月はまだ明るい。 着替えまで終えた黎翔は、最後に甘い香りの香に火をつけた。 次第に部屋を満たしていく、花の蜜のような甘い香り。 彼女と過ごす夜はいつもこの香りだ。 ―――これが一番彼女に合うと思った。 最初に選んだのはそんな単純な理由。 けれど今は他は使わないほど気に入っている。 使うのは、彼女がここにいる時だけ限定だけれど。 甘い蜜の香りは彼女。 甘い香の残り香は、別れた後もまだ彼女がいるような気になる。 …この部屋で朝まで過ごしたことはない彼女が、いてくれるような、そんな夢を見たいか ら。 香炉から離れて彼女が眠る寝台に戻る。 二人で溺れた熱は今は穏やかに凪いで、彼女は深い夢の中に沈んでいた。 「…夕鈴、ごめんね。」 枕元に腰掛けて、滑らかな肌にそっと触れる。 彼女は眠っているというより、気を失っているという方が正しいのかもしれない。 ―――また抑えきれなかった。 いつもそうだ。 細い身体に無理を強いて、己の欲だけをぶつけてしまう。 壊れないか心配しながら、壊してしまおうとするのは自分。 けれど、矛盾を抱えながら、それでも君を求めることは止められない。 どれだけ求めても奪っても、それでも足りない。 自分の貪欲さに呆れてしまう。 「ごめん…」 目を覚ましたらもう一度言うけれど、それでも言わずにはいられなくて。 「――――…」 不意に二人の間を駆け抜けた風に誘われて外を見る。 大きな月は随分傾いていた。 それに別れの時を知る。 「…君が起きたら、君を連れて帰らなきゃね。」 本当は離したくない。 朝まででも一日中でもこの腕に抱いていたい。 でも、それが約束。 君と僕の関係はまだ秘密だから。 ―――だけど、目覚めないで、もう少しだけ。 「君ともっと一緒にいたいんだ…」 それは君に届かない僕の本当の気持ち。 言えない思いも全て込めて、散らばる髪を一房指に絡めて口づけた。 + (あ…この、香り……) 甘い花の蜜のような。 嫌いじゃない―――どちらかといえば好きな香り。 (陛下って、いつもこの香を焚くのよね…) 夕鈴と過ごした夜は必ずこの香が室内を満たす。 微睡みの中でいつも感じている。 ―――その意味は知らない。 いつか聞こうと思ってまだ聞いていなかったから。 「起きた?」 大きな手のひらで頭を撫でられる。 それに思いっきり甘えてからゆっくり目を開いた。 「…はい …って、え…?」 (あれ、私寝てた…?) 「ゴメンね。途中から手加減できなくなって。」 頬に流れた手が擽るように優しく触れてくる。 「……いえ…その、」 そういえば途中で気を失ったのかと思い出した。 なかなか意識を手放すことを許してもらえなくて、ようやく許されたのは何度目かも覚え ていない。 (って、そういうこと言わないでほしいな… 思い出しちゃうじゃない……) 恥ずかしくなって、彼の手から逃げるように掛け布を被る。 ふと下を見ると夜着はきちんと着せられていた。 (後処理をまた陛下にさせてしまったのね… 妃としてそれってどうなんだろう…) 毎度のことなのだけれどちょっと凹む。 いつも途中で気を失って、目が覚めたら全部終わっている。 謝ると彼は気にしないでと言って、手加減しなかったことを逆に謝られてしまうからあま り言えない。 次こそはと今日も無駄に誓って済ませるしかなかった。 「…もう、君を部屋に連れて帰らないとね。」 ちらっと顔を出すと名残惜しそうな顔にぶつかる。 その小犬な顔にぐらっときそうになった。 (でも、内緒だもの。) 私達の本当の関係は知られてはいけない秘め事。 首に腕を回すと抱き上げられる。 惜しむようにぎゅっと力を込められて、お返しに抱きしめ返した。 二人で見上げていた時よりだいぶ傾いた月を見ながら庭を連れられていく。 「…明日、起き上がれないかも。」 腰がだるくて重い。 今からあと少し寝れたとしても、動けるようになるまでは時間がかかる気がした。 「今日はいつもより激しかったからね。」 「……言わないでください………」 ああもう恥ずかしい。 火照った頬を隠すために、彼の肩口に顔を埋める。 それを見て陛下が小さく笑った。 「政務室は午後からで良いから朝は休んでなよ。どうせ午前の間はあれにとられちゃうし。」 (あれって、さっき李順さんが報告に来たあれか…) 陛下はそれ以上を言わない。私は恋人だけど本物の妃じゃないから。 だから聞かない。 その代わり、腕に力を込める。 貴方への想いをありったけ込めて。 「私は、どんな陛下でも好きですよ。」 「…ありがとう。」 顔を上げると嬉しそうな顔がすぐ傍にあった。 それに誘われるように唇を寄せる。 軽く触れるだけで、すぐに離してしまったけれど。それでも夕鈴からは初めてに近い。 驚いた顔をする彼に、にっこりと微笑んでみせた。 愛しい人、私の恋人。 言いたくないなら言わなくて良い。 貴方が怖がるから私も聞かない。 ―――でも覚えていて。 私は貴方の何を知っても、貴方のことが好き。 それがほんの少しでも伝わればいい。 月明かりの下、もう一度彼の唇に自分のそれを重ねた。 2011.11.22. UP --------------------------------------------------------------------- これはオマケですね。陛下視点と夕鈴視点を交互に。 夕鈴は陛下が好きなんですよーって感じのことを書きたかったというか。 うちの夕鈴さん、基本的に男らしいなと思う… 今回、自己満足で突っ走ってしまいました〜 まさか自分がこういう話を書こうとは…萌えって怖い(笑) 背中を押してくださった方々、アドバイスをくださった深見様に感謝の意を。 そして、最初に読んでチェック等していただいた聖様にはもう感謝しきりでございます(平伏) 読んでくださった勇気ある方々も、ありがとうございました! ……これで最後と思ったんですが、いつかまた書くかも……?(ボソリ)