聖母 −甘やかし−
「キラ!」
姿を認めた途端に彼女の元へその身を翻す。
後ろでイザークが何か叫んでいる気もするが、いつものことだからと気にしないことにした。
「お仕事ご苦労様。」
いつものように微笑って挨拶をくれるキラに、しかし未だ胸が一度大きく高鳴る。
「…キラの方こそ、な。」
それを理性を総動員して苦笑いにとどめられた己を褒めてやりたい。
白い軍服を身に纏い、背筋を伸ばして凛と立つ姿はまぎれもなく軍人。
そして一分の隙の無い仕草は 彼女も前線で生き抜いてきた者だと知らしめる。
しかし、浮かべられた柔らかい笑みは 何も知らなかった純粋無垢な少女の頃と何も変わって
いない。
それを向ける程に再び気を許してくれたことがどんなに嬉しいか、キラはきっと知らない。
「……。今日はどうしたの?」
一瞬だけ視線を鋭くして彼女が呟いたそれは、暗に廊下で固まって話していることを指して
いた。
何か起こったのかと、目だけで聞いてくる。
場合によっては彼女達も動かなければならないのだ。
「あぁ。そっちには影響ないから心配しなくても大丈夫だ。」
察して キラの心配も払拭するつもりでアスランは軽い調子で答える。
プラントで起こったちょっとした事件のことをイザーク達と話していただけだと。
そう告げればほっとして いつものキラに戻った。
それは 昔のキラからは考えられないほどの鋭い洞察力と的確な状況判断。
実践で培われたのだろう、その高い能力。
しかし"軍人"であるキラに驚きショックを受けたのは とうの昔。
今はその部分も含めてキラだと受け止めている。
―――その時見せる表情もまた、言葉を失うほど美しい、と。
そう 思えるくらいには。
「ところでアカツキは?」
いつもくっついて近くにいるはずの彼女の息子の姿が見えず辺りを見回す。
また迷子になったのかと思ったが、キラの様子を見ればそうではないようだ。
聞かれた彼女は自分の後方を指さして苦笑った。
「あの子なら部署のお姉様方に遊ばれてるよ。あ、何か用だった?」
「ん、いや 今じゃなくても良いから。あげたい物があっただけだ。」
「…。アスラン……」
言った途端に盛大なため息をつかれてしまう。
何か変なことでも言ったかと思い返していると、何故か呆れた表情をされた。
「…君さ、アカツキを甘やかし過ぎてない?」
「甘やかすって… 俺は何もしてないだろ?」
こと最近は頻繁に会ってはいるが、特に何をしたというわけでもない。
別に特別扱いをした覚えもないのだが。
「簡単に物を与えないでよ。貰い癖がつく。」
そう言ったキラは母親の顔で。
甘えん坊だったあのキラが…と感心した自分は悪くないと思う。
「もう十分ついてないか? この前だってチョコレートだのクッキーだの大量に貰ってたし。」
「…え。それ いつ?」
そのことをキラは知らなかったのか聞き返してくる。
あの量を彼女に気づかれずにどうやって処理したのだろうかと一瞬考えた。
さすがに全部食べたわけじゃないだろうが、それなら今もどこかにあるはずだ。
「あの時一緒にいたのはサイだったか。ぐずってたら周りの女性がわらわらと…」
たまたま通りかかっただけだから理由は知らないが、その時のアカツキは機嫌が悪そうで。
すると近くにいた女性達が手元にあった菓子類を大量に与えたのだ。
困った顔のサイの膝の上で いつの間にか上機嫌で笑っていた子の顔を思い出す。
「あぁもうっ みんなアカツキに甘いんだからーっ」
「…ここには他に子どもがいないから仕方ないだろう。可愛がられてるんだから良いじゃない
か。」
嫌われてるよりは断然良いとアスランは思うのだが。
しかし母親からすればそれは違うらしい。
「可愛がり過ぎってか、みんな構い過ぎだっ!」
「貴様ーっ! 何をしている!?」
突然消えてなかなか戻って来ないアスランについにキレたイザークが こめかみに青筋を立てて
怒鳴る。
それにキラが気づいて手振りで謝ってくるが、アスランの方は気にも止めていないようで。
そこがさらに苛立ちを増幅させ、もう一声吼えようとしたが それは止められた。
「イザーク、アスランがキラさんを最優先にするのはいつものことじゃないですか。」
呆れつつもフォローを入れるのはさすが副官というべきかニコルだ。
「だからって今この状態で抜けるのか!?」
「それも今更ですよ。」
こんなことは別に今回に限ったことではない。
常に一緒に行動するニコルにしてみれば、ここでキラの所に行かない方が異常に思える。
「世間の目を少しは気にしろと言ってるんだ! ラクスのこともあるだろうがっ」
アスランは今もラクスと婚約したままだ。
世間には未来を担うカップルとして 今だ将来を期待視されている。
それなのに奴が他の女にうつつを抜かしているなどと知られれば世間は黙っていない。
キラの方にもどんな影響が出るか。
しかしニコルは特に問題もないといった様子で。
いたってケロリとしている。
「別に良いじゃないですか。ずっと敵対してた幼馴染とやっと戦場以外で会えるんですから。」
「…あれが幼馴染か?」
思いっきり不審げにイザークは眉を顰めた。
明らかに空気がおかしいだろう。
特にアスランの、キラを見つめる瞳。
愛しさが溢れ出る どこまでも優しく甘いそれは、他では絶対見れない貴重品だ。
「? 本人達がそう思ってるんだからそうじゃないんですか?」
どこまでも能天気な彼にイザークは些か頭痛を覚える。
それで済まされないから言っているのがこいつは分からないのか。
奴とラクスの婚約は普通の婚約とはわけが違うのだ。
「だが周りにはそうは見えていない。変に詮索する輩は必ずいる。時間の問題だぞ、あれは。」
キラへの好意を隠そうともしないアスランの態度を見れば噂が立たないことはないだろう。
過去まで暴こうとする輩が現れないとも限らない。
そうなれば非常に厄介だ。
「それは確かにマズイですね…」
ようやく危機感を感じてくれたのか、ニコルは難しい顔をして呟く。
けれど。
「でもまぁ、その時はその時で。」
次いで出た言葉は実にあっけらかんとしていて。
「…オイ…」
思わず顔が引きつった。
しかしイザークのツッコミにも全く動じた様子もない。
「今更それくらいでどうにかなる2人でもないでしょう。」
どこから出てくる自信なのか。
他人事だからというわけでもなく 言ってニコルはにこりと笑った。
「どんな状況だって 銃を向け合った頃に比べれば些細な障害です。」
この先何があったとしても。
2人が殺し合うことはもうないのだから。
「……どうなっても俺は知らないからな。」
"今"の終わりはまだ来ない。
この先何が起こるかも、この時はまだ 誰も知らずにいた―――
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キラしか頭にないアスラン(笑)
…結局、イザークの懸念は当たってしまうんですけどね。
キラがオーブに行くキッカケになった話もいずれ書きます。
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