく。
一瞬の隙をついて、作業服の女がキラごと目の前にあった機体のコクピットに降りてしまった。
「アス…っ!」
「キラ!!」
掴もうと伸ばした手は届くはずもなく。
すぐに機体は動き出す。
俺もまた後退せざるを得なかった。
そして、
2人は愛し合っているにもかかわらず敵同士となる。
狂っていく
幸せだったはずなのに
やっと結ばれたのに
戦争さえなければ
俺達はきっと 同じ道をずっと歩いて行けた
戦争さえなければ
ずっと隣で
お前は笑っていてくれたはずなのに
何故お前は
そこにいる―――…!?
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第1話部分。結ばれて1週間で破局…
ちなみに アスランがヘリオポリスにいた記録はザフトによって抹消されています。
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