聖母 −戻らない過去−
風が吹く並木道。
少し行けば噴水のある広場に出るけれど、ここには誰もいなかった。
風に舞う様があの日のことを呼び起こして 感傷的な気分になる。
ただ、今散っているのは桜ではなく銀杏だけれど。
それでも何故かとても懐かしい気がして見上げていると、軽めの足音が聞こえてきて。
何げなくそちらを振り返って、驚きで言葉を失った。
向こうも驚いたようで、目を見張って立ち止まる。
夢か幻でも見ているような、そんな気分だった。
「…久しぶり、って言うのかな?」
ふと困ったように笑って、彼女が沈黙を破る。
けれど 喉が張り付いたように渇いていて言葉は返せなかった。
風が腰まで伸びた彼女の髪をさらう。
あの日からまた3年。
随分と大人びて、もっと綺麗になっていた。
儚げな雰囲気は変わってなくても、どこか少女らしさが抜けていて。
無邪気な笑顔ではなく、憂いを帯びた淡い笑みに胸が高鳴った。
そして透き通るような甘い声。
こうして通信越しでない声を聞くのはあの日以来で。
込み上げてくるのは溢れるほどの愛しい気持ち。
あの頃と変わらない彼女への想い。
「―――…っ」
言葉より先に身体が動いた。
彼女の腕を掴んで引き寄せる。
転びそうになるその身体を自分の胸で受け止めて。
「キラ…っ!」
気持ちのままに抱きしめたら、彼女は少し驚いたようで一瞬身を固くしたけれど。
「痛いよ…」
すぐに力を抜いて、呟いた声は苦笑いを含んだものだったから。
拒まれないと分かって安堵した。
「…小さくなった?」
前にこうして抱きしめた時よりもっと縮んだような気がして。
そう言ったら腕の中で彼女が笑う。
「アスランが大きくなったんだよ。」
「そうか。」
まだ、有効だろうか。
このまま彼女を連れ去ってしまいたい。
この腕を拒まなかったのなら。
「キ―――…」
「ねぇ アスラン。」
胸に顔を埋めたままで遮った声は 何故か感情を殺したように冷たく。
どきりとした。
「君は何故戦うの?」
「キ、ラ…?」
何を言っているのか分からない。
表情を見たくても俯いたままだから見えなくて。
「プラントを守る為? と、彼女との未来の為に?」
「っ!?」
"彼女" …キラが言っているのはおそらくラクスのことだろう。
キラは俺達のことを知っている。
確かに周囲も俺達の結婚を望んでいる。
けれど俺もラクスもその意志はなく。
俺の心は今もキラのもので。
「…俺達は、」
「―――僕も同じ。絶対に守りたいものがある。」
だから戦うんだ。
アスランの言葉に被せるようにはっきりとそう告げた。
「おな、じ…?」
アスランの表情が変わる。
哀しみと戸惑いと。
下を向いているキラには見えなかったけれど。
「あの時言ってた、友達…?」
「うん、彼らもだけど。もっと大切なもの… だって、僕にはもうアカツキしかいないから…」
アカツキ…?
それがキラの大切な…?
俺よりも?
痛かった。
胸の奥深くに棘が刺さったようだった。
「!? ア、アスランっ 苦しいってば!」
彼女の訴えは聞かず さらに強く抱きしめる。
まるで消えそうになる何かを繋ぎ止めでもするかのように。
「ね、ねぇってば…!」
焦った彼女が突っぱねようと身体を圧しても 離すつもりはなかった。
「何故…っ」
離れて3年経っても変わらなかった、互いの想い。
そしてまた同じだけの時が過ぎても自分の想いは変わらなかった。
それは彼女も同じだと、心のどこかで期待していた。
今でもあちら側にいる時点で、既に有り得ないと分かっていたはずなのに。
いっそ憎めたらどんなに楽だろう。
けれど憎むにはあまりに愛しすぎて。
憎むほどに愛してるなんて有り得ない。
どうしたらそんなことができるだろう。
「何故なんだ…!?」
ずっと守りたくて戦ってきた。
母の時と同じ思いはしたくなかった。
大切なものをこれ以上失いたくなかった。
なのに、何故1番守りたいものが敵なんだ。
「何故お前と戦わなきゃならないんだ!」
こんなにも愛しいお前と。
何故。
「―――僕の居場所はあそこだけなんだ。」
「え…」
ぽつりと零れた声に、思わず力が緩んだ。
*******
「僕にはもう帰る場所がないんだよ。帰りを待ってくれる人はアークエンジェルにしかもうい
ないから。」
「? それはどういう…」
帰る場所がないというのはどういう意味なのだろうか。
そんなはずはない。
キラにはちゃんと両親が―――
「父さんと母さんに連絡が取れなかったんだ。」
声が震えているような気がした。
「みんな無事だって連絡が入ったのに、父さんと母さんだけ…」
いつまで待っても無事だって連絡は来なかったんだよ…と。
泣いているような声だった。
「…っ!」
それが何を意味しているか、分からないほど鈍くはない。
犯した罪の重大さに思わず息を呑んだ。
キラは次の日曜に3人で出かけるのだと 楽しそうに笑っていた。
俺が奪ったのはそんな日々だけじゃなかったのか。
ふわふわと、いつも優しい笑顔を向けてくれた小母さん。
大きな掌で頭を撫でてくれた小父さん。
ほとんど家にいない本当の両親より近かった。
俺はキラの家族が好きだった。憧れだったんだ。
「俺は…っ!?」
何をした?
キラに何をした!?
守りたいと軍に志願して、その結果がこれか!?
同じじゃないか、あいつらと。
母を殺したナチュラル達と。
2人を殺したのは―――…っ!
「アスランが悪いんじゃない。」
静かな声だった。
「誰も悪くない。…でも、僕はそちらには行けない。」
君の元には行けない。
「…俺達が憎い?」
だから地球軍にいるのか?
けれどキラは首を横に振ってそれを否定した。
「憎まない。誰も憎んじゃいけない。―――憎みたくない。」
きっといろいろ考えたんだろうと思う。
両親を失ってもそう思えるのは、彼女の優しさで強さ。
「軍に残ったのは失わないためだよ。」
でも、何故それを選ぶ?
「これ以上失ったら憎んでしまいそうで怖いんだ。」
君を。誰かを。
「そしてきっと何もしなかった自分を悔やんでしまう。それは嫌だから。」
「―――俺と敵対しても?」
悪あがきだと分かっている。
キラは1番大切なものを見つけたんだ。
俺じゃない、誰かを…
「…ねぇ、君も考えてみて。」
返ってきたのは予想外の、というより一見関係無さそうな言葉だった。
俺が望んでいた答えでもなく、絶望させるような答えでもなく。
「君の傍らにある華に耳を傾けてみて。」
諭すような言葉。
「キラ?」
けれど謎掛けのようで 意味が分からない。
華…? 何のことを言ってるんだ?
「華って―――…?」
疑問を口に出そうとした時。
遠くでキラの名を呼ぶ声がした。
「…もう、行かなきゃ。」
少し名残惜しそうに、けれどスルリとアスランの腕から抜け出す。
引き留める力なんてなかった。
「じゃあね、アスラン。」
そしてあっさりと背を向けてしまう。
何の未練もない様子で俺から離れていく。
もう、俺はそれだけの存在なのか…!?
「キラ!」
縋るような気持ちで叫ぶと彼女は振り向いて。
「―――ますますカッコ良くなったね。思わずときめいちゃったよ。」
花咲くように微笑った。
それだけで動けなくなる。
「君に未来と幸せを。」
キラが向かった先に男が立っていて。
何やら楽しそうに話している。
あの男がキラの"アカツキ"だろうか。
キラが見つけた最も大切なもの―――…
「くそっ」
苛立ちが隠せない。
キラの心に俺が残っていなくても、俺はまだお前を愛している。
「好きでもないならあんなカオするな…っ」
無様な未練だけが膨らむ。
さっきの言葉と笑顔が焼き付いて離れない。
それが無意識に出てしまった彼女の本心だと、気づくには自信が足りなかった。
キラと自分以外の男が仲良く話す姿なんて それ以上は見ることができず背を向けた。
「幸せになんかなれるはずがない…」
お前がいないのに。
誰にも聞かれることのない言葉を吐き出す。
「それ以前にお前がそれを言うのは変だろう…?」
俺達は敵なんだ。
いつか俺はお前を殺してしまうかもしれないのに。
お前はもう躊躇わないんだろう?
その時の俺は苛立ちと落胆で心に余裕がなくて。
キラの言葉に隠された意味に 結局気づくことはできなかった。
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"傍らにある華"―――つまりラクスの平和の言葉をちゃんと聞いて、という意味。
気づかなかったのはキラとアスランのラクスに対する認識の違い。
キラの中でラクスはアスランに1番近い女性、でもアスランにとってはそうではないので。
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